神殿岸2

2と言っても実質1.5みたいなもの

「世界三大RPG」という言葉から考えるあれこれ

目にする機会はめっきり減ったのだが、「世界三大RPGという言葉があった。
【4Gamer.net】 - 誰もがRPGを愛していた - 第3回:ウルティマIX:アセンション
>今や生きた伝説と化している,“ロード・ブリティッシュ”ことRichard Garriott(リチャード・ギャリオット)氏が生み出したシリーズで,「Wizardry」「Might & Magic」と共に,世界三大RPGとされていた。
とある。
このように「世界三大RPG」とは、「ウルティマ」「ウィザードリィ」「マイト アンド マジック」の3つであると言われている。
言われている?
どうも3つ目がマイトアンドマジックではなく「Rogue」という説もある。「Ultima」と「Wizardry」は確からしい。

本記事は「世界三大RPG」という言葉について、主に憶測と、それにまつわるあれこれを書くものであり、また実際にプレイしてないゲームへの言及が多くなっている。内容の正確性はあまり保証しない。
本当は「どこでこの言葉が発生したのか?(ぶっちゃけログインだと目星はつけている)」を調べたほうがいい気がするのだが、今回はそれは行っていない。いずれ機会があれば、まあ…

言葉の由来はよく知らないが、それなりに使われていた言葉らしい。ただ最近は聞く機会は減っている。
上記4gamerの記事は2005年のものだった
他には

3大RPGの1つ『マイト・アンド・マジック』最新作が明日発売!(電撃オンライン 2008年)

「世界3大RPGのひとつに数えられる『マイト アンド マジック』シリーズの外伝作」(ファミ通 2002年)

"ウィザードリィシリーズ" "ウルティマシリーズ"と並んで3大RPGの一つに数えられる"マイト&マジックシリーズ"(4Gamer 2002年)

PS2では“世界三大RPG”と称される超大作「マイト&マジック(仮)」のゲーム画面 を本邦初公開する他、(東京ゲームショウ2000秋公式サイト)

などがある。
どうも、10年以上前の記事ばかりだが「マイト・アンド・マジック」の紹介で出てくる確率は結構高いことがわかる。公式側の記述と思われるものからも見つかる。

ウィズローグ公式サイト(2014年)にもあった。
>世界三大RPGの一つに数えられる名作「ウィザードリィ」と、今なお根強い人気を誇るローグライクゲームがついに融合!

これは調べなくても想像がついたのだが、どうも「世界三大RPG」は日本でしか使われていない言葉らしい。英語訳はわからないが「Ultima Wizardry Might & Magic」の3作をひっくるめて語っているものなどほとんど見当たらない。
おそらく日本人が考えた概念であり、最近使われなくなったのはそのことがわかってきたせいもあるだろう。そうでなくても何か軽々しい言葉だという気がする。
※というか「世界三大」という言葉自体、どうも英語になさげな感じがする。「世界三大瀑布」(ヴィクトリア、イグアス、ナイアガラ)ですら対応する英語がないみたいである。ただこの3つを取り出しての比較は英語のwikipediaにもあるので、別格ではあるらしい。

なぜこの3つなのか。
もちろん「今だったらドラクエポケモンとFF」ということを言いたいのではない。
「世界三大RPG」は現在通用している言葉ではないし、新しく決める価値もあると思えないし、というか昔の文献からも見つからないのだが…(最近読んだ多摩豊の著書では使われていなかった)
過去に一部で使われていた言葉としては無意味ではなく、ある程度定着してきた背景はあるはずである。

もちろん「Ulitima」と「Wizardry」が特別なRPGだと考えられてきた背景には、やはりドラクエの影響が疑われる。
ファミコンRPGブームを起こしたドラゴンクエストが、ウィザードリィウルティマの2作品に影響を受けていることはあらゆる媒体に書かれていることで、堀井雄二自身かなり最近でも2作品の影響を公言している。この講演とか
で、単純にはドラクエウルティマの2D画面とウィザードリィの戦闘を組み合わせたもの」と言われることが多い。
実際は国産を含む他のゲームの影響も受けてるらしいのだが、この2作品が別格の存在であり現在も言及されてるのも確かである。

ドラクエに影響したウィザードリィウルティマこそが元祖RPG」というのは、かなり不正確な説明であり、ドラクエ周辺でこの2作を特別視するイメージ操作が行われていたのではないか?という疑念を僕は抱いているが、じゃあ3つ目の「マイトアンドマジック」は何なのだろう。
僕はこのシリーズやったことがない。
「マイトアンドマジック」は日本でもファミコンへの移植もされており、独自の内容で一定の人気と知名度があるのは承知しているが、三大にラインナップする決定的な理由がなんだったのか、特に思い出のない僕にはわからない。しかし一作目が86年と、他の二つに比べてずいぶん新しい。少なくとも何かの開祖という認識はされてないと思う。
単に三大RPGを誰かが(おせっかいにも)決めようとしたとき、当時身の回りにあった海外製RPGの中でこれが人気があった、くらいのような気がする。

ローグについての話もしなきゃならない。
三大RPGは「Ultima」と「Wizardry」と「Rogue」だという説がネットに出てくることがある。ちゃんとしたメディアからはあまり出てこない。既にあげたウィズローグの公式サイトでも「世界三大RPGの一つに数えられる名作「ウィザードリィ」と、今なお根強い人気を誇るローグライクゲーム」という表現があり、基本的にはローグ自体は三大RPGではないと認識されていると思う。
だからただの間違い、で済ませたいところなのだが、「Rogue」の発表は1980年とされており、元祖RPGであるはずのウィザードリィウルティマより古い。じゃあローグこそが元祖RPGではないのか?
…実際はウィザードリィウルティマも、そしてローグも元祖RPGではなく、すべて間違ってるのだが、このことから「WizardryRogueから発展したものである」、という文脈でネットに書いている勢力が、wikipedia等に一定数存在したことは確認している。
それにローグには別の事情があり、Rogueが最初のコンピュータRPGだと明記してる文献は実際に存在する
そのことを指摘する古いブログがあった。
Rogue 1975年起源説の謎
「電視遊戯大全」(1988年) という、割と有名な本でローグの発表を1975年としており、より正確に言うとこの本「コンピュータ上で初のロール・プレイング・ゲーム」とはっきり紹介している。だが、リンク先で詳しく解説している通り、これは間違いである。

その後ローグの発表年代はなんやかんやあって1980年のほうが広まってるわけだが、同時に「世界最初のコンピュータRPG」という記述も日本では一部で受け継がれたらしい。少なくとも2009年ごろのwikipedia「ローグ」で確認。
つまり元祖RPGは「Wizardry」、「Ultima」、そして始祖の「Rogue」であり、これが世界三大RPGである
実際は完全に間違っているのだが、ローグを三大RPGとする声があるのは、このあたりを背景にしたものだと思われる。マイトアンドマジック説との違いは、歴史的意義が重視されているということだ。
最初の3Dダンジョン「ウィザードリィ」と2Dの「ウルティマ」、そして自動生成の「ローグ」という3本柱。実際はどれひとつ最古ではないのだが。

もう一つ未確認情報があって、三大はマイトアンドマジックではなく「ファンタジー(PHANTASIE)」だったという話がある。
この5chのスレッドから見つけた。
リンク先の真偽はよくわからないが、PHANTASIEは85年作品なので80年代初期ということはない。しかし海外作品にもかかわらず最終作「ファンタジー Ⅳ -英雄の血脈-」(1990)は日本でのみリリースされており、日本側で人気があったのは、そうらしい。
この話が本当だとして、ファンタジーは続編が途絶えたので、どこかでマイトアンドマジックと入れ替わったのだろう。

正しい歴史を確認したい。
70年代のRPGについては2014年の「ロールプレイングゲームサイド Vol.1」の特集記事で詳しく書いてあるのだが、今回関係ありそうな部分に絞って、かいつまんで説明すると

・1970年代にPLATOという大学用のコンピューターネットワークシステムがあり、そのネット上で動作しているRPGが多数あった。
・現存する最古のコンピューターRPGとして有力視されているのは1975年PLATOの「pedit5」。
・「Wizardry」は「Oubliette」(ウブリエット)などPLATO作品群の影響を強く受けている。
Ultimaの前身AkalabethはPLATOの影響下にない(Akalabethの3DダンジョンはAppleIIの「ESCAPE!」の影響)
Rogueも他のRPGの影響下にない。
・パソコン用の商用RPGで最も古いのはBeneath Apple Manor(ビニース・アップル・マナー)で、Rogueより古いローグ型ゲームである。

70年末までにPLATOでいろんなRPGがあったのだが、それと無関係にD&Dの直接の影響で発生したRPGもやはり多かったようである。
というより、PC用作品でウィザードリィが例外的にPLATOの影響が強いようにも見える。ウルティマとローグはどちらも独自に発達したものだったし、他の有名作品もそうである。
国産のブラックオニキスはPLATOの影響を受けているらしいが…

PLATOのRPG群については、どうも海外でもかなり最近(00年代末くらい?)までちゃんと知られていなかったらしいんであるが、今は知られている。これは何年も前から有名な話であり、まだ世界三大RPGなんて言ってる人は情報が古すぎるので認識を改めてください、ということであり、もちろん本記事もこれを新事実として書きたいわけではない。
しかしながら、まだ日本のインターネットでは「〇〇より××のほうが古い」のように断片が書かれているものばかりであり、きちんとまとめて書いてる記事は見当たらない。ちゃんと調べたい場合、ネットは無視して、きちんとまとめている「ロールプレイングゲームサイド Vol.1」を読むことを強く勧める
ネットの記述は「ウィザードリィ偉い論」への反発のほうが目立ってしまっているようだが、これはこれで極論化しているものもあり、いくらかは同意しかねる。
※だが本記事もちゃんとまとめる気はない。特にOublietteはWizardryよりもむしろ複雑なゲームのようで、実際にどのへんが省略されていてどの程度違いがあるものか、いずれもう少し調べてみたいと思っているが、マルチプレイヤー前提らしいので、おそらくちゃんとした形でまとめることはないであろう…

とりあえずはっきりしているのは、ウィザードリィウルティマもローグも最初のコンピューターRPGではないということだ。そして2010年代に新事実としてPLATOの存在が広まり、多くの疑問点もすっきりした。
のであるが、その前にPLATO以外の作品についても考える点がある。80年代にはPLATOの存在はほとんど知られていなかったが、ウルティマウィザードリィより古いRPGの存在自体は知られていた。

既に記事に書いた79年の「Akalabeth」ウルティマといっしょくたに語られることが多いが、99年までに実際にプレイした日本人はほとんどいなかったと思われる。
「アカラベス」は2DRPGとしても、3DダンジョンRPGとしても、ダンジョンを自動生成するRPGとしてもウィザードリィウルティマ、ローグのいずれよりも古い。
かつ、アカラベスは実質ウルティマとみなされており、古い文献でもその存在は書かれている。つまり三大RPGの始祖要素たる「3D」「2D」「自動生成」はウルティマ単独で揃っていたのだが、そのような認識が見られないのはアカラベスのタイトルだけが有名で、内容が実際に知られていなかったことを裏付ける。
まあおかしいのは三大RPGという言葉のほうであり、実際は自動生成も2Dもビニース・アップル・マナーが先行しているし、PLATOを含めるともっとさかのぼれるようだが。
アカラベスは今やっても数時間は遊べるほどの完成度はあり、明らかに歴史的意義も大きい作品だが、さりとて三大RPG的な意味での始祖の称号も持たないようだ。
「パソコン用の3DダンジョンRPG」と条件を絞るとアカラベスが最初っぽい。
他にアカラベスにはストーリー性があるという特徴もあるが、実際マニュアルにゲームの背景が書いてあるだけで、正直ゲーム内で進行するストーリーはシステムメッセージを少々強化したくらいだ。同じ程度の物語を持つRPGが過去になかったのかは、とりあえず知らない。

また「自動生成RPGの始祖」ってのは何なんだという感じだが、ローグの歴史的意義をそのように表現してる人はたまにいるので、この記事ではこの表現を使う。
Rogueのリリースは1980年とされるが、有名になったのは「83年の4.2BSDに標準で組み込まれていた」という理由だそうで、さらに国内で有名になったのは80年代中盤らしい。ローグハンドブックという本が86年に出版されている。
80年時点でRogueをやっていた日本人は、ほぼいなかったはずである。
その後93年の「トルネコの大冒険」の原型としてさらに大幅に認知度が上がるわけだが、このラグがどうも認識のゆがみをもたらしているような…。
93年のプレイヤーの認識なら「トルネコの原型になったテキストだけで作られたクソ古いRPGがあった」くらいだと思われる。ウィザードリィウルティマにもグラフィックはあるのにローグはテキストだけだから、より古さをアピールしている。
そして実際に80年だから古いことは古い。これって最初のRPGなんじゃね?と思う人もいたかもしれない。
そこで先に書いた「電視遊戯大全」(1988年)など、ローグが最初のRPGって書いてある本が現に存在するので、そのように思ってしまっても責めることはできない…

ローグ1975年説は「電視遊戯大全」の間違いだったが、他の70年代のRPGについても言及があった。
特にこの本は78年の「ビニース・アップル・マナー」をローグの影響を受けた作品として書いてしまっている。Beneath Apple Manorはまともなパソコン用RPGとして世界最初の作品だと考えられているが、この本は本作の78年という発表時期はあっており、実際のゲーム内容も理解していたと思われるのに、ローグの派生作とみなしてしまっていた。
またこの本は、ウィザードリィウルティマが始祖ではないこともはっきり理解して書いている。大ヒット作であるテンプル・オブ・アプシャイ(Temple of Apshai)を80年と書いている(実際は79年らしい)ものの、これがウィザードリィウルティマ、そしてアカラベスよりも古い作品であるという正しい情報も書いてあった。アカラベスに3Dダンジョンがあったらしいことも書いてあった。
でもローグ始祖説がすべての前提だから、このあたりは根本的に正しく評価されてない。
この本は海外情報もかなり集めていたようだが、ローグについては「研究所のコンピュータ・ターミナル」のゲームだったとも書いていた。75年の別のゲーム混同したのだとすれば、ローグと雰囲気の似てるpedit5などについてぼんやりどこかで聞いたのかもしれない。
※pedit5は画面構成や操作はローグっぽいが固定マップで、バトルと移動も分離している。それなりに似てる程度のゲームである。

かくして90年ごろまでに得られた知識を総合すると始祖こそ間違っていたが、ウィザードリィウルティマは始祖ではなかったことは既にはっきりしていた。
一方で、90年代の知識でもローグが始祖という言説が広く信じられていたかはちょっと怪しむ。信じている人もいただろうが、始祖にしては伝来が遅く、複雑なゲームなのもわかっていたはず…
ローグ1975年説は「ビニース・アップル・マナー」の歴史的評価をかき消していた可能性が高いが、でもこれがなくても国内の知名度はたぶん高くなかった気はする。
別の本だと、たとえば多摩豊の「次世代RPGはこーなる!」(1995)という著書があって、アカラベスにも触れつつ「ウルティマは史上初のコンピュータRPGではない」と書いていた。しかし、これより古い具体的な作品タイトルは挙げていない。

ちなみにローグの存在は言及していないが、水玉蛍之丞さんのイラストはあった。

しかし間違った認識も広がりつつあった。以前の記事で言及した「だんだんダンジョン」(1994)のムックでは、ウィザードリィを「世界最初の3Dダンジョン型RPG」だと書いてあるのだが、これは完全に間違いだ。
繰り返すが3Dダンジョンの有無のみなら、WizardryはAkalabethの後継のUltimaと比べても後だ。ウルティマは3Dダンジョンを主な舞台にしていないから3Dダンジョン型ではない、なんて使い分けをしていた可能性もなくはないが、そんな好意的解釈をするほどのこともないだろう。
おそらくウルティマに3Dダンジョンがあったこと自体を、既にパソコン誌のライターレベルでも忘れ始めていた。というより、ウルティマがどんなゲームか実はみんなよく知らなかったんじゃないか。僕もそうだったように…
確かにファミコンウルティマには3Dダンジョンはないので、誤解を生じやすくはあったと思う。既に指摘されているが、「ゲーム語りの基礎教養」のような新しい文章でも「『ウルティマIII』(オリジン・1983)では2Dマップだけに絞り込まれていた。」と書いているが、これは間違いでウルティマはVまで3Dダンジョンがある。誤りのご指摘をいただきましたので修正を入れています。私はなぜかファミコンウルティマでは3Dダンジョンがなくなっていると思い込んでいたのですが、ファミコンの「恐怖のエクソダス」「聖者への道」の両方とも3Dダンジョンはあります。
80年代に最前線にいた堀井雄二多摩豊のような人たちは当然ウルティマを覚えていただろうが、その多摩豊の著書でもあくまで3D特化のウィザードリィとの対比を重視している。(「次世代RPGはこーなる!」61ページにギャリオットは3Dダンジョンを初期でやめたと書いており、氏でさえ不適切な認識をしている)

ウルティマが2Dだと思われる経緯は想像はつく。ぶっちゃけウルティマの国内での存在感はウィザードリィより明らかに低いし、僕もちゃんと知ってるとは言えない。特徴はあくまで2Dマップのほうであることはドラゴンクエスト以降の歴史を語る文献でもよく書かれており、実際にプレイしなければ3D部分が目に入ることはない。そしてファミコンでは3Dダンジョンのあるウルティマはプレイできない。←前述の通り間違い。
ドラクエ史も大きな問題だ。
ドラゴンクエストに強く影響を与えたのはウルティマウィザードリィである、というのは堀井雄二側が公式に述べてきたことであるが、
ウィザードリィウルティマも両方3Dダンジョンだったが、あえて切り捨ててウルティマの2Dだけを残したのがドラゴンクエストだったというまわりくどい説明をわざわざすることはなかったと思う。「ウルティマの2Dとウィザードリィの戦闘」という説明をしていく過程で、ウルティマは2Dゲームという意識だけが強められ、3Dダンジョンは忘れられたのであろう。
対して、ウィザードリィドラクエに影響を与えたのは戦闘部分のはずなのだが、ウィザードリィファミコンでも知名度を得て内容は誤解なく伝わり、3Dダンジョンのほうがウィザードリィの特徴として語り継がれていった。

実際はドラゴンクエストウルティマの影響下にある国産・外国産のRPGの影響も受けており、特に影響があるのは「Questron」(クエストロン)というゲームだという。
「竜退治はもうあきた」とドラクエチームから巣立った男がメジャーを目指して26年。流行に逆らい続けたメタルマックスが追い求めたのはドラクエからの自由だった【宮岡寛インタビュー】
>だからみんな『ウルティマ』だ『ウィザードリィ』だと言っているけど、堀井さんが『ドラクエ』を作るにあたっていちばん参考にしたのは『クエストロン』だったんだよね。
どうも堀井さん自身も「クエストロン」の影響は過去に公言していたようなのだが…国内での知名度の低さからか、だんだん語られなくなっていったようだ。

またこれらと別に個人的に考えたいことがあって、他のRPGの影響はいったん忘れて、「ウルティマのマップとウィザードリィの戦闘を組み合わせたのがドラクエ」という単純な説明なのだが、ドラクエ1は言うほどウィザードリィに似ていない気がする
タイマンで交互に殴り合うドラクエ1のバトルスタイルの基本は、むしろ初期ウルティマのほうの特徴ではないか(ウルティマは2体以上に襲われることもある)。モンスターが真ん中に表示される画面構成もウィザードリィと言いつつ、ウルティマの3Dダンジョンのそれと大きく変わるわけではない。

これはGOG.comで配信されているもので86年のバージョンらしいが、ウルティマ1のダンジョンでの戦闘はこんな感じである。ウインドウ化こそしていないが、背景と共にモンスターが中央にデンと出るところはドラクエ1に近い。

ゲームバランスを左右する装備品もドラクエでは敵から拾うのではなく、店で手に入れる。
もちろん戦闘と移動を切り離しているのはウルティマと違うウィザードリィのスタイルだし、魔法や成長システムなどウィザードリィ寄りの成分もあるけど、忠実に再現する意思自体はあまり強くないように思える。
これはファミコンユーザーになじみのないRPGを広めるために簡略にした…という説明もあるし、あるいは別のRPGの影響なのかもしれないが、
ドラクエ1に限った話をすると、ウルティマならともかく、ウィザードリィの影響を公言しなきゃならないほど似てはいなかったのではないだろうか。

堀井雄二ウィザードリィの影響を公言しているのは、ひとつはメディアがドラクエ史を語り始めたのが主にドラクエ3以降だからと考えられる。
ドラクエ2でパーティ制になり、敵の出現数も増えた。ドラクエ3ではよりウィザードリィらしいメンバー組み換え、転職も導入し、だんだんウィザードリィ濃度が上がっていった歴史ははっきりしている。本当はこういうものを作りたかったが、ドラクエ1の時点ではできなかったという説明は辻褄が合っている。
しかしもうひとつは単に堀井雄二ウィザードリィが好きだったということである。
>だって、どう考えても『ウィザードリィ』のほうが面白かったから。
と、みやおうがぶっちゃけているし、それ以前にポートピアに3Dダンジョンと「もんすたあ さぷらいずど ゆう」をぶちこんだ前科もある。
なのに堀井さんはウルティマ寄りのものを作った。でも好きなのはウィザードリィのほうだったとすれば、機会があれば影響を公言したかったはず…
ウィザードリィが特別扱いされているのは、ドラクエへの影響というより堀井雄二個人の愛着がもしかして影響してるのでは…

ようやく話を世界三大RPGに戻すが、ウィザードリィウルティマが特別視されている背景で、ウィザードリィドラクエの原型だから特別というより、単にゲームとして評価されていた。その側面もあると考えられる。
ドラクエ史以外でも、「電視遊戯大全」もウィザードリィが最初のRPGではないことを認識しつつも、そのゲーム内容を、グラフィックのショボさも込みで、妙に高く持ち上げている記述があった。80年代後半あたりはウィザードリィは歴史的作品であると同時に、ゲームとして高い評価を得ていたのだ。

…歴史的カリスマ扱いして不自然な持ち上げ方をしていた印象はないかと言うと、ある。「電視遊戯大全」ウィザードリィの最新作であった#3をやたら高く評価してるのだが、#1や#5ならともかく#2や#3は本当にそんなに良いゲームだったか?という疑問はある。

世界三大RPGがどこの誰の言葉なのかはわからないが、定義が曖昧な中に歴史的評価と、単に知名度・評価の高い作品という両方の意味合いが混ざっていたのだろう。
ウィザードリィウルティマは歴史的な価値を評価して、ゲームの出来なども加味してのことだが、「マイト アンド マジック」がここに含まれるようになったのは、たぶん評価が高かった以上の意味はない。
おそらくそういうことだと思う。

※ところでPLATOの影響については海外でもほとんど知られていなかったようなのだが、その割に日本語の文献から見つかることもたまにあるようだ。
「ウィザードリィがRPGの元祖」と言い出したのは誰なのかしら・破説
こちらに詳しいが、PLATOの存在が全く知られていなかった時代に、PLATOの影響を開発者自ら語っている記事が確認されている。
この発言は埋もれ、どこかで元祖RPGに変化していったようだが、海外ではPLATOのことを語っていなかったのだろうか?
海外の雑誌をひとつも読まず、まったくの憶測でひとつ思ったのは、80年代前半はPLATOがまだ現役で稼働しており、アングラで動いていたゲームの存在をインタビューなどで公言しにくかったのではないかということだ。日本人にならぶっちゃけても構わないからこうして普通に語られている、でも日本人はPLATOをよく知らないのでインタビューに残ったことは少なかった…こういうことはなかっただろうか。

※テンプルオブアプシャイはウィザードリィウルティマよりも売れたヒット作だったらしいのだが、なぜこれの系譜が生き残らず、ウィザードリィウルティマが生き残ったのかは、僕にはよくわからない。
これはロールプレイングゲームサイドを読んでもはっきりしたことがわからない。

※本記事で参考にしたロールプレイングゲームサイドVol.1、ゲーム史研究家のhally(VORC)氏の書いた70年代RPGの記事は非常に勉強になるものだったが、逆に多根清史による80年代国産RPGの記事にはわかる範囲でも不信感を抱いたことを述べておく。
このブログでも以前に氏の連載「ゲーム語りの基礎教養」のファミコンウォーズについて認識のおかしい部分を指摘したが、国産RPGについてもよそのサイトで指摘されていた
僕はPCゲームは全体的に詳しくないのだが、氏のロールプレイングゲームサイドの記事も眉に唾をつけて読まねばならないとは思った。