神殿岸2

2と言っても実質1.5みたいなもの

FF1とドラクエ3とゲーム史

前回の記事の続きになる。

今回扱うのは87年のFF1と、翌年のドラクエ3の話が主。
その前提として、87年あたりのファミコンRPGの状況は前回の記事を踏まえていますが、読まなくても話がつながるようにしたつもりです。
わからないことがあったら、前回の記事を読めばわかるかもしれません。

FF1の発売まで

横浜国立大学の学生だった坂口博信田中弘道スクウェアに参加したのは1984年の春休みのことだった。
彼らはスクウェア初作品である『ザ・デストラップ』の制作を主導することになり、あっという間に中核スタッフへと上り詰める。
そのままPCゲームの制作で実績を重ねていった坂口。バイトでありながらボスという立場のまま、86年時点でもいくつかの有名作を手掛けているが、ファミコンでは苦戦を強いられた。
坂口博信ファミコンデビュー作は86年9月、フォーメーションRPGキングスナイト』だ。まだドラゴンクエストの発売から4ヶ月、ファミコンRPGブームはまだ来ていなかった。そんな時期にRPGへの思いが感じられる作品だ。
キングスナイトは、おそらく開発時にドラクエの影響はまだ受けておらず、当時ブームだったPCのアクションRPGなどを意識したものかと思われる。
(当時のファミコンソフトはカセットの生産に時間がかかった。スクウェアの場合は完成から発売までに3ヶ月程度のズレがあった)
まあ実態はRPGではないのだが、STGと言い切るにもプレイ感の違いがある変なゲームであった。知名度も割とあり、広告も結構打ってたようで(ファミ通創刊号の最初のページで、見開きで広告が掲載されているのが確認できる)、これがきっかけでスクウェアを知った者も割と存在している。
本作をRPGとみなせば、ドラクエ2より早いファミコン初のパーティーRPGの可能性がある。

坂口博信ファミコンではRPGは作れないと思っていたという(=キングスナイトRPGだと思っていなかった)。
それはセーブができないといった性能面の理由も大きい。
その思い込みを、キングスナイトのちょっと前に出たドラゴンクエストに打ち砕かれたと語るわけだが、実際ファイナルファンタジーの開発が本格的に始まった87年にはセーブの問題は解決しており、ROM容量もドラクエ1当時より大きく増加し、性能面でのハードルはずいぶん下がっていた。

かくして十分な性能を得たファミコンで開発されたRPGファイナルファンタジー』(FF1)は1987年12月に発売され、一定の成功を収めた。それはヒット作『桃太郎伝説』の翌月であり、クリスマス商戦にちょうど当たり、発売が延期された『ドラゴンクエストIII』の元の発売日にも近かった。狙ったようにタイミングも完璧だったのだ。
いや、たぶん年末発売は狙っていたのだろう。運が良かったのは、ドラクエ3のほうが遅れてくれたことだ。

FF1のROM容量はドラクエ1の4倍の2メガで、グラフィック用のSRAM(CHR-RAM)とバッテリーバックアップを搭載していた。そのカセットのスペックは翌年2月発売のドラクエ3と同等で、当時のファミコンRPGとしては最高ランクのものだった。
と言っても、87年後半のRPGは2メガが普通だったし、10月の『恐怖のエクソダス』にはバックアップ機能もあった。ここはFF1が飛び抜けていたわけではない。

歴史的評価をしたくない

ファイナルファンタジーが出た87年後半、ファミコンRPGの勢いは既に強まっていた。
その状況にあって、後発のファイナルファンタジーは一定の存在感を持ち、十分な売上を達成。高く評価されシリーズ化への道を進むことになる。

それは時代ゆえの評価なのか?

時代性を考える前に、FF1は今やっても面白いゲームであることは言っていきたい。
そりゃまあグラフィックやら音楽やら、少々古く感じるところはあるかもしれないが、現代文として読めない古典作品じゃないでしょう。たかが35年前のもの、19世紀末に書かれた『吸血鬼ドラキュラ』とかより遥かに新しいし、物語の解釈に大した文化的ギャップもない。
ファイナルファンタジー』の高度な機械文明とファンタジーの融合した世界は、今見ても新しいのだが、だからと言って、当時これが際立って新しかったということでもないはずで。
十分に複雑なゲームシステムに物足りなさを感じることはないし、だが当時として前衛的すぎたということもない。
FF1は当時は面白かっただろうし、今やっても面白いのであり、わざわざ歴史的な観点で「当時としては画期的だった」みたいな評価をする必要は、私はないと思うんですよね。してもいいけど。
現代のプレイヤーでもファミコンのFF1を素直に受け入れることはできると、そのように自信を持って紹介していくべきタイトルではないだろうか。
もっとも、現代のFFを知らない人が基礎知識としてファミコンつないでFF1からやる必要があるかというと、まったくないのだが…
ゲームを知識目的でやるのは、しんどい。

しかし、そうした私の思想は別にして。
またゲーム史本の話になるが、まず「FF1が歴史的に何がすごかったのか」、それを語っているもの自体も非常に少ないというのが、いろいろ見てきて思ったことだった。
それを具体的にする必要は、あるかもしれない。
やってみよう。

FF1の新しいところ

あくまで比較はドラクエ2を中心に考える。
87年時点のファミコンRPGの中で、ドラクエ2知名度は圧倒的だった。FFのユーザーも『女神転生』や『桃太郎伝説』を知らない人は結構いただろうが、ドラクエ2ならだいたい知っていたはずである。そのくらいの格差はある。

FF1は、そのドラクエ2と比べて倍の容量があり、表現力も上がっている。比較すれば以下のような点が優れているといえよう。

  • バッテリーバックアップの採用

前回の記事に書いたとおり、セーブは単に便利な機能では済まない。パスワードの制約から解放されたことで、アイテムの種類の増加、開けた宝箱の記憶、ランダム成長や覚える魔法の選択、シナリオの進行度の保存によるストーリーの複雑化と、あらゆるゲーム内容に直結する。
同期の主だった国産ライバル、ヘラクレスメガテン、桃伝ではまだセーブを採用していない。これらはファミコン最初のバッテリーバックアップである森田将棋よりは後に発売したものであるが、まだ新しい技術だったし、開発タイミングやコストの差などで導入できなかったのだろう。
FF1と同時期のコマンド型RPGに限ると、バッテリーバックアップを採用できたのは海外からの移植である恐怖のエクソダスウィザードリィだけだった。『未来神話ジャーヴァス』はアクションRPGみたいだし、国産のコマンド型RPGという条件ではFF1が最初だと思われる。

  • キャラクターメイクと職業システム

パーティ制ではあるが3人のメンバーが固定されていたドラクエ2と違い、FF1は4人の主人公を自由に選べる方式となっている。
源流の「ウィザードリィ」的なルールへの回帰を、ドラクエ3に先回りしてやっている。
転職システムはないが、クラスチェンジにより、上級職への転職と同じ仕組みも取り入れている。

  • 文字制限が少ない

ファミコンドラクエでは一部のカタカナはゲーム中で使われていなかった。
これは容量の都合という説明がされることが多いが、正しい説明ではない。ファミコンの機能上、一度に使えるグラフィックデータにはどうしても制限があるため、ロム容量がどれだけ増えても全ての文字を使うのは無理があった。4メガのドラクエ4でも、全カタカナの使用は実現できていない。
だがFFはデータの詰め方、VRAMの切り替え方を工夫することで、この無理を1の時点で実現している。カタカナの使用制限は受けていない(はず)。

キャラクター名に使えるのはひらがな4文字だが、濁点には文字数を使わない。FFは文字においては既にドラクエ4よりも上を行っていた。

  • 横画面での戦闘演出

戦闘シーンをアクションゲームのような横向きの視点にし、味方キャラクターも大サイズで4人も表示。攻撃もまだエフェクトの種類は少ないながらも、アニメーションで表現し、装備武器によってグラフィックも変化。
そして地味なことだが、背景グラフィックが地形によって変わる。ドラクエ1には背景があったが、ファミコンの機能上の制約により敵が複数体出現するドラクエ2では真っ黒にするしかなかった。
これをFF1では画面上の狭い範囲のみだが描画するようにして、かなりいい雰囲気を作ることができている。(これをやったことで、モンスターに使える色は制限を受けている)

  • 便利ボタンの完成

ドラクエがメニュー画面を開いて使っていた「はなす」「しらべる」「とる」をFF1は全部Aボタンに統一した。「とる」はドラクエ2の時点で削除していたが、FF1ではもっと大胆に省略。この操作体系は、ドラクエも5以降に後追いで採用している。
またFF1は「扉を開ける操作」も省略し、ぶつかるだけで開く。「鍵のかかっていない扉」もドラクエ4より先に採用しており、建物の存在感を高めている。

  • 飛空艇の登場

FFは1作目で既に地形を無視して高速移動する乗り物が登場し、ドラクエ2の船を超える行動範囲の急拡大、移動時間の大幅短縮が可能になった。
ドラクエ3でもラーミアの登場により同じことが実現されたが、速度に関してはナーシャ・ジベリのプログラムした飛空艇(ひくうせん)の圧勝であった。影まで表示して立体感もある。
FFにはルーラがないが、最終的にほとんど気にならなくなる。

  • バトルシステムの複雑化

FF1のバトルはウィザードリィの影響もかなりみられるが、さらに源流にあたるTRPGから直接影響を受けた部分が多いとされる。魔法、アイテム、モンスターはかなりそのまま持ってきてるらしい。Wizardryにもない特殊な魔法の効果が結構ある。
魔法防御、命中率、攻撃回数と、計算される要素も多くて複雑。
またドラクエウィザードリィにも耐性はあったが、FF1ではより明確な弱点属性も追加した。
計算は後のFFより複雑ながら、「アンデッドは炎に弱い」という非常にわかりやすいルールとなって完成しており、魔法タイプの使い勝手を押し上げた。

参考:

こちらの記事などを参考にしました。
FF大辞典にもD&D由来の記述が多くありますが、ちょっと間違ってるのもあるようなので注意したい。私もTRPGはあまり詳しくないのだが…

  • アイテム管理の変化

FF1は装備の所持制限はドラクエ2より厳しいが、ポーションなどの消費アイテムは99個まで持てる。
この個数管理システムはドラクエ1には既にあったもので、やくそうとカギだけ複数個持てたが、ドラクエ2で撤廃されたものだった。
FFも2で撤廃しているが、3以降は逆に装備も含めて全てのアイテムが99個まで持てる壮大な仕様になった。

  • 主人公ひとりを表示する

キャラクターも移動中は一人だけ表示する形式を採用した。これ自体はPCでは既に見られた方法だが、ハード性能の向上した後のFFでも多くのタイトルでこの方式を採用しており、けっきょくこれがハードの制約と関係なく有効な表現方法だったようだ。
堀井雄二ドラクエ2開発時に当然この方法は知っており、しかしファミコンユーザーを意識してこれを採用せず、全員表示するようにした旨を『虹色ディップスイッチ』で語っている。
逆にずいぶん後の時代、ハード性能の向上したドラクエ8でこれを採用している)

あとは、FFのほうがグラフィックがいいとか、音楽も負けてないとか、探し物がドラクエ2ほど難しくないとか、いろいろあるとは思う。そして圧倒的な印象を与えた映画的オープニング。
深く考えなくても、スラスラ思いつく程度にはFF1の特徴というのはある。

ただ、これらを箇条書きにすることで、ゲーム全体を見通しての評価じゃなくなってしまう感じもある。
ひとつひとつは、今のRPGから見ると別に新しくもない要素ばっかりだし。
「当時としては新しい」という時代性での評価は、「今やると別に新しくない」という意味でもある。
「実際にやってみると今でも面白い」とは対立する概念なのだ。
当時としての新しさに注目すると、それは今やると面白くないものにも見えてしまう。だけど本当の面白さというのは時代で変わるようなもんじゃないと私は思ってるので、新しさの部分だけではないはず。35年くらいのギャップであれば、その考え方でいいと思う。
確かにいろいろ新しいゲームではあるんですけどね。

ドラクエ2より劣ると思われる部分

あくまでドラクエ2との比較を重視し、細かいところも入れる。

  • 城の外からスタートする

ドラクエ1は開発中は城の外からいきなり始まっていて何もわからんテストプレイヤーが続出したという。
だからドラクエは王様の目の前からゲームが始まるように変更したという逸話がある。

だがFF1では初期ウルティマのように問答無用で城の外から始まり、説明は何もない。初期装備もすごく弱いので、そのままでは戦えない。
最初から持ってるお金で、町で装備を買い集めないとゲームにならないぞ。
魔法も装備も最初からたくさん売ってて、何を買えばいいとかのヒントもない。すごく不親切だ。

実のところ「最初に街に入ればよい」くらいは、この時期のファミコンユーザーはもう理解しており、意外に戸惑わなかったのではないかと思われる。万が一ドラクエをやってなくても、どこかで似たようなウルティマ型マップのゲームは見てただろう。
が、最初に買う装備と魔法、何を選べばいいかに関しては、本当にヒントがなく、あまり親切ではない。FF史上でもここまで突き放してるのは1だけだろう。

  • イベント演出が弱い

映画的OPの印象に埋もれているが、FF1のイベント演出はOPとED以外は全体的に弱い。多くのイベントが「話すと文字ウインドウを表示する」のみで終了する。「倒すと自動で第2形態に移行するボス」程度のイベントもない。
ドラクエ2にもある「イベント中に自動で歩くキャラクター」「2ページ以上のメッセージを一度に表示する」程度の演出も存在しない。この結果、某キャラクターが話しながら移動するのがちょっと面白くなってる。

演出は弱いながらストーリー性は十分あったが、主人公の光の戦士たちは無言で、キャラクター性はドラクエ以上に薄かった。
こうした演出部分、キャラクター性が向上し、FFらしくなってくるのも2以降。

  • ゲームバランスが保証されていない

FF1はパーティーの入れ替えができないので、白魔術師4人などふざけたメンバーにした場合のゲームバランスは保証されていない。
まあ、そういうパーティーはかなり序盤で死ぬので、最初からやり直せばいいのだが。
デフォルトは戦士シーフモンク赤魔になっている。魔法役がひとり…そこまできついパーティーではないのだが、これは戦士と赤魔が強いためだ。
FF1のジョブ格差はかなり深刻で、圧倒的に戦士が強い。戦士なしは既に縛りプレイの域である。
というか最初に買える「くさりかたびら」が強すぎる。くさりかたびらが装備できる戦士か赤魔を増やすだけで序盤の難易度が大幅に下がるが、これはこれで簡単すぎになる問題をFF1は抱えている。

キャラクターのカスタマイズ要素も取り返しがつかない部分がある。
FF1で覚えられる魔法の数は有限で、全部を覚えることはできないのに、一度覚えた魔法を忘れることもできない(WSC版以降は忘れられる)。
しかもカスみたいな効果の魔法、バグってて機能してない魔法が複数ある。

  • セーブデータがひとつしかない

バッテリーバックアップの弱点で、セーブデータの個数はゲームによってあらかじめ決められている。
この後のドラクエ3だけでなく、ディスクシステムゼルダの伝説でも3つあったことを考えると、FF1のセーブ1つは当時でも少ない。しかも、FF1は育成ミス等で割とやり直す可能性が高い。これは普通に困る。
あとカセットの貸し借りしにくい問題もあります。

セーブがひとつのRPGというのはこの後の時代にもあるが、FF1に使われている64キロのSRAMSFC時代のFFでも通用するほどの容量であり、セーブ容量が不足していたとは考えにくい。こうなっている理由は不明。

  • 敵のドロップアイテムがない

地味な差で、FF1には敵が落とすアイテムという概念がない(GBA版以降のFF1にはある)。敵の落とすレアアイテムの概念もドラクエ2には既にあるのだが、FF1にはまだなかった。
FFのほうがウィザードリィ寄りの戦闘システムなのに、ここはドラクエより後退しているようだ。

  • アイテムウインドウがない

このFF1には、メニュー画面から選んでキーアイテムを使う場面がある。マップ上で対象を確認しながら使うということができない。不便ってほどじゃないが、メニュー画面を挟んで気持ちがちょっと切り替わってしまう問題があった。
アイテムを使う場面自体が少ないのであまり気にならないのだが、FF2以降はアイテムを使う場面では別にウインドウを開くようになった。やっぱりちょっと問題には思われたのかと思う。

  • 全滅に対する救済がない

ここが当時のドラクエより厳しいポイント。FFはダンジョン内で魔法が切れても死に戻りはできないので、必死で引き返すしかない。
ダンジョンの長さそのものは、FF1ではドラクエ2や3と大差ないと考える。
「全滅のしやすさ」で言うならドラクエ2よりむしろ簡単か?
パーティーによるが。

  • スタッフロールがない

スタッフロールはOPで流れるが、クレジットされているのはナーシャ・ジベリ天野喜孝寺田憲史と、「SQUARE A-TEAM」のみ。坂口博信とか植松伸夫とかの名前は出てこない。
当時のファミコンでスタッフロールがないのは珍しくない話ではあるが、スクウェアだと7月に発売した『クレオパトラの魔宝』にもスタッフロールはあるので、容量の都合か。

FF1は本当に新しかったのか?

本当に87年当時新しかったのかという疑問もある。

たとえば、飛空艇。
船しかなかったドラクエ2と比べ、FF1の飛空艇はプログラム技術、演出レベルは飛び抜けていたが、機能的には初代ウルティマにあったエアカーの亜流でしかない。
ドラクエ2にはまだなかったというだけで、その機能自体は別に新しい発想とは言えないだろう。
ドラクエも直後の3で、速度以外は飛空艇と同等の機能を持つラーミアを出している。これは技術の向上と容量の増加で、エアカー程度の機能を入れる余裕を取り戻していっただけなのだ。
高速で飛ぶ飛行機の入手による圧倒的な開放感!その技術と演出はすごいけど、アイデア自体は、そこまで際立ったものはない。
空を機械で飛ぶイメージも、それ自体はナウシカとかラピュタとかの影響が感じられる。新しいというほどではない。

または複雑なゲームシステム。これもWizardryとかD&Dとかの亜流、ちょっとした新ルールにドラクエ寄りの調整を加えたようなもんで、大きな発明は少ないとみなせる。
あと魔法命中率を軸にしたFF1の難儀なバトルシステムは、今でも理解されてるとは言い難い。それを自然にやってるのも結構すごいんだけど。

あるいは、グラフィック。ドラクエよりすごかった!という文脈で語られることが多いけど、87年のファミコンソフトとしてそこまでぶっちぎっていたかは難しいな…
グラフィックに関しては、ドラクエ以外、アクションやSTGも対象に比較しなきゃならないだろう。リンクの冒険よりは綺麗か?
月風魔伝と比べたらどっちだ?
アニメーターの技能を持つ渋谷員子さんが参加したこともあり、キャラクターのアニメーションはかなり綺麗なほうだったと思う。動きはメリハリがあるし、戦闘中に4人全員が別々のアニメパターンを持つのはドットの出来だけじゃなく、データの詰め込み方もすごい(これは田中弘道の担当と思われる)。
このへんも新しさとして語られることは少ないけど…

魔法全体化やパーティアタック、レベル以外の成長要素など、FFシリーズの定番となる重要なルールは2で追加されたものも多い。

FF1のまとめ

FF1はドラクエより粗いところも結構あったが、当時のファミコンとしては、キャラメイクがあったり、ダメージ計算式が入り組んでいたりと、当時としてはやや複雑なゲームシステムを導入した高度なRPGだった。
やや、ね。

同じ程度複雑なウィザードリィもほとんど同時に移植されてるし、ウルティマ3とかも先に出てる。移植ではないのはそれらと違うが、新しさとなると…
飛空艇が速いとか、見た目の部分しか残らないかもしれない。

ゲーム史本におけるFF1の存在は、グラフィックが綺麗とか、飛空艇が飛ぶとか、オープニングがすごいとか、ドラクエとは違うストーリー性とか、評価点自体はいろいろ書いてあるものあるけどけど、ゲームシステムについてはあまり踏み込んでいないようだった。

これはしょうがないと思う。
ウルティマ型のマップ+ウィザードリィ型の戦闘」という根本的な部分は明らかにそのままドラクエを意識したものだし、その設計自体は尖りすぎてもおらず、極端に珍しいものではなかった。だからこそ普通に受け入れられたともいえる。FF2とはそこが違うわけですね。
当時のファミコン神拳の記述からも、FF1の評価は高かったことがわかっているが、すごく新しいゲームという感じでもなかったのかも、と当時をよく知らない立場からは思うのである。

堀井雄二の予言

別の記事に書いたが、Wii版ドラゴンクエスト1・2・3には貴重な制作資料が多数収録されている
その中に、堀井雄二の書いたドラクエ3の企画書というのがある。おそらく1987年、ドラクエ2の発売後に書かれたものだろう。
ドラクエ1RPGを知らないファミコンユーザーに向けた入門作としていたこと、より高度なパーティ制のドラクエ2へと発達させたこと、そして、どちらも受け入れられていったことを堀井氏は書いていた。

>もはや、RPGはマニアのものだけではありません。
>ゲームの方向性をちゃんと理解させてあげれば。小学生のような小さな子供にも充分に楽しめるゲームです。また、その物語的なゲーム世界性は一般の大人たちにも楽しめるものでしょう。

これほど的確に1987年の状況を記した文章は、他にないかもしれない。現代でもだ。
この時点ではまだドラクエディープダンジョンしかなかったにも関わらず、堀井氏にはRPGファミコンユーザーに受け入れられたという認識があった。そして、それは正しかった。

RPGは、今後増々、多くの人々の間に広がってゆくものと思います。
>そして、よりドラマチックでより高度なRPGがもめられてくるものと確信いたします。
>『ドラゴンクエストIII・そして伝説へ…』は、それらユーザーの期待に答えるべく企画されました。
>制作スタッフ等は前回と同チーム。
>完成・発売は、62年12月の予定です。

ドラゴンクエスト』『ドラゴンクエストII』を狙い通り成功させた堀井雄二は、87年に起きるRPGの高度化すらも既に予期していた。
もちろん、ドラクエ1でパーティを組めないのは制作意図だけでなく、容量の都合などもあっただろうが、容量が増えていくこと自体もたぶん予想できていたのだろう。
※『虹色ディップスイッチ』の記述によると、ドラクエ1は開発中に容量が増えてるそうだ。

そして、この予言通り昭和62年(1987年)12月には、より高度なパーティ制と、ドラマチックな演出、従来と一線を画する物語を導入したファイナルファンタジーが発売し、人々に違和感なく受け入れられた。
ドラゴンクエストIIIの発売がまたしても遅れることまでは、堀井雄二の目を持ってしても読めなかったのであるが、堀井氏が予期していたRPGの高度化、対象としているのは当然ドラクエだけではなかった。ドラクエ以外の高度なRPGの登場も、堀井氏は予想していたものと考える。だからFFも予言の対象に含まれる。
しかし、その中でドラクエ3こそ予言に応えるゲームであろうと堀井氏は考えていた。そしてこれまた狙い通りにドラクエ3を大ヒットさせた。
堀井さんレベルになると、この程度の予知能力は普通にあるものなのだ。

FF1は際立って新しいゲームじゃあなかった。この程度の高度なRPGが出てくることは堀井雄二が予見していたとおりであり、はっきり言って普通だったのだ。
衝撃的なストーリーや演出だって、同時期のいろんなRPGにもそれぞれの衝撃はあったはずだし。
そしてゲームシステムやアイデアの新しさを重視するなら、FF1も結局はドラクエウィザードリィウルティマの亜流にすぎない、新発明はそれほどなく、そんなに大きく扱われるものではないようだ。残念ながら。

この扱いは妥当なように思えるが、この論調には大きな問題がある。
ドラクエ3に新しさがあったのかということである。

ドラクエ3のすごさ

ドラクエ3の特徴といえば、キャラメイクとパーティ編成。それに転職。
でもこれってウィザードリィファミコン版でも前年発売)の亜流だし、ラーミアは飛空艇に負けてるし。
ゲームシステムで評価すると、ドラクエ3が発明したと言える要素は、正直パッと思いつかない。
パーティアタック(滅多に使わない)とか、ザメハとかアストロンとかは新しいか?
細かく見ていけば、結構新しい要素もあるかもしれないけど。
要するにゲームシステムの新しさ、革新的なアイデアイノベーションを重視する「ゲーム史」ではドラクエ3も載せる価値はあんまりないゲームなのだ。
そんなアホな

これは仮定の話ではない。実際にドラクエ3をまともに扱っていない「ゲーム史」は複数存在しているという意味である。それも一冊や二冊ではない。全部、とは言わないが。

ドラクエ3は何がすごかったのか。システム、ゲーム設計の新しさという点では、ドラクエ3はFF1と比べても目立って新しいことはないと思うのだが、ドラクエ3ほど売れてくるとまたスケール感が違う話になる。
ドラクエ3の最終出荷数は380万本とされる。FF1の出荷数は52万本とかいう話なので実に7倍以上の戦力差がある。
88年当時ドラクエ3を購入した推定380万の中には、ウィザードリィもFF1も知らないユーザーが軽く200万人くらいは見込まれる。そのくらい桁違いなのだ。
81年のWizardryにとっくに存在していた転職も、ほとんどのユーザーにとってはまだまだ新しいシステムとして認知される。発明とまでは思ってなかったとしても、新しかったのだ。

最初の『ドラゴンクエスト』は、ファミコンRPGを持ち込んだことが異例だったのであり、ゲームの作りそのものの新しさは少なかった、というのはよく言われてることだ。
多くのゲーム史本でドラクエ1を載せている理由は、RPGファミコンユーザーという巨大な層に普及させた功績を評価してのことである、という言い方になる。
だが、その言い草であれば真に重要なのはドラクエの売上が第1のピークに達した3のほうだ。このとき、ファミコンRPGユーザーは先々代ドラクエ1の倍以上にまで増えていたのである。
初期ドラクエのすごさは、3作まとめた歴史として評価されるべきではないだろうか。
ドラクエが天下を取ったのは1988年だドラクエ2でさえファミスタを少し上回る程度だったが、3ではスーパーマリオに対抗しうる存在にまで成長し、初日だけで100万本を出荷し新聞にも載るしテレビにも出る。
この歴史上に残っている大事件を、歴史書で載せないというのは一体どういうものなのか。

売上が全てだとは思わない。だがドラゴンクエスト3は実際内容も圧倒的なゲームだった。「ウルティマのマップ+ウィザードリィの戦闘+堀井雄二の手腕による優れた物語+初心者が説明書を読まないでも対応できる内容」というドラクエ1で作り出した基本路線、それをより高度な内容に高め、極めて理想に近い形で結実させた。ドラクエ2と違い十分な開発期間を設けてゲームバランスも理想的。
謎解きもそこまで難しくなく、ドラクエ3は高度な内容でありながら、これまでよりも親切なゲームとして受け入れられたのも見逃せないところだ。何しろ比較対象がドラクエ2だったから…
複雑化したゲームシステムの説明も、セリフでちゃんとしているから、説明書もいらない。親切さという点では、前年のファミコンRPGと比べてドラクエ3の圧勝だった。

この高い完成度、高度な内容に、その内容に相応しい圧倒的な売上が合わさったことで、ファミコンユーザーにRPGが完全に普及した。これはドラクエ3の功績ではなかったのか。

ゲーム史のバランス

380万本という数字は、もっと深い問題がある。これはドラクエ1が「ファミコンRPGの概念をもたらした(最終値で150万本。初年度はそこまで売れてない)」の倍以上であり、これファミコンがどうのこうのの問題じゃなく、ドラクエ3RPGの概念をもたらされたユーザー」のほうが純粋な数で勝ってないか?
ドラクエ2の出荷数(240万本)との比較や、再出荷や中古やらでバランスが崩れるので、断言はできないが…3からの新規客だけでも、ドラクエ1と同規模程度は軽く見込まれる。

このスケール感の違いは、非常に厄介な話になる。
たとえば「ドラクエみたいなファンタジーを日本にもたらしたのがドラクエ」という大言を考えてみる。86年あたりまでのファンタジー作品と比べると、ドラクエ1の存在感はそこまでではなかったと思うのだが、380万本売れてると話が違う。
ドラクエ3のレベルになると、実際にファンタジー作品になじみのなかった層、ファミコン自体すらよく知らない層もかなり買っていたはずだ。
ドラクエみたいなファンタジー」という雑概念が生まれたとすればおそらくこのときであって、これ以降、または過去の作品も含めて「ドラクエみたいなファンタジー」に吸収されてしまうわけである。

また、『ファミコン10年!』という昔の本(94年)の記述。「『ドラクエ』伝説にはかなり尾ヒレが付いていて」「発売と同時に爆発的な人気が出たように思われていますが」と、ドラクエ1の記憶が薄れた伝説が発生していることを書いている。ドラクエが10周年にも達していない94年ですらそうなのだ。
ドラクエ3以降のイメージでゲーム界がまわりはじめていたことは、早くも危惧されていた。そして「ドラクエ1ばかりを強調するゲーム史」は21世紀にも存在している。

もちろん、今でもドラクエ3を載せてるゲーム史本はある。しかし内容・普及度合わせてドラクエ1と同レベルできちんと論じてるものとなると…今回、大雑把に見た範囲では見あたらなかった。
なんかドラクエは1で完成してるみたいに思われてて、現在の本だとFF1と同じくらいの扱いで少々言及があるくらいで終わってるというのは、割とよくあるパターンだ。

前述の通り、FF1の功績が何なのかもかなり難しい問題なのだが、今となっては「FFブランドの始祖」というそれ自体が功績なので、FF1は何となく触れちゃう頻度は高いようだ。
そしてPSまで扱ってる本だとFF7は載ってる確率は非常に高いが、ブランドが大幅に成長したFF6までの期間はあんまり詳しく書いてなかったりする。
さらに87年当時、FF1よりかなり売れてたはずの桃太郎伝説に至っては、名前すら載ってないことが多々ある。

ゲーム史のバランス感覚が、私にはわからない。
どこに基準を置けばいいのか。始祖なら偉いのか、売れたら偉いのか。どちらの基準にも寄り添わず筆者の我道を通すのが正しいのか。
ひとつ思ったのは、現実のバランスが悪いということだ。いくらドラクエ3が面白いと言ってもFF1の7倍の差というのは、そこまでか?
ドラクエは面白さ以前に、相当売り方がうまかったはずであるし、わけのわからない力に後押しされていたこともある。これが社会現象ということだ。

この社会現象というのもバランスが悪い話で、ドラクエ3の最終出荷数は実は同じ88年のマリオ3と同じくらいなのだが、マリオ3の行列が新聞に載ったりテレビで取り上げられたという話は聞いたことがない。探せば載ってる媒体もあったかもしれないが、マリオ3ドラクエ3ほど一般メディアで報道されちゃおるまい。
何らかのめぐりあわせで、同じ程度の売れ方なのにドラクエだけが社会現象になってしまった。
マリオ3がいつまで再販してたのかはよくわかんないが…
(前回の記事に書いた通り、ドラクエ3は89年以降再販してない可能性がある)

FF1だってそうだ。52万本売るのはそれまでのスクウェアの実力の評価だけでなく、ドラクエのおこぼれという側面であったり、営業力の問題もあったはずだ。
坂口博信はFF1の初回出荷数を40万本にしろと主張したらしい。そこから再販で12万本ほど増えたようである。決して圧倒的なヒットではなかったが、やはり52万は多い。
当時のスクウェアには元ヤナセの営業だった斎藤哲という人がいたそうなのだが、この人の頑張りこそスタッフ以上に大きかったんじゃないか?
斎藤氏が問屋に対する不満を語っていた話など、もはやゲームの面白さの話ではないし、だが面白いゲームを作っていることがわかっていたから斎藤氏も頑張れたのだろう。
だがスクウェア設立初期のメンバーであり、当時会社のナンバーツーだったという斎藤氏の名前は、坂口博信寺田憲史が少し言及しているだけで、他のどんなゲーム史でも見たことがない。その名を残さなくていい人物なのか。

バランスのとり方がわからない。バランスを取るという発想自体がドラクエ的だが。
私は売上から見た存在感で、87年のRPG史のバランス感覚に疑問を投げかけることはするが、だからと言ってどうすればいいかという結論は持っていない…
私はゲームの歴史を語りたい人間ではないし、そんなに詳しいほうでもないからだ。

ただドラクエ1をゲーム史上での功績という点で評価するなら、ドラクエ3は同じ規模で扱うべきであろうということだけ、ここで主張しておきたい。
ドラクエ3を歴史に載せない理由を探すと、ドラクエ1を載せる理由も「特別扱い」以外に見当たらなくなるのではないだろうか。

次の記事の話

言いたいことはだいたい言ったので、この記事で終わってもいいのだけど。

次の記事は主張ではなくFF1の開発経緯を詳しく調べることにする。いろいろ調べてるうちに、その開発期間が半年にも満たないという話が出てきた。
ドラクエ2より短い開発期間で、ドラクエ2の倍の容量で、部分的にドラクエ3を超えてるすごいRPGを、しかも企画の中心スタッフに河津秋敏石井浩一という二人の新人がいるという状況で作られたのがファイナルファンタジーだった。
おかしくね?
FFがなぜ躍進していったかのヒントはここにある。これを次回は探っていきたい。

補足

  • 吸血鬼ドラキュラ

1897年のブラム・ストーカーの小説『吸血鬼ドラキュラ』は、ファミコンユーザーの大好きな『悪魔城ドラキュラ』の原作というか翻案元というか、これは立派にゲームと関係のある作品だ。
19世紀末という時代性を反映し、近代イギリスの法律にスムーズに適応したドラキュラ伯爵に対して、こちらも近代技術で対抗するという側面があり、当時最新機器の蓄音機が記録を残す重要アイテムとして出てくる。
さすがに現代人が読むには文化的ギャップがある内容で、吸血への対抗手段として輸血をする描写があるが、当時は血液型が発見されていないので今読むと完全に怖い描写になってる。このことは最新版(角川文庫 2014年)の訳者の田内志文さん(シモンさん!)も書いている。
いやしかし、ブラム・ストーカーも輸血が安全になる未来を夢想していたのかも…?

  • 混沌の産物

悪魔城ドラキュラ』の11世紀から21世紀まで幅広い時代が舞台だが、時代や土地の背景にお構いなしにカレー、ラーメン、寿司などの食品がどこでも出てくる。
その中で15世紀が舞台の『闇の呪印』では、珍しくそのへん気にしていたようで、歴史上は発見されていないアルミニウムが錬金術師の間で知られる素材ということになっていた。こういう配慮は面白い。

15世紀当時はハンバーグがまだ存在しないので、「ハンバーガー」に使われている肉もタタールステーキだったのだ。
そういう問題じゃねえわ。

『吸血鬼ドラキュラ』にも伯爵が料理得意という描写があり、無駄に多い食品は案外原作を尊重してるのかもしれない、などと思ったりもする。

調べているうちにわかったのだが、桃太郎伝説の売上は100万本とされている。前回の記事に書いた通り、この数字はCESAゲーム白書未掲載であり、正確な数字ではないのかもしれない。
まあ、大きく違うこともないだろう。
だから桃伝は推定でFF1の倍近く売れている。FF3が出るまでは、ファミコンRPGとしてドラクエに次ぐ最大級のヒット作だったはず。

それで思い出したのが、別の記事で少し書いた多摩豊の『テレビゲームの神々』という本だ。ゼルダドラクエと並んで桃太郎伝説を扱っている本で、FFはドラクエ3の話題でちょっと名前が出てくるだけ。
なぜこの3シリーズなのか読んだとき不思議だったのだが、これは単に88年時点のファミコンRPGのトップ3だったのである。(それで本書の内容が89年あたりまでの情報で書かれていることに気づいた)

今回の記事で桃伝を大きめに扱っているのは、この経緯によるのだが、私自身はちゃんとプレイしたことがないので、あまり細かいことは書けないのは申し訳ない。飛空艇以上の高速移動とか新しいこともやっているのは知っているが、現在の本ではほとんど載ってないですね…

  • RPGはマニア向けだった」

上記ドラクエ3の企画書にもみられる記述だが、これ堀井雄二が言ってた話であって、しかも当時の堀井さんの言う「マニア」が現在とニュアンスが違うんじゃないかなあという感じは、かなりある。

現在でも、「ドラクエによってRPGをマニア向けから一般層に広まった」みたいな言い方をしている媒体はかなりあるが、堀井氏の発言とのニュアンスの差は、ちょっと意識しておく。
87年の堀井的には「PC持っててゲームやってる」程度で十分「マニア」という認識だったのだろうが。

参考文献

上記で上げたもの以外。

  • 電脳のサムライたち4 ゲーム創世記 神クリエイターたちのゲーム創作秘話4

『ゲーム大国ニッポン神々の興亡-2兆円市場の未来を拓いた男たち』という古い本を分冊した電子書籍の4冊目。
FF1が52万本と書いてあった。しかし本書ではFF1の開発期間は1年とされているが…?
この謎は次の記事で扱う。

  • ルーカスを超える―アニメ・ゲームビジネス創作術

寺田憲史の自伝に創作論を絡めた本。FFの話も書いている。寺田氏はスクウェア営業の斎藤哲氏の高校の友人ということで、斎藤氏こそが寺田憲史をFFチームに紹介した人物なのだ。
斎藤氏と現場との距離感もわかる興味深い内容。

FF1の40万本の話はこの記事。ここに出てくる「営業担当の取締役」というのは斎藤氏かと思われる。

インタビューの3年前に斎藤氏の還暦を祝っているツイートがあった。

他にもいろいろ読んだけど、スクウェア関係は次の記事で詳しく述べる予定なので、省略させていただきます。

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