神殿岸2

2と言っても実質1.5みたいなもの

『ファイナルファンタジー』タイトルの由来・いまさら

ファイナルファンタジーというタイトルは、坂口博信が最後の作品であるという思いを込めてつけたもの、という由来が語られることがあるが、
これは事実ではなく、実際は略称を『FF』にしたかったからである。

坂口博信は、そう言ってる。このことは複数のインタビューで言ってきているけど、例としてここ。

略称をFFにしたかったことと、「ファンタジー」であることは決まっていた。それで『ファイティングファンタジー』に決まったのだが、この商標は使えなかった。
で、ファイナルファンタジーに決まった。
このインタビュー(2017年)の時点ではまだ広まってないとぼやいてるが、現在はもう広まってて有名な話ですね。

この経緯は、当事者だった田中弘道河津秋敏も証言している。

『FF』もう一人のキーマン田中弘道氏(中)(アーカイブ)

田中氏は同時期に『メット・マグ』『ディープダンジョン』『JJ』『Rad Racer(ハイウェイスターの英語名)』と、アルファベット2文字のものがいくつかあり、これに合わせたい意向があったようだとしている。
キングスナイト』(King's Knight)もそうかも。
※記事では間違えてますが『とびだせ大作戦』の英語タイトルは『3-D WorldRunner』で、『JJ』は日本でしか発売していない。

河津秋敏によると、やはり条件は「略したときにアルファベットが2文字重なる」「ファンタジーだったと証言(TRPG好きの河津氏が2文字タイトルを支持した可能性は高い)。
とはいえ、坂口さんがいきなり持ってきたファイナルのタイトルには驚いたようだ。どうも考えたのは坂口博信なのだと思う。

ファイナルファンタジー』は略称を『FF』にしたかったからつけたタイトル。そして深い意味も込められていない。

>坂口氏は「確かに当時は背水の陣だったけれど、Fで始まる単語ならなんでもよかった」と、その説を否定した。

明確に否定されている。

もちろん、これで話が終わるならこの記事を書く必要はなかった。
この情報は明確な否定があると同時に、明確な発生源もある。

こちらのブログでも紹介されているが、ひとつはCONTINUE誌の2005年の坂口博信のインタビュー。このインタビューは『ゲームの流儀』(太田出版 2012年)という本になって再録されている(こちらではp69)。
FF1の前の坂口博信ファミコンで苦戦していたのだが、このときまだ大学に籍があり、「次のゲームがダメだったら大学に戻ろう」と思っていた。「自分自身のファイナルなゲームにしよう」と、はっきりと言ってる。
しかも、このインタビューではファイティングファンタジーにする案があったことと合わせて言及している。

まだあるぞ

日本弁理士会の広報誌「パテント・アトーニー」というのがバックナンバーも公開されてるのだが、リンクされてないバックナンバーの2001年の21号(pdf)
ATBの特許の話だが、こんなところで坂口博信が語っている。
「大学生の頃、色々なゲームを開発しました。しかし、何をやっても売れなかったんです。これが最後の夢だ。そう決め込んで世に送り出したのが、ファイナルファンタジーです。」
はっきり言って…ないのか。ファイナルだという覚悟はあったが、「ファイナルの意図を込めてファイナルファンタジーにした」とは、言ってない…のかなこれは。
いや言ってるだろう、これは?

要するに現在の坂口博信が否定している情報の発生源は、過去の坂口博信である可能性が高い。
で、これは過去の発言のほうが信用できるかと言うとそんなことはない。特に古い発言はインタビュー用に作ったストーリーという可能性もあるし、インタビューの編集時にちょっと内容が変わっちゃってるのかも…
周囲の証言から出てこないのも、これがファイナルだという意図を聞いたことがないのだと考えられる。そんな意図は最初から込められていないのではないかと。

だが、坂口博信がFF以前のファミコン時代に自信を失っていたのは、これは作った話ではなく、おそらく事実である。

また何度か引用してきたが『電脳のサムライたち4』(リンクはBookwalkerにしておくけどKindleなどにもあります)。もとは2000年の本。
14章の最後のほう、ファミコンでの事業が上手くいかず大ピンチだった87年ごろのスクウェア
坂口博信がFFの前に作った3作品(キングスナイト、とびだせ大作戦、ハイウェイスターのことだろう)について、そこそこ売れたものもあったとしながらも、三作ともつまらない、失敗作と言っている。
※ハイウェイスターは北米でFF1より遥かに売れている。
これで坂口博信は自信を失い、ゲーム業界を去って大学に戻り、一からやり直すことを考えていたと、本書のインタビューではそのように言っていた。
なお、本書ではファイナルファンタジーと名付けた経緯は言ってません。
(あとがきによるとインタビューはまだ坂口博信スクウェアにいた1999年の10月実施)

つまり。
最初に「ファンタジー」を入れた『FF』にすることが決まっていた。これは坂口博信以外からも証言が出ているし間違いない。そして最初はファイナルではなかった。
だが一方で、坂口博信がこれを引退作にするかもしれない覚悟をしていたのは、それは本当だと思える背景はある。これも複数のインタビューで続けて言ってきたことであり、作り話とは考えにくい。(周囲にはそのことを言ってないかもしれない)
ファイナルファンタジー』のタイトルに、その意図を込めていたかは別だ。『ファイティングファンタジー』であろうと、背水の陣の覚悟は当然あっただろう。

寺田憲史の著書『ルーカスを超える』によると、ファイナルファンタジーはタイトル通り続編を作る気がないのだと聞いたらしいが、これも信用できる。FF1はもとより続編を作りやすいストーリーになっていない。最初から一作のつもりで話を考えているだろう。
このときシリーズ化に前向きだったのは寺田氏のほうだったという。
(別の情報で、坂口博信は1の制作中にも2のことを考え始めていたと伝えているものもあるのだが、だとすれば寺田氏が話を聞いたのは開発の比較的早い時期なのだろう)

ただし、寺田氏は「今から考えれば、当時のスクウェアの体力でははじめからシリーズにするなどという発想は持てなかったのかもしれない」とも言ってる。

ここまではタイトルを考えたと思われる坂口博信の周囲を追ってきた。坂口博信は、現在の通説に反し、自分にとってのファイナルだったと思ってタイトルを考えた可能性はやはり残ると言わざるを得ない。情報源は本人。
しかし、それは坂口発言を読者やインタビュアーがそう受け取ってしまっただけで、本人は元からそのつもりで発言していない可能性もある。
だが真相がどちらにしろ、坂口博信が過去に言ってきたのはゲーム業界を去ろうとしていた話であり、それは会社の事情とはまた別だ。

『電脳のサムライたち4』で本書発刊時の社長で、スクウェア初期メンバーの鈴木尚が言っている。
>「これが売れなかったら会社を畳もうかと、そういう話さえ出ていた中でできあがったのが『ファイナルファンタジー』なんです。ぼくらにとっては文字通り最後の夢であり幻想だったんです」(鈴木)

坂口博信がタイトルにどういう意味を込めていようが、あるいは何の意味も込めていなかろうが、スクウェアが傾いてたのは事実であって、経営側の鈴木尚にしてみればこれは文字通りファイナルだった。タイトルをつけた人がどう思ってたかは知らんが、会社はこれがファイナルだという覚悟を持ってました。そうとしか言いようがないだろう。
最終的にタイトルを通したのは会社のほうである。

この本には、この件がファイナルファンタジーの由来だという明言はないのだが、時期的にも説の発生源としては有力だと思う。
そして、実際その思いを込めていた人が坂口博信以外に何人かいてもおかしくない。そうでしょう。

最後に植松伸夫の証言

>植松:おそらく坂口以外のメンツは「ああ、これで会社終わりだ」って風に思ってたんじゃないかな。

坂口さんだけは違ったのか。会社がダメになってる中でかなり自信を得ていた様子が伝わってくる。
立ち上げ時はともかく、坂口博信はかなり途中からファイナルという意識が抜けていたようだった。

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例によって今回もスクウェア情報に詳しいスベアキさんの集めている情報を参考にしております。今回はすぐ手の届く情報だけで書けましたが、他にもこの件に言及しているインタビューはあるようです。

パテント・アトーニーのバックナンバーについては、以前は別のURLで公開されてたようなのですが、今はリンクしているところが見当たらず、pdfに直接リンクしました。
なんでこんなふうに残ってるのか謎なのですが、こちらの記事からリンクされていたのを見つけたので使わせていただきました。

ATBの特許の話ですが、これも大変興味深い内容です。