神殿岸2

2と言っても実質1.5みたいなもの

雑記 ゲームハードわからん1997前後

本記事は「私がどれだけわかってないか」を確認するためのものです。

間違いは書かないように気をつけてますが、わからん部分は正直にわからんと書いています。

1994年11月、セガサターン発売。12月、プレイステーション発売。いわゆる次世代機の登場。

任天堂と関係が強いと思われていたスクウェアのプレイステーション参入が伝えられたのは1996年(のはず)
第一作は8月発売の『トバルNo.1』。

なぜスクウェアはNINTENDO64に参入しなかったのか。理由は1つではないと思うが、最も重要と考えられるのは任天堂の新ハードがCD-ROMではなかったことだ。

既にスクウェアのゲーム開発には大容量が必要だった。もちろん任天堂自身は64のROM容量で多くの名作を完成させたが、スクウェアは耐えられなかった。64のROM容量はSFCより格段に大きいのだが、まだCDのレベルにはまったく届いていなかった(64DDでも足りない)。それに表現力が上がったことで容量も余計に必要になる。

97年。スクウェアは、ファイナルファンタジー7を発売する。本作はCD3枚組の大作となっている。1枚ではない。

SFCはなんとか持ちこたえていたスクウェアだが、FF7はCDでも既に足りなかった。

CD-ROMを採用した世界初のゲーム機であるPCエンジンのCD-ROM2が発売したのは1988年の12月。その容量は当時主流だったファミコンカセットの数百倍はあった。当時のゲームでこの容量を使い切れるようなものではなく、ゲームによってはCD音源の音声に多くの容量が使われた。

しかしそれから6年経って、ゲーム機の性能も上がっていた。特にプレイステーションのような次世代機には動画再生機能があり、これがかなりの容量を使う。(PCエンジンも末期にhuビデオ?という動画圧縮技術があったらしい。メガCDも動画を使うゲームはディスク2枚組のものがあったという)
ここまで考えて書いたのが去年の雑記。

FF7を作るにはポリゴンが使えるだけでは足りなくて、高度なプリレンダCGによるマップ描画と、ある程度のムービーシーンが必要だったが、CD1枚でそれを表現するのは既に無理だった。
つまり、プレイステーションは、容量についてはかなり最初から十分ではなかったと思われる。しかし、この時点でCDより優秀なメディアはなかった。

FF7に必要だったのは、SFC以上の映像表現。ポリゴンだけでなく、あらかじめレンダリングされたCGを画面いっぱいに出せる機能(SFCではこれ自体も厳しい)、CGムービーを再生できる機能、そしてそれらを扱える大容量メディアの全てだ。
NINTENDO64には容量だけが欠けていた。(64にも一定の動画再生機能はあるようです)

しかし、これらはたぶんセガサターンにもあるよなという疑問は残る。なんでスクウェアはサターンじゃダメだったのだろう?いや他のハードは?

スクウェアは実際NINTENDO64の可能性もギリギリまで探っていたと見受けられる。FF6のキャラクターを使い、任天堂の次世代機を想定したと思われるCGデモを95年ごろに制作し、ゲーム誌などに公開していた。それはとっくにプレステもサターンも発売している頃の話だ。正確な製作時期は知らないが…

このデモの前後あたりで、CDを求めるスクウェアはソニーかセガか、おそらく選んだのである。他のライバル、3DO、PC-FX、あとアタリジャガーなどは、性能以前に95年時点で既に敗色が濃厚であったのではないかと…

サターンはそうではない。プレイステーションに性能で負けてるという印象は一般的にはなく、販売台数もむしろ勝っていた時期があると。

スクウェアは、なぜセガサターンを選ばなかったか。理由の一部は坂口博信が語っている。

>う~ん、やはり肝心なところのスペック部分ですよね。僕らにしたら「ここがポイントじゃないか」っていうのがあるわけですよ。

ひとつはやはりスペック、機能の問題。
またセガはスクウェアの要望をあまり聞いてくれる感じではなく、ソニーはそこは違ったと。
しかしスクウェア参入時点では既にプレステは完成したハードだったので、そこらへんどのように要望を聞けたのかはよくわからないが。

性能的には実際どうなのかと言えば、サターンは半透明ポリゴンが使えない。いや、正確には何かやり方によっては使えるらしいのだが、一般的には使われていない。するとFF7の一部の演出はサターンでは表現できない。
まあそれは些細な問題であって、仮にサターンに決まっていれば、サターンの性能に合わせたFF7というのも作られていただろうが。
プレステに特化して作られたFF7を、サターンにポンと移植するわけにはいかなかったはずだ。

サターンのポリゴン性能自体が劣っていたのかついては、僕にはよくわかんない。四角ポリゴン(台形ポリゴン)だったという話は知っている。サターンのポリゴンは、もともと2Dハードとして作られていたサターンの機能である変形スプライトによって表現されたもので、一般のポリゴンは三角形の多面体であるのに対し、サターンは四角形だった。伸び縮みするときの歪み方が普通のハードと違い、扱いが良いところと悪いところがあるらしい。
これはスプライトであり「擬似ポリゴン」だというものもいるが、技術的には立派にポリゴンでしょうと言う人もいる。ポリゴンだと思うが、よくわかんねえ。

>中氏はハードの思い出話を披露。セガサターンは“最強の2Dハード”と呼ばれているが、3Dポリゴンは本来表現できない機種であったため、 “スプライト”と呼ばれる映像技術により擬似的にポリゴンを表現した

中裕司は擬似的という言い方をしてたようだ。

サターンが設計段階では2Dに特化しながらけっきょく3D機能に動いたという経緯がいろいろ使いにくいところにつながったようだが、とは言っても発売する頃にはバーチャファイターも用意できており、時流が3Dに向いていることはセガはちゃんと理解して間に合ったのだ、というふうには思う。そしてサターンの代表的なゲームの多くはやはりポリゴン。

しかし、実際サターンの2D性能ってどんな感じだったんだろう?

実のところプレイステーションは十分な2D性能を持っていた。ローンチに極上パロディウス(アーケードの稼働開始も94年!)があることではっきりしている。
プレイステーションはポリゴンを重視するハードながら、スーパーファミコンよりずっと上の2D表現ができた。これはポリゴンを擬似的なスプライトとして使うことで何か上手く行ってるようなんだが、技術的な詳しいことは知らない。

2D格ゲーの移植ではアニメーションが削減されるなどの限界もあったが、プレイステーションは当初からスーパーファミコンの数ランク上の2Dゲームを出せるハードであり、別にポリゴンに走らなかったメーカーにとっても十分魅力的なものだった。
サターンはどうなのだ?
サターンの2Dゲームって、代表はなんだ?

セガサターンは『ヴァンパイアハンター』の良好な移植がされたとはいう。これは『ヴァンパイア』の移植が遅れたプレイステーションより上だった…のだが後期は格ゲーの移植には拡張RAMが必要な状態になっていた。格ゲーはアニメーションのコマ数が重要なので、けっきょくハード性能というかメモリの問題になっていたようだ。
サターンは拡張機能はあったが、本体だけでは格ゲーの移植のような偏った需要に対しては十分な性能とは言えなかった。プレステもサターンもどちらでも足りなかったのだ。

逆にプレイステーションには『月下の夜想曲』のような2Dアクションの傑作もある。サターンも月下が移植されたりロックマンなどがほぼ同時期に展開したりと2Dの強さを見せているが、ロックマンX4が動くプレイステーション以上の2D性能を、当時のメーカー側も、格ゲー以外でそこまで必要なかったんじゃないかとも思える。
テイルズオブエターニアのような2Dに比重の偏ったRPGもプレイステーションで発売された。

サターンからプレステの移植で演出が低下した例としてはグランディアがあるそうだ。やはり2Dはサターンのほうが強かったというのはそうらしいのだが、その差を体感できる事例ってあんまり知らないなあということを思った。

他のハードの2D性能はどうなんだろう?
N64はサターンと比べると高いのか?
3DOやPC-FXは?
このあたりは正直全くわからない。スパ2Xとサムスピが動く3DOは2D性能は十分あったという気はする。比較してる動画を見ると3D性能はどうもだいぶ劣るっぽいのだが…
PC-FXは3Dを切り捨てたハードだが、2Dはどうだったんだ?
正直なところ3DOもそうだが、FXの敗因はハードの性能以前のところにある気がしてならない。しかし性能面でも別に戦えてはいなかっただろう。
動画ゲームの記事に書いたとおり、CDは動画を扱うにはそもそも厳しいメディアであり、動画再生に優れるFXでも別に十分だったはずがないからだ。

その点ではプレイステーションも、当時としては最適に近いハードではあったが、FF7のポリゴン表現は当時でも不満がないとは言えないものだ。キャラクターは綺麗だが敵モンスターの造形はゆるめ、移動画面は視点も動かせない、CDの枚数も多すぎる。
当時としてはすごいほうだったとして、機能が足りていたわけではなかった。十分ではあった。

97年時点ではCD-ROMより優れたメディアは存在しなかったし、CDの容量で耐えきるにはハード性能もプレイステーション程度が限界だったのかもなあということを考えた。

雑記 気軽にロストするメディア

雑談。

サイヤ人絶滅計画の話を書いてて思い出したんだけど、テレビアニメ『ドラゴンボール超』の最終話に続きがあったのをご存知だろうか。映画や漫画の話ではないよ。

だいぶ前のアニメなのでラストシーンは説明してしまうけど、

TV版は悟空とベジータが戦い始めるところで終わってる。これが2018年3月の放送。

数ヶ月後。7月に東芝冷蔵庫VEGETAが『新鮮★5つ星VEGETAキャンペーン』というのでドラゴンボール超とコラボした。

これが何回かベジータさんとコラボしてる冷蔵庫で、アニメも何回か作られたんだけど、この年のやつは従来のコラボCMとは一線を画しており、TV版の続きのストーリーとして作られていた。「続きだ!」とベジータが宣言し、悟空と戦いながら冷蔵庫のCMに移行していくという内容。

というのがあったんだけど、もう削除されててリンク切れ。アニメ本編と直結するコラボというのはたいへん珍しく、正規の視聴手段が消えてしまうのは苦しいなと思う。

2018年の3月にも、ドラゴンボール超は花王とコラボしていた。

もちろん消えております。

初代ブルマ役の鶴ひろみさんは『ドラゴンボール超』放送中の2017年11月に亡くなった。アニメの前半はレギュラーキャラとして登場していたのだが、力の大会が始まって以降は出番がまったくなく、そのまま再出演がかなわないままとなった。
2018年2月には久川綾さんが後任となることが発表され、同時に本編では生前の鶴ひろみさんの演じたブルマを用いたライブラリ出演が行われた。
そしてこの花王のCMは、久川ブルマの初公開となる映像だったのだが、もちろん消えました。

んあー。

以前書いた記事で、81年のDr.スランプの前はジャンプ作品のアニメ化は途絶えており、73年の侍ジャイアンツまでさかのぼるということを書いたが、実写化はいくつかあったというのもわかっている。
そのひとつが1977年の実写こち亀だ。これは現在では視聴手段のない幻の作品となっている。

VHS化されている、と言われていたが実物が出回った形跡がないとのこと。

これが載ってたロストメディア日本語非公式wikiというの、いつ誰が作ったものかよくわからないが、かなり興味深い内容。

こち亀映画は2006年にオープンしたMOVIX亀有で上映されたという記録が残っている。それから20年近く経ってるが…フィルムは現存するのだろうか?
その後の上映情報は見つからなかった。

ロストしてないメディアの話をしようか。

コナミが2007年にやってたスカイガールズというアニメのことはもちろんご存じであろうが、実はこれにも後年作られた新作映像が…

これは実際に見てもらうのがいい。

まず前提としてスカイガールズのDVDには「釣りバカ瑛花」さんという世界観を無視した新作アニメが収録されていた。
そんなスカイガールズは2013年にパチスロ化して結構当たったようなのだが、2016年になってこのアニメが作られた。完全に当時と同じクオリティの完全新作。藤原啓治さんもご存命の頃…

公開日はエイプリルフールになってるが、どういう経緯で発表されたのか知らねえ。結果は完全新規アニメなのに最大値でたった50000再生⋯
スロバカたちも見てないし、元の視聴者も見てない。どこで宣伝したんだよ。

コナミはともかくコナミのパチンコ部門なんていつまであるもんかわかんねえ。この動画も顧みられることないまま突然消えちまうのではないかと気が気でならない。かつて悪魔城公式サイトに蔓延していたしずもんの漫画のように…(しずもん氏は2025年現在まだコナミにいるのか定かでないが、パチンコ系のサイトでときどき漫画を描いてたのは知ってる)
一部はドミナスコレクションで読めるようになったけど、HDのしずもんの漫画は散逸してしまった。セリフを選んでいたのか。

スカイガールズというとOVA版を見たことがない。見る方法が残ってるのかも知らん。
おとぎ銃士赤ずきんのOVA版も見てない。前にPS3のストアで配信してたようだが当然見れなくなってた。
なんであの頃のコナミは玩具部門をやってたのか、いまだにわからない。タカラ(現タカラトミー)と提携していたことと関係があるっぽいのだが…

インデックスが絡んでたんだったか…どういう会社だったのかよくわかんないけど。

最近グランセイザーやアムドライバーが新商品を出してるのもわかんねえ。

グランセイザーの版権はグランセイザープロジェクト・テレビ東京となっておりコナミの名前は残ってない。インパクター・ロギアのプラモは欲しいが無理か?
ロギアはバーザムのデザイナーとしても知られる岡本英郎さんのデザインのようです。

アムドライバーはNASだけになっててテレビ東京も外れてる。もともとコナミが版権まで持ってたわけじゃないのかな。

僕はコナミのことは今も昔もまったくわからないのだが、ひとつわかったのは島田フミカネを呼び込んだのはコナミらしいということである。

この記事もロストしそうな気配が強い。

ネタが切れたので終わり。

雑記 動画ゲームの話

思いついたことをつらつらと書く記事

「FMVゲーム」

LDゲーム『ドラゴンズレア』(1983)のように、映像そのもので作られたゲームというのは昔からある。
ヒット作も複数あるが、主流のジャンルとなったことは過去になかったと思う。ジャンル名はインタラクティブムービーとか呼べばいいのだろうか。

世界最初のレーザーディスクゲームはドラゴンズレアではなく、セガの『アストロンベルト』(1983)だそうです。映像にデジタルのゲーム画面を重ねるシューティングゲーム。
これはインタラクティブムービーとは言いにくい内容。

このアストロンベルトは北米での発売はドラゴンズレアより後だったのだが、これがショーで展示されていたのを見て触発されてドラゴンズレアなどが作られた、と英語のwikipediaに書いてあった(さらにそのソースはThe Video Game Explosion: A History from PONG to PlayStation and Beyondという本だと書いてある)。
アストロンベルトとドラゴンズレアでゲーム内容そのものはずいぶん違うようだが、映像でコンピュータゲームを作るというアイデアの部分はセガが切り開いたと言ったところだろうか。
これら動画ゲームはFull-motion video (FMV) ゲームという言い方もあるらしい。

フィルムのゲーム

LDを使ったゲームはアストロンベルトが最初とされるが、映像を主体としたゲームは70年代にはすでに存在した。任天堂の『ワイルドガンマン』(1974)がそれだ。16ミリフィルムの映像がプレイヤーが撃ったタイミングで切り替わるというものだったそうだ。どうやらこれはまだ任天堂にとっては「ビデオゲーム」ではないようです。これより古い映像ゲームが存在するかは不明です。

【かけるのブログ】 任天堂の幻の脱衣ゲーム「ファッシネーション」を追う
ワイルドガンマンについては、こちらの「ファッシネーション」という未発表作品についての記事も参考にしました。ワイルドガンマンは実際に販売されたが、本来は試作品のようなものだったようです。

その後任天堂はビデオテープを使ったゲームを展開するも、それでメンテンナンス性の悪さを認識することになる。それで、任天堂はパンチアウトの頃にLDゲームへの進出は回避したとのこと。(正しい判断だったかは不明。LDならビデオテープに比べればメンテンナンス性は悪くなさそうであるが)

LDはビデオテープと違い、ランダムアクセスができる、つまり連続再生せずに好きなチャプターに飛ぶということができる。だからLDゲームではゲームオーバー画面などの映像を作っておいて、失敗すればそこに飛ぶようにできた。このようなゲーム的な分岐の作成は、映像フィルムやビデオテープでは不可能に近い。
これでLDゲームという一大ジャンルが誕生した。

家庭用の動画ゲーム

そしてLDゲームは家庭用にも登場しており、LD対応のMSXにアストロンベルトも移植されている。LDの映像にMSXのゲーム画面を重ねて表示することができたようだ。
だが家庭用のレーザーディスク再生機は高価であり、ましてゲーム用となると大きく普及することはなかったようだ。レーザーディスクを扱える家庭用ゲーム機も存在したが、非常に高額であり大きなヒットとは行かなかったようだ。

時は流れ、動画圧縮技術の発達により、1994年ごろにはCD-ROMでも動画を扱えるようになっていた。ビデオCDが登場し、またゲーム機も動画ゲームに対応を始めていた。
プレイステーション、セガサターン、そして3DOとそれぞれのハードにLDゲームの移植や、類似の動画ゲームは存在した。
しかし、やはり主流のジャンルにはならなかった。オープニングなどの重要なシーンにCGムービーやアニメを流すゲームはたくさんあったが、動画そのものを主体としたものは限られていた。

ビデオCDというのは93年に登場したそうで、動画70分くらい入ってたそうなのだが、日本ではあまり流行らなかった。
VHSならこれより良い画質で120分入ったわけで、CDの大容量は単純にVHSの性能に負けていた。
当然ゲーム機の動画再生機能も同レベル以下だったと思われる。
セガサターンには別売りのムービーカードというのがあり、これを追加装備すればビデオCDが再生できるそうだが、値段は19800円もした。素のサターンはビデオCDさえ再生できないのだ。
これはサターンの機能が劣るわけではなく、当時の多くのゲームハードがまだMPEGに対応してなかったようです。
サターンや3DOはCinepak、プレイステーションはMotion JPEGという技術らしい。それぞれ一長一短あったようだが、詳しくないのでVHSには基本勝ててないという認識をしておく。
プレステの動画が30フレームとかなんとか。

プレイディアを調べて気づいたこと

サターンらと同期のバンダイの『プレイディア』も動画再生機能に長けたハード、らしいのだがこれも10フレームとかなんとか。画質は良いっぽい。

バンダイ・山科 誠伝 後編 ゲーム機での失敗とたまごっちの成功,幻となったセガバンダイ ビデオゲームの語り部たち:第24部
この記事でプレイディアに言及しているのだが、このハードはMPEGに対応してたらしい。具体的なスペックがよくわかんないため、動画再生機能が追いついてたのか、調べて出てきた数値が正しいのかどうか、よくわかんないのだが…

プレイディアは『真サイヤ人絶滅計画』に代表されるキャラクターのアニメや特撮のゲームを多く展開したが、これをやるには映像を作る必要がある。
単体の映像作品なみ…思うに30分くらいの長さがあり、版権も押さえて、東映などの制作会社に仕事を依頼できるコネクションも必要だ。
このような版権キャラクターの映像ゲームを作るのは、バンダイ以外には不可能とは言わないが難しいと考えられる。

それを見てて気づいたのは、バンダイはプレイディア以前に映像ゲームのようなものを作っていたことだ。
『てれびっこ』というハードがそれだ。1988年発売で、プレイディアが発売する1994年まで展開していたらしい。
これは普通のビデオデッキで再生するVHSテープの映像ソフトを、電話型のコントローラーで操作するという装置だった。
操作といっても、ビデオテープの映像を分岐させる方法はない。電話機を通して聞こえるセリフが変わるだけらしいが。
一般的にはゲーム機としては扱われていないが…だがコンピュータゲームと同じ要素を明らかに持っている。
バンダイは、この装置専用のオリジナル映像ソフトを複数作って販売した。ラインナップはアンパンマン、ドラゴンボール、マリオ、セーラームーン…そんな感じのやつ。
それで6年も続いてるので、相当成功した部類ではないかと思われるが。

プレイディアと「てれびっこ」、ハードウェアとしては全く別物だが、ソフトのほうの思想が一致している。
ソフトの作成に、しかるべきところに一定の映像制作を依頼する必要があるという、制作形態はかなり近かったと考えられる。
制作部署や担当者まで同じだったかは知る由もないが…

実際に後継を意識して開発されたものかは不明だが、プレイディアは大きなヒットとはならなかった。1996年には展開を終了。

プレイディアはハード性能も低く、それほど複雑なゲームは作れなかったようだし、映像にしてもVHSには勝てなかった。バンダイ自身もファミコンのようなゲームは、他のゲーム機で販売しており、プレイディアをゲーム機とは位置付けていなかったようだが。
だとすると、映像で戦うプレイディアの真のライバルはビデオデッキであり、ビデオテープと違ってストーリー分岐は作れるが、他のほぼ全てにおいて勝ち目がない。そして値段もしっかりゲーム機級。ビデオデッキよりは安かったかもしれないけど…

ビデオテープゲーム

VHSを使ったゲーム、けっこうあるらしい。
タカラのビデオチャレンジャー(1987)というのがそれで、光線銃で専用の映像を撃つとスコアが増えるという玩具らしい。
海外にもいくつかあって、Action Maxというのが同じくビデオテープと光線銃の組み合せ。

View-Master Interactive Vision(1989)は、普通のビデオデッキを再生に利用しながら、ビデオテープにゲームプログラムが記録されており、さらに映像の上からゲーム画像を重ねるというかなり高度なことができたようだ。
ちょっとしたゲームが動くだけでなく、映像の一部を隠したり音声を変化させることで、ストーリーの分岐もできたという。

実機を紹介している動画がありました。

※売れなかったという感じの紹介ですが、これについては情報が少なすぎて実際売れたのか売れてないのかもよくわかりませんでした。展開が続かなかったのは確かなので、たぶんあまり売れてはいないのでしょうが。

またメガCDの『ナイトトラップ』は、発売中止になったControl VisionというVHSゲーム機のために撮られた映像を復活させたものなんだそうです。

ビデオテープはランダムアクセスができないので、どう見てもゲームに使うには向いていなかった。ストーリーの分岐を無理やり作るにも限界がある。
それでもビデオテープでゲームを作ろうとする動機はなんであろう。それはやはり映像の質が当時としては十分優れていたことで、再生機もレーザーディスクよりは遥かに普及していたからだろう。

CDでまともな動画が扱えるようになるのは、ようやく93年ごろ。CDロムのゲーム機は1988年にはあったが、当時は動画を扱うことそれ自体困難、たぶん無理だった。
バンダイも含めてPCエンジンでアニメ絵を動かしているゲームはかなりあるが、それらはアニメ絵をBGやスプライトなどゲーム機用の絵にしているだけと思われる(スーパーファミコンではロム容量のほうが無理)。アニメ会社に動画を制作してもらっているのもあるようだが、どういう方法でPCエンジン向けの画像に変換していたかは知らない。

メガCDは動画に対応していたようだが、ハード自体の制限で発色には問題があったようだ。
またPCエンジンも末期になるとHuビデオなる技術で動画再生をしているものもあったらしいが、後から開発された技術だと思う。
満足に動画を扱えるのはレーザーディスクハードを除けば94年以降の次世代ゲーム機ということになるが、それもこの段階では画質と容量ではVHSには勝てないレベルだった。

ピピンアットマークとガンダム

ここまで書いておいてなんだが、僕が実際にやったことのあるFMVゲームというやつはひとつしかなくて、PSのGUNDAM 0079 THE WAR FOR EARTHだけだ。ラッキーボーイだぜぃで有名な。

これピピンアットマークからの移植と聞いていたんだけど、今回調べてわかったんだけどピピン版の実在が確認されていないらしい。英語サイトでも明確なソースはないものの未発売ではないか?と推測されていた。

ピピンアットマーク。96年発売のバンダイの大失敗ハードとして知られるやつだが、プレイディアの展開が96年で終わったのはこれに移行する予定があったのかなあと。

あの死にゲーであるPS版は移植であり、PC版は存在する。

【PC】ガンダム War for Earthの違い: ヒュポポリクス

どうもPSに移植する際にセーブ機能とリトライ機能がなくなっているらしいと……
あのラスボス戦の巻き戻りが異常に長いの、移植のせいってことじゃないか。
しかも画質が落ちているのにディスクも2枚に増えているという。
たぶん、動画部分は本来はピピンアットマーク用に調整されていたもので、プレステでは性能的な無理があったのだろうな。
セーブ機能がないのは知らん。

その後

プレイステーションは動画ゲームは作れたが、決してVHSと比べて満足のいくレベルではなかった。
という理解でこの先に進みたい。

バンダイはプレステでも「キッズステーション」という若年層向けゲームを展開したが、アニメ絵は使っていても動画をふんだんに使ったゲームというわけではないようだった。
ゲーム用アニメ作るようなシリーズ、バンダイにおいてはどうも滅んだのかな。アニメを丸ごと収録してるゲームならあるけど。

バンダイは知らないが、動画で作成されたインタラクティブムービー自体は今もあるようだ。だが、やはり主流となってはいない。
PS2以降のハードならいくらでも作れそうだが、PS2に有名なタイトルもあったんでしょうか。知らない。

プレイディアみたいな動画に少々の分岐があるゲームなら普通のDVDで作れるんじゃないかという疑問はある。ドラゴンズレアにもDVD移植版というのがあるらしい。思うにDVDプレイヤーというハードはプレイディアより高性能なのだが、これもそんな有名なタイトルを聞いたことはない。
バンダイはサイヤ人絶滅計画をDVDにしようとか思わなかったのだろうか。

ただDVDのゲームというジャンルは実は生き残っており、DVDPGという名前でノベルのエロゲーが今でもPCから移植されている。PCより機能制限はあるはずだが、これでも需要があるってことなんだろうが、一般ゲームには派生しないのだろうか?
DVDはどうもまだけっこう元気なようです。

「てれびっこ」考察

動画ゲームの話じゃないので最後に書くけど、てれびっこがヒットした理由のひとつは価格もあるだろうけど(ビデオデッキ別売りだから安い)、電話機ってのはそれ自体が子供のあこがれだったのかなと。親に勝手に電話かけると怒られるでしょというような。
1988年ならプッシュホンもまだ比較的新しい。ダイヤル電話もまだ生き残ってたはずだ。
後期はコードレスホンにモデルチェンジしたとのことで、ちょっと後の時代なら携帯電話で変身するヒーローが出てくるけど、てれびっこはそれと同じ需要を上手くついて成功したのかもしれんなあ、とぼんやり思った。

じゃあプレイディアは…子供の好きなファミコンの形をした玩具…そうかも…

その他

動画の性能に優れるハードとしてはPC-FXがある。後期のPCエンジンに参入していたバンダイ(バンプレスト)がFXに来なかった理由は知りませんが、たぶん性能以前に厳しい状況を見ていただけだろうと思う。

セガサターンの動画Codec: 懐ゲー 思い出語り
サターンのCinepakは、初期は画質を優先してないので質が悪かったとのこと。

デルコンダルとカンダタの関係

古いネタなのだが、ドラクエ2のデルコンダルはカンダタが建国したという話が昔の本に載っていた。

カンダタの行方

ファミコンのドラクエ3のネタバレは、普通に書くけど。

ドラクエ3のカンダタは、終盤にアレフガルドにやってくる。
彼はそのままエンディング後も居ついて、その後はゲーム内では描写されていない。

ドラクエ3より後に発表された小説版ドラクエ2(1989年9月初版?)で、カンダタがデルコンダルを建国したという情報が出てくるのだが、実はこれの前にひとつある。

エニックス文庫『ゲームブック ドラゴンクエストIII そして伝説へ… (下)決戦!アレフガルド』(初版1989年3月15日)
216ページ(シーン314)。
この下巻で味方キャラとして登場するカンダタが、エンディング中に挨拶に来る場面。

外の海に出られるようになったカンダタは、ミラン(上の世界から来た海賊の頭)と共に勇者たちに別れを告げる。
彼が創る国の名はデルコンダルにするという。

で、無事に建国されたデルコンダルが小説版2で回収されたのかというと、そういうことではない。
同じエニックス出版でも、ゲームブックと小説版のストーリーは全然つながってない。勇者の仲間も別人だしカンダタの人物像も全然違う。
なぜかデルコンダルだけがリンクしているようだ。

ゲームブックの奥付には複数人が載っているが、小説版の作者の高屋敷英夫さんは関わっていない。
著者として扱われるべき人は早坂律子さんだろうか。『モンスター物語』にも参加している。
小説版と共通の名前は「ゲーム構成」の横倉廣という人物だ。小説版シリーズに設定協力で参加しており、アイテム物語やモンスター物語にも本文で参加していた。
どうやらこの人が各書籍の設定のリンクを考えたのかな?

(なお私は高屋敷先生の小説版1~3は過去に読みましたが、今回未発掘です)

エニックス出版の本のうち、『モンスター物語』、『アイテム物語』の設定の一部は、共通の人物(「大魔道カトゥサ」とか)が登場するなど、小説版と内容がリンクしている。
ただ1冊のモンスター物語内でもエピソードによって内容の食い違いも感じられ、絶対的な設定として書かれてはいなかった。
小説版ともリンクはしているが、同じ歴史と言い切れないくらいの距離感である。

さらにゲームブックとなると小説版とも他の本ともぜんぜん設定が違うのだが、このデルコンダルとカンダタの関係だけは、なぜか共有された設定だった。

デルコンダルはカンダタの国という設定、その後は小説版をベースにしたCDシアターのドラクエ2でも再使用されたとのこと(僕は聞いたことなし)。
エニックス版ゲームブックの1や2はどうなってるか知らない。

もっとも、90年代以降のSFC版などのゲーム本編に、この設定が逆輸入されることはなかった。

カンダタは建国できない

カンダタの子孫がHD2D版ドラクエ1に登場することは発売前に明かされていた。カンダタ一族は新天地に旅立たず、長年ラダトーム付近に居ついていたようだ。

今回HD2D版ドラクエ1を見てて気づいたことだが、実は3のカンダタがデルコンダルを建国したという設定には難がある
これはファミコン版のゲーム中では語られていないのだが、アレフガルドは誕生してから歴史の浅い世界であり、ラダトームの勢力下の外側には大地がまだない。
海が途中で切れていたのは、まだできてないからである。
カンダタが旅立てる新天地などないのだ。

もっともこの設定は開発資料に書いてあっただけで(Wii版ドラクエ123に収録されている)、当時は公開されていなかった情報だと思われる。
ゲームブック版でも封印されて出られないという説明をしていた。

「アレフガルドはまだ完成してない」は裏設定として知られることもなく、いつ公開されて公式設定ということになったかは存じぬ(HD3のどこかで言ってた気がしたが、再確認してません)。
だから当時の知識では、カンダタの旅立ちには無理はなかった。
後から裏設定が明かされたため、無理になったという順序です。HD1はそれを意識した描写なのかもしれない。

最新デルコンダル事情

ここからはHD2Dドラクエ2のネタバレを少し書くから、やる予定がある人は注意してほしい。

結論から言えば、デルコンダル王がカンダタの一族であるというセリフでの説明はひとつも存在しなかった

説明は存在しなかったが、謎に王冠をかぶったカンダタの絵が城内に飾ってある。
本当になんの説明もなしで、いきなりそこにある。

入口の床の絵もカンダタっぽい。
他の床にもドラクエ3関係と思われるものが描いてあるのだが、おぼろげでわからない。解像度の高い環境なら違うかもしれないので、わかる人は見てみてください。

この件で決定的なのがデルコンダル王。
これが今回書く最大のネタバレになるが、デルコンダル王自らが武器を手に取り戦うイベントがあるのだが、その戦闘時の構えがカンダタと全く同じという、細かい拾い方をしている。

デルコンダル王はSFC版のときに新デザインのイラストが描かれたようだが(中鶴さんのデザイン?未確認)、カンダタとの類似は…まあムキムキではあったので意識してた可能性もなくはないか。
その後デルコンダル王は他のゲームで別のデザインで出たこともあるようなのだが、今回はSFC版のデザインに戻っており、ムキムキを明確にカンダタ一族と結びつけたものとなっている。どうやらドラクエ1後に改めて旅立ったカンダタの子孫がデルコンダルを築いた、というイメージなのだろう。それをあえて言葉で説明しないことで解釈に余地は残しつつ。

小説版を含む派生作品の独自設定は、ごく一部をのぞいてゲーム本編には反映されないものだったが、近年はブルーメタル(ロトの鎧の材質)が本編に登場するなど、今や古本でしか入手できない文献の情報を部分的に反映するようになってきた。制作側にもあれらの読者がいるのだろう。

もしかしたら、小説版より知名度が落ちるゲームブック由来のものも今後出てくるかも…?
あるいはもうありました?

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