神殿岸2

2と言っても実質1.5みたいなもの

鳥嶋和彦の噂と影響1997

2016年に電ファミに掲載された鳥嶋和彦氏と佐藤辰男氏の対談、というより佐藤辰男氏が聞き手をやっているインタビューがある。ゲーム業界にも強い関わりを持っていた鳥嶋氏だが、クロノ・トリガーの関連でこういうことを言ってる(3ページ目)。

>鳥嶋氏:いやもう、色々とあったよね。『噂の眞相』(※)に「鳥嶋は裏でバックマージンをもらっている」なんて書かれて、上司から疑われたりして(笑)。

特にやましいことはなかったようで、笑い話で済ませている。でも実際どういう記事だったのだろう。

経緯は後で書くけど、それらしい記事を特定することができた。
噂の眞相 一九九七年二月号

記事タイトルは
『「少年ジャンプ」の最近の凋落を物語る編集長の社外副業を巡る「風聞」』
記者はルポライターの和田泰治。知らない人。

記事はジャンプの現状を伝えている。少し前に650万部を記録した少年ジャンプだが、既に500万部を割り込み、さらに返品率も増えていた。不振の打開策として96年2月にVジャンプ編集長の鳥嶋和彦をジャンプ編集長に置く。だが鳥嶋体制になっても部数減が止まる気配は一向になかった。「業界内では、「鳥嶋が編集長では、『ジャンプ』の部数が戻るとは思えない」という話さえ囁かれているのだ。」と、書いてある。
「それというのも、鳥嶋の関心はとっくに『ジャンプ』からは離れているからなんですよ」と出版業界関係者は話す。鳥嶋和彦鳥山明と組んで別会社を作って、ジャンプの版権ゲームを作らせる副業をやってるというのだ。だから誌面作りがおろそかになってるのだと。
それも集英社を通さずにやってるようだと。

そんなことあるか?
ありえない。そんな会社聞いたこともない。

ジャンプのキャラゲー集英社を通さずに作ることは普通に不可能(編集部を離れてるタイトルならできるかもしれないが)。
これまでの記事で書いてきた通り、鳥嶋和彦はむしろそのような厳格なシステムを構築した側の人間。そうでなくても、そんなゲーム作ったら市販されるときに必ず発覚し問題になる。まさか海賊版を一般流通で流せるわけがない。記者はビデオゲームの販売経路を知らないのか?

もし事実なら「鳥嶋のとっている行動は"背任行為"にもあたる」と書いており、確かに事実なら大問題なのだが、どう見ても事実ではないのだから背任も何も無い。具体的にどの会社のどのゲームのことよ。

しかし、噂をもとに記者はこれまでに発売されたジャンプゲーを調べ、存在しないはずのその会社を見つけてしまった。

コブラ・チームである。

ええっ?!SFCジョジョを作ったあのコブラチーム?!

橋本真司が語る事実

記事によると、コブラ・チーム(中黒が入るのが正式表記らしい)は、94年にはスクウェアの子会社「ソリッド」になっていたが、元はバンダイにいたHという人物が91年に立ち上げた会社だった。「ある「ジャンプ」関係者」によると『俺と一緒にやれば仕事ができるよ』とHさんの独立を促したのは鳥嶋和彦であり、バンダイはそのことに怒ったが、鳥嶋との関係を壊したくないから渋々コブラチームに出資した、というのだ。
本当か?

その後Hはクロノ・トリガー、トバルなど鳥山デザイン作品に参加し、働きぶりを評価されてスクウェアの取締役になった、と書いてある。
どう見ても橋本真司だ。会社名モロに出してるし名前伏せなくていいでしょ!
当時既になかったコブラチームが橋本真司の会社だというのは、知ってる人はほとんどいなかったとは思うが、別に内緒だったことはない。
コブラチーム=ソリッドの吸収についてスクウェアとしては、鳥山明を取り込みたかったのでしょう」とし、鳥嶋に対してもスクウェアから何らかの見返りがあったのでは」と、「ゲーム業界関係者」が語る。

この疑惑について、記者は橋本さん、じゃなくてH氏に直撃取材を試みる。1度目は断られたが2度目は取材に応じてくれた。
H氏は、コブラチームの立ち上げは自分の発案であり、鳥嶋和彦の指示は否定する。もともとは独立するつもりだったが、バンダイからは関連会社でやってほしいと言われ、話し合ってそうしたと回答した。
つまり、コブラチームにバンダイが出資してるという部分についてはどうやら本当か。普通にコブラチーム開発でバンダイから発売してるゲームもあるもんね。
しかし、その件と鳥嶋和彦とは関係なかった、とH氏は言う。

橋本氏は素直にインタビューに答えただけで、疑惑の裏付けとなるものは何も出てこなかった

私の現在の知識で言うが、コブラチームはジャンプのゲームを確かに作っていたが、言うまでもなく集英社は通しているし、ドラゴンボールも作っていたが鳥嶋和彦の担当していない作品も作ってる。だいたいクロノの開発スタートはコブラチームのスクウェア合流より前だ。関係ねえ。
まして設立に鳥山明が関わってるなど、そんなわけねえ。なんで鳥山先生がジョジョゲーに関わる必要があるんだよ。

鳥嶋さんへの接待

記事には2016年の鳥嶋氏の言ってた「バックマージン」という表現はなかったのだが、接待を受けたという話なら書いてある。
漫画編集者でありながらゲーム業界での権力を持っていた鳥嶋。ゲーム会社の招待で海外にファーストクラスで行けるし、Vジャンプ創刊時にはゴルフで接待を受けたと「ゲーム業界関係者」が言う。
いや知らねえよ。Vジャンプ編集長に飛行機おごってくれるとかどんな会社だよということなら当時のスクウェアならやってそうという印象は確かに持つが、そりゃ私の偏見であり、証拠はない。
ちなみに鳥嶋さんゴルフやる人らしいが(情報源:最近のラジオ等)、ゲーム業界の人とゴルフやってたから何だと言うんだ。漫画家とゴルフ行く編集者だっているでしょ。

これら疑惑が事実だったところで、「鳥嶋の野郎はVジャンプ編集長の立場を利用してゲーム会社と仕事を越えた枠で遊ばせてもらってた」って話であり、そのVジャンプから連れ戻されて1年経った97年にそれ言ってもしょうがなかろう…
ジャンプ編集長になる前の、別の編集部の話だ。それを記事は混ぜている。

本記事は要するに、「ゲームが大好きな鳥嶋に少年誌の編集長は務まらん」ということを全体を通して書いてるのだが、それは風聞というより、ただの嫌味というものだ。

ジャンプ内部を知る者?

記事は続き、『Dr.スランプ』の当時を知る「「ジャンプ」関係者」という人が出てきて、いろいろ鳥嶋のことを悪し様に言ってる。
「ジャンプ編集部内では『キャラクターの版権管理は鳥嶋に頼んでおけば大丈夫』という空気が醸成されていた」
「鳥嶋の関心は(中略)ハデな本業外のメディア戦略にシフトしていったのである。」と記者は書いており、どうやら鳥嶋が漫画に本腰を入れてない、否定的な意味合いらしいのたが、普通に褒め言葉になっちゃってるような…

前々回の記事で書いた通り、鳥嶋和彦はアニメ等の権利まわりの仕事をかなり請け負っていた。このことは当時編集長だった西村繁男氏であれば、素直に高く評価していた。

記事に出てくる「ジャンプ関係者」氏、そういう印象はなかったのか、知ってて言ってるのか、この人物は、どうやら80年代の編集部を知る、おそらく内部にいた編集者だ。
鳥嶋がジャンプ本誌にいた時代からゲーム業界で権力を得ていった様子をいろいろ書いてるが、ドラクエについて「正直に言って、当時は誰もああいうソフトが売れるものだとは思わなかった」と述べており、現場を見ていたようだが、ゲームのことわかってない側であることもわかる(逆に鳥嶋さんはドラクエ1に過大な期待を向けていたので、思ったよりは売れなかったのである)。
よって、この人物の発言はどこまで信じていいかわからない。
やっかみ?
そうかもしれない。売れると誰も思ってなかった(と、この人は思ってた)ドラクエを勝手に作らせて成功させた鳥嶋。いやなやつだ。

記者もこの関係者も、どうやら基本的な勘違いをしている記述がある。
「そんなある日鳥嶋は、鳥山明や当時漫画の原作者などをしていた堀井雄二を使って、集英社とは全く関係なくゲームソフト製作に関与を始めたのである。」と書かれている。
97年当時、多少ドラクエのわかる読者がこれを読んだら何じゃこりゃと思ったはずだ。
ドラゴンクエスト堀井雄二チュンソフトエニックスそれぞれが組んで生まれたゲームであることは当時既に広く知れ渡っていた。
常識である。これはマシリトの仕事ではない。
鳥嶋和彦堀井雄二がゲーム業界に飛び込むきっかけを作り、鳥山明への仲介は行ったが、企画を主導したわけではない。記者は『ドラゴンクエストへの道』を読んでないのか。
また堀井さんもフレッシュジャンプで漫画原作をやったことはあったが、原作者としての主な活動の場は他誌。本業はむしろジャンプ本誌でバリバリ書いてたライターなのだが、そこをわかってないのだ。

もっとも鳥嶋さんが「集英社とは全く関係なくゲームソフト製作に関与を始めた」のはどうも本当らしいのだが、97年時点ではそこはあまり知られてなかったと思われる。
もちろんドラクエを推していたファミコン神拳については編集長とかも通している記事だが、鳥山明の起用については鳥山明を使うといっても、集英社には直接関係ない。鳥嶋は本来の仕事ではないことをしていることになりますが、編集部は『ドラゴンボール』がきちんと続くならと、鳥嶋の行動を黙認したわけです。」と、「ジャンプ関係者」は言う。
電ファミのインタビューを見る限り、実際に鳥嶋和彦ドラクエ鳥山明の仕事は意図的に集英社を通さないように仕向けていた。しかし表向きはジャンプ誌上で応援していたので、読者はそこまでは気づかないようになっていた。97年時点ではおおっぴらにしてないと思う。
このことを知ってるこの「関係者」は、実際に内部にいた人間の可能性はかなり高い。だけど、いい加減にしか把握していない。だから内部の人間だと思うが、証言の信頼度はいまいちだ。

疑惑が生まれる背景

前提として、鳥嶋さんと橋本さんのファミコン時代の近い距離感に記者は気づいてない気がする。ここは前回の記事でちょっと書いた部分ですが。

詳しいことはゲーム ドット絵の匠 ピクセルアートのプロフェッショナルたちという本の橋本氏のインタビューを読んでほしいが、集英社で毎週のように会っていっしょにご飯食べに行くくらいの仲だったらしいし。
鳥嶋さんが独立を促したわけではないとH氏は言うのだが、雑談の中で普通に軽口で言ってそうにも思える…

そして記者がどうも気づいてないのが、むしろスクウェア坂口博信が鳥嶋さんと仲良しだったことだ。クロノ・トリガー鳥嶋和彦本人が坂口博信本人との付き合いの中で進んだ企画であり、鳥山明参加の企画の原型は91年にはあり、92年には堀井雄二も参加して現在の企画は始まっていたらしい。
鳥嶋和彦は裏方として名前は出していなかったと思うが、クロノはVジャンプ誌上で堂々と扱っていたタイトルで、集英社にも読者にもオープンでやっていた。
記者はこうした明確な情報を素で知らないと思える。
もちろんスクウェア合流前のコブラチームなど入り込む余地がない。

ついでに言えば、同じくコブラチーム立ち上げメンバーで、後にスクウェアに移った中里尚義さんによると、コブラチームをスクウェアに誘ったのも坂口さんなんだと、やはり『ゲーム ドット絵の匠』のインタビューで言ってる。ただコブラチームを欲しがった理由はよくわかんない。
もしや坂口、橋本の二人も鳥嶋人脈の中で面識があったのか?
実は記事の疑惑につながりそうな気配もかなりあるのだが、記者はそこまで思い至ってないようであった。

副業疑惑はしょうもないガセとして、鳥嶋さんがドラクエ勝手に支援してたことや、坂口さんといろいろやってるのは知ってる業界人もいただろうし、噂が出る下地自体あったんだと思う。

最近のインタビューを見る限り、Vジャンプ編集長だった鳥嶋和彦は、実際にゲーム業界を中心に人脈を作ることは意識していたようだった。
これは誌面で利用できるのはもちろんだが、好きなゲームを応援したいという素のゲーム好きの部分も明らかにあった。
「ゲームが好きだからゲーム業界に関わってる」という単純な動機が、記者には理解できておらず、接待とか見返りとかの発想になってしまうのだろう。
もっともゲーム会社を応援していくことで、情報をもらうなどの見返りは得ていたようである。

鳥嶋和彦による答え合わせ

記者も鳥嶋だけを叩いてるわけではない。記者が本質的に批判してるのは、1996年まで続いた若菜正社長のもとの、集英社の人事体制。初代ジャンプ編集長の長野規や3代目編集長の西村繁男も会社を去り(このことは過去の噂の眞相で既報とあるが、号数不明)、4代目編集長の後藤広喜もジャンプから遠ざけられた。「新人発掘システムなど、「ジャンプ」の伝統的な作り方の継承は事実上途絶えたと言われている。」

別の集英社社員」のコメントも載っている。
「鳥嶋は、編集長をやっていた『Vジャンプ』が軌道に乗っていただけに、『ジャンプ』編集長になるのをいやがっていたんですよ。」

これは事実だ。近年鳥嶋さんが複数のインタビューで言ってることで、戻るのが本当に嫌で3ヵ月も拒否し続けたが、編集長になるのが嫌なら会社を辞めるしかないという状況にまで追い込まれたので、受け入れたのだという。

この動画で言及してる。

93年に編集長になれなかったので、Vジャンプを作った鳥嶋和彦、今さら戻ってこいと言われてももう遅いと通すだけの戦闘力は溜まっておらず、とても悪いタイミングで落ち目のジャンプ編集部に凱旋させられる。
鳥嶋さんに編集長になる野心などなかったのだ。だが当時そこまで知ってたのは内部の人間だけだろう。
97年の取材に答えている集英社社員」は、それを知る人物。本物の見込みが強い。

そもそも漫画よりゲームに関心ある鳥嶋しか編集長がいないのがおかしいのだと記者は書いているが、これもまあそうだろ…
漫画に興味ないかはともかく、96年の鳥嶋和彦はジャンプ編集長になるのを明確に嫌がっていた。会社もそんなやつ編集長にすんなよというのは全く同感である。
ジャンプ編集長ってなりたくない人がやる仕事じゃないと思う。本当に他に候補がいなかったのだろうか。
いや、鳥嶋和彦は最初からジャンプを志望してない人で、他の名だたる編集者もだいたいそうだった。編集長なんて誰もなりたくないもんなのだろうか…

記事を読んでみてわかったのは、取材内容がそれなりに正しいということだ。ここ数年の鳥嶋氏の発言は、なぜか記事の答え合わせになってる。ただし記事は細部が間違っていたり、鳥嶋氏のスタンスを見誤っている。

もちろん致命的に間違っているのは、記事のタイトルとなっている疑惑の中心の部分。鳥嶋氏が立ち上げた副業の会社というのは、どう見ても実在しない。なんかもうコブラチームがマシリトの会社とか言われて信じろというのは無理だ。ここまでいちおう答え合わせをしてみたけど、本来は検証するのもアホらしい
たぶん記者がゲームのことあんまりわかってなくて、スーファミソフトのカタログか何かからコブラチーム?とかいう変な名前の会社を見つけてしまって、そこに鳥嶋人脈の一端を見つけた時点でこれで決まりだと、あやふやなまま書いちゃったんだろ。
しかもファミコン時代に名を知られた橋本真司(橋本名人)の活動は遠い過去なのでHとか仮名で出しちゃうし。既に改名して業界に名前も残ってなかったコブラチームの実像など、97年に手近な情報で調べるのは無理か。
疑惑の先入観なんぞ投げ捨てて、橋本さんに丁寧にインタビューしてりゃ、もうちょっと細かいこともわかっただろうが…

他にも信憑性の高いことも書いてある。
コブラチーム発足当時、「鳥嶋は当時、自分が『ジャンプ』の編集長になれるか不安もあってか、『集英社をやめて、自分で仕事を興したい。』ともらしていました」と「ジャンプ関係者」が言う。
これはどうやら本当なのだ…

93年までに、鳥嶋和彦は編集長代理という前例のない役職についていた。もう次の編集長になるものだと思って身構えていたが、なぜかなれない雰囲気が出てきた。
これは後輩の堀江信彦氏に追い抜かれたということではなく、役職の上でも鳥嶋さんのほうが上だったので、そこそこ不可解な事態なのだが、それで編集部から出ていくために用意していたのがVジャンプ
追放されたようなもんか、追放される前に自分から出ていったというか。

これも最近の情報なのだが、今年1月のラジオで鳥嶋さんは、Vジャンプをやっていなかったらたぶん集英社を辞めていたのだと言及していた。どうやら記事に書いてあることは正しかったのだ。退職の考えを、実際に誰かに漏らしたことがあったのだろう。
もっともそれがコブラチーム設立と時期が近いのは普通に偶然だろうが、適当に見てた人からは話がつながってたかもしれない…
それとも鳥嶋氏が辞めてたら、本当にゲーム会社とかに入ってたりする可能性もあったのかなあ。

それと、この動画で言ってるのは、Vジャンプで人脈を広げていたのは、将来の独立を見据えたものでもあったことだ。鳥嶋氏はジャンプ編集長になる気はなかったが、野心はあった。こいつ…
しかしその野心はジャンプ編集部から追放が決まったから生じたものでもあったので、何がどう動いてるんだか…
独立の準備が整う前に鳥嶋和彦はジャンプ編集部に連れ戻され、その野望は打ち砕かれたのだった。

記者がもう一つ見誤っていたことがある。
鳥嶋さんは編集長になるのは本当に嫌だったが、やる気自体はあった。しかし部数を戻す気はなかった。これは結構前から言ってたと思う。
鳥嶋氏の中では、やる気のある部分とない部分が明確に分かれていた。
「鳥嶋は部数戻す気ねえだろ」と言われても、実際ないんだから無駄な批判だった。
鳥嶋さんの言い方からすると、部数を重視してないことは当時から編集部員にも、自分を任命した上層部?にも普通に言ってたようには思える。

そしてこの噂の眞相の記事、実は鳥嶋氏自身も取材に答えている。

「同じ件について鳥嶋編集長にも取材を求めたが、「何も答えることはない」「答える義務と必要を認めない」等と繰り返すばかりだった。」

どう見ても鳥嶋和彦本人の言葉だ集英社の社員としての言葉でも編集長の言葉でもなく、鳥嶋さんの感情が出ている。
ノーコメントと突っ返せばいいのに、「義務と必要を認めない」と、最低限の言葉でちゃんと理由を説明してあげている。
このレベルの認識の記者に説明しても無駄だろうという呆れた気持ちがよく表れている。

落日の船出

そして記事が出て半年ほど後、ついにそのときは訪れたのだ。

朝日新聞 1997年7月28日夕刊 第1面。

王者「ジャンプ」失速
「マガジン」と部数並ぶ
24年間の首位陰る

ついにマガジンがジャンプと部数で並ぶことが報道された。1面で掲載され大きな扱い。「「秋までには、『マガジンが』首位を奪い返す」との見方が強い。」

鳥嶋編集長も以下のコメントを発している。

「作品が面白くないということ。今は長く連載してきた作品が終わり、新しいものが始まる端境期にあたっている。今年始めた連載九本のうち六本は新人のもので芽は出てきた。育っていくかどうかはこれからの問題」と話す。

編集長就任から約1年半。手は打っていたがまだ楽観できる状況ではない。鳥嶋氏にしては弱気にも感じられるコメント。それに「部数戻す気ないよ」とは対外的には言ってないようだ。
だが、新人こそジャンプの強みであるという信念は鳥嶋和彦が現在も言い続けていることであり、ジャンプ創刊以来の基本的戦法でもあった。鳥嶋氏は昭和のジャンプ編集者として、基本に忠実な編集長でもあった。
実際この97年は超有名作家が複数デビューしているすごい年なのだが、まあこの9本目の新連載というのが特に問題で、記事に写真も掲載されている97年34号がその9本目のONE PIECEの連載第1回で表紙の号だった。

…おかしい。いくらなんでも鳥嶋に都合のいい展開になりすぎていないか。なんでジャンプ終わった!ってみんな騒いでる当日にワンピースがポンと出てくるんだよ。図書館で記事を読んでゾッとしたわ
しかも鳥嶋さんは編集部でも意見が完全に割れたONE PIECEの連載に反対してた側であり、コメントが弱気なのは部数がどうのこうのというか、その肝心の新連載に純粋に自信がなかったのである。なんなんだよこれは。
尾田先生なのか。みんな尾田栄一郎の手のひらの上で踊ってるだけじゃないのか。

(ちなみに新人は六本と鳥嶋さんは言ってるが、この年全体で6人で、この日の時点での新人は5本だと思う)

噂の眞相がもたらした疑惑は的が外れており、鳥嶋和彦の向かう先に大した影響はもたらさなかった。
鳥嶋時代にジャンプがマガジンを追い返すことはなかったが、ONE PIECEが新連載でアンケート1位を取ったのを見届けた鳥嶋編集長は一安心し、実在しない疑惑について罪に問われることもなく、2001年まで編集長を務めあげた。

だが…

忘れ去られた97年の記事は、裏で確かな影響を残していたのだ。

西村繁男氏がこれを読んだのだ。

西村繁雄は何を思ったか

少年ジャンプ創刊スタッフのひとりであり、3代目編集長、西村繁男
退社後に書いた著書『さらば、わが青春の『少年ジャンプ』』(94年)にはいろんな編集者の話が出てくるが、もちろん鳥嶋和彦についても書いている。

昭和51年入社の鳥嶋和彦。体育会系のジャンプ編集部の雰囲気に辟易し早々に退社を考えていた男だが、『ドーベルマン刑事』の人気を回復させたことで自信をつけ、鳥山明を鍛え、『Dr.スランプ』でジャンプ作品のアニメ化のシステムを作りあげ、『ドラゴンボール』ではアニメ、キャラクター商品、テレビゲームとメディア展開を成功させた。
「鳥嶋の編集プロデューサーとしての才能は際だっていた。ファミコンゲームの動向をいち早くジャンプにとりこんだのも彼の才覚で、低学年読者呼びこみの好材料を誌面展開した点は評価できる。しかしその才気が、『少年ジャンプ』という大メジャー誌をとんでもない方向に引っ張るかもしれないという不安を抱かす何かが、彼にはあった。
 わたしは、安定期に入ったマスの雑誌の編集長は自分の個性をじっと抑え、社会の変化を横目に見ながらマイナーチェンジで雑誌を維持すべきだと考えていた。急激な誌面変更や新機軸が読者を戸惑わせる危険があった。
 鳥嶋がメディアミックス・ゲーム雑誌『Vジャンプ』を企画し、創刊編集長に収まるのは、ジャンプの流れの中では自然な形と言わねばならないだろう。」

西村繁男は鳥嶋の能力を非常に高く評価していた。だが同時に危険だと感じていた。この男の剛腕はジャンプを破壊するかもしれぬ、伝承者には不向きだと考えたのだ。
鳥嶋は、ラオウだった。

これはあくまで西村氏の私見だ。後継の編集長を堀江信彦に決めたのは4代目の後藤編集長のはずで、編集部を離れた西村氏には5代目の編集長を指名する権限はなかった。実力も実績も年功もある鳥嶋編集長代理が編集長になれなかった正確な理由は、後藤氏の指名だろうと考えられるが、よくわかっていない。
しかし西村氏の意向と合う形で鳥嶋和彦は編集長にならず、期待をかけていた堀江信彦が5代目編集長と決まった。
危険な気配のあった鳥嶋も、存分に実力を発揮できる場を自ら作って出ていった。

そこまでが94年。そこから2年もしないうちに堀江が編集部を追われるなどとは誰も考えていなかった。しかも自ら身を引いたはずの鳥嶋が新天地を捨てて舞い戻り、堀江を追い落としたのである。

外から見た崩壊

94年に集英社を離れた西村繁男氏は、それから3冊の本を出したが、2冊目で98年に出版された『漫画王国の崩壊』というのがある。本書は西村氏が退社を決意するに至った原因である、当時の若菜正社長の人事を題材にしたフィクションである。

内容は、銀星社の社長になる唐戸という男の人事に振り回されて、「少年リーダー」編集長の牧村は退社に追い込まれ、少年リーダーも人事にかき乱され落ちていく、というもの。
西村繁男の関わったことをモチーフにした、あくまでフィクションだ。

ぶっちゃけて、かなり問題の多い本だ
本書は若菜正の体制を批判するものとなっているが、その唐戸(若菜)の野心とか心境を主観視点で書いている。西村氏がそれを知ってるはずがないのだ。つまり、西村氏が見聞きしたことから想像された仮想の若菜正を批判する書。

で、明らかに鳥嶋和彦をモチーフにした貝山という編集者も登場する。唐戸の派閥に接近し、少年リーダーの編集長の座を狙う男として描写されている。
悪側の主力みたいなもんだ。
鳥嶋が編集長の座を狙い、若菜の派閥であるという想像、これも仮定だ。
派閥人事を強く信じてるのは西村氏のほうなのだ…

物語の終盤、貝山が担当の漫画家の貝原はるか(鳥山明)と組んで別会社を作った話が情報誌に載る。記事のタイトルは、「『少年リーダー』の最近の凋落を物語る編集長の社外副業を巡る「風聞」」
そのまんま噂の眞相を元ネタにしていることがわかる。

前著から判明してる通り、もともと西村氏は鳥嶋和彦を高く評価していた。
だが退社後にジャンプの様子がおかしくなっていく中で、鳥嶋の動きは気になったのだろう。
編集部から去った鳥嶋が、まさか編集長への野心を残していたとは。そして鳥嶋体制開始から一年くらいで出たのが噂の眞相。構わず減り続ける部数。
鳥嶋にはジャンプを救う気はなく、この危機の中で背任行為までやる男だったとは。

西村氏の失望たるやいかほどのものだったか。こんな男が編集長ではジャンプは終わりかもしれぬ。
その思いを西村氏はこの本に込めた。そういうことだと思う。
だからこの本では、以前の著書と違って貝山(鳥嶋)自身の能力については高く評価する記述がなくなっている。

だが鳥嶋さんは実際そんなことやってなかったので、言いがかりも甚だしい。まさか貝山が設立させた会社というのがコブラチームのことだとは思わなかった。
この『漫画王国の崩壊』に記事の掲載時期だけは書いてあったから、私は97年初頭の噂の眞相を調べ特定することができたのだが、これ普通はわからんぜ。

28年前の噂の眞相をわざわざ手に入れた僕は普通ではないと思う。
今『漫画王国の崩壊』を読むと、なんかマシリトがよくわかんない会社を立てたらしいという噂だけが読み取れるが、何に掲載された話かも特定できず、真偽の検証までできないようになっている。
そして、掲載誌を見て今の知識で検証すれば、偽だとすぐわかるような内容だった。

当時の西村氏には、そこまでわからなかったのだろう。もちろん噂の眞相を全て信じたわけではないだろうが、いくばくかの真実はあると見て取ったのだ。
西村氏はゲームに詳しいかはともかく、無関心ということもなかったことは著書の記述からはわかっている。たぶん鳥嶋が初期ドラクエなどでうさんくさい行動をしていたことも理解できていたと思う。なんでこいつは鳥山明をマンガ以外で働かせとるんだと。
だから鳥嶋がゲーム業界でうさんくさいことをやってる、そこは真実だと思ってしまったと。

実際はコブラチームは鳥嶋さんの知り合いが作った普通のゲーム会社。
そして鳥嶋和彦も自ら開拓したVジャンプを去りたくなどなかったのだが、会社の命令でやむを得ずジャンプに戻るしかなくなっていたのである。そのことは噂の眞相にも書いてあるのだが、西村繁男氏はそこは信じられなかったか。
「不届きにも編集長の座を狙う貝山」という、仮想の悪が生まれてしまった。

この『漫画王国の崩壊』は97年の前半には書き終えているのだが、出版までにかなり時間がかかったようだ。発刊される前に鳥嶋の話は勘違いだろって誰かが伝えてあげればよかったのだが…
本書は確かに事実を参考にしたフィクションであるが、西村繁男氏が集英社内部で知った事実だけで書かれているわけではない。その情報源にゴシップ誌レベルのものが含まれるこれは内部告発の書ではない、そのような雰囲気を見せながら単なる想像を書いたフィクションだ。
きちんとした情報があるなら、それこそ西村氏が自分で噂の眞相にでも持ち込めばいいのであり、それができるだけの裏付けも取れないから、フィクションとして書き飛ばしたのだ。
噂の眞相まで確認したことで、そのことがわかった。

(若菜正の人事についても、西村氏は社内で得た情報だけでなく、噂の真相を参考にしているかもしれない)

鳥嶋さんは鳥嶋さんで、真樹日佐夫の道場で空手を習わせようとした件などで西村氏のことを煙たがってたようなのだが、この本は致命的だったろう。一時代を築いた元編集長ともあろうものが、引退するや大して事情も知らないしょうもない記事に釣られてる。それも曲がりなりにも後継者である鳥嶋編集長がとても苦しい時期に、ジャンプを叩く側に乗って。
何やってんのよ。

西村氏の残した著書『わが青春の少年ジャンプ』のほうは、現在でもよく言及されたり引用したりされているが、この『漫画王国の崩壊』と、もう一冊の『まんが編集術』については、まともなところは皆一様に言及を避けているようだった。
むしろ本書をまともに相手してるの鳥嶋さんくらいで、「ものすごく品のない暴露小説みたいなので僕が悪役で書かれてますからね。」とインタビューで正直に言ってた。
まったくその通りだと思う。「みたいなの」までしか行けてないという評価が完全に正しい。

鳥嶋の治世

そのインタビューが載ってるのがこちら。

『実話BUNKA超タブー』2023年1月号の吉田豪の連載で、鳥嶋和彦のインタビューが載ってる。
そこまで言って大丈夫なのか、あらゆる編集者の悪口を書いている。品のなさでは人のことを言えんと思うが、実名も平気で言うからこの人は…
しかし、このインタビューをわざわざ紹介したいのは、他で言ってない内容があるからです。
鳥嶋氏としてはもちろん前任の堀江編集長の手法も批判しているのだが、そんなレベルの話じゃなかったようなんですね。
この堀江体制のときの副編集長ふたりについては他で見たことがない、極めて強い表現で非難している。鳥嶋さんはあらゆる編集者の悪口を言うのでわかりにくいが、ここまで言う相手は少ないはず。
実名は出していないので、この二人が誰か、今どこに行ったのかはわからない…

※いろんな人の話を読む限り、週刊少年ジャンプは編集長と副編集長の担当業務がだいぶ異なるようです。誌面作りには副編集長のほうがむしろ裁量が効いて、そのぶん忙しいみたいな。

そんな体制下で編集部員のモチベーションは下がり、とても荒れていたと鳥嶋さんは言う。
紹介しておいてなんだが、これはインターネットに書き写すのも躊躇するような内容なので、実際に読んでみてほしい。
俺はBUNKA超タブーを買って読めと言ってるのだ。バックナンバー電子版で買えるから。というか白泉社で偉くなって調子に乗ってるマシリトを叩く側の雑誌だろうが。何やってんだよ。

簡単に言えば、ジャンプ編集部には一足早い世紀末が訪れていたようだ。
見かねたVジャンプの鳥嶋編集長は、ジャンプの編集部員を集めて怒ったと言ってる。「ものに当たるな」と。
これは、鳥嶋さんの越権行為ではないかと思うのだが……隣の編集長が説教するほどの惨状だった、と鳥嶋さんは言ってるわけだ。
鳥嶋和彦以外のソースはない。こんなこと表沙汰にしたい人はいないだろうし、これからも出てくることはないだろう。
信憑性はあるとは、個人的に思う。
鳥嶋和彦が編集長になりたくなかったのは、ひとつはVジャンプから離されるのが嫌だったからだが、もうひとつは純粋にこの96年のジャンプ編集部に行きたくなかったからなのだという。

このインタビューを読んだうえで思ったことを書く。鳥嶋和彦が編集長としてやったことは何なのか、堀江編集長の残していった企画を全部捨てたことや、マガジンをライバル視することをやめたこと、新人に力を入れたことなど、それなりの施策を打ったことを鳥嶋さんは言ってるのだが、もしかして鳥嶋編集長の仕事はもっと原始的な話、人が住めなくなっていた世紀末の編集部の環境を整えたとか、そういう基礎的なレベルの話じゃなかったのだろうか?

※ところで堀江時代に新人の扱いが弱かったということについては、鳥嶋さんも記憶よりイメージで言ってるなというのは以前指摘されてるのを見たときも思った。
堀江編集長が10何本も企画を置いていったというのは本当だと思う。

2001年に鳥嶋氏が退いたのち、ジャンプは超・長期連載が何本も並ぶ大安定期に入った。
鳥嶋氏は10年も続く長期連載に否定的な立場なのだが、それができる居心地のいい編集部を作ってしまったのはもしかして鳥嶋和彦なんではないだろうか…?

すれ違い

ドーベルマン刑事』の人気を回復させたことは鳥嶋氏も初期の仕事としてよく言及しているが、西村繁男もそのことは覚えていた。
西村氏は鳥嶋の能力を評価していたし、本人は体育会系でもないっぽいし、編集論、人事論、会社というものへの姿勢、漫画の好み(鳥嶋・西村ともに漫画自体は好きではなかった)、いくらかの相違はあれど、それほど遠く離れている印象でもないのだが…

新人時代から鳥嶋を見て、よく知っていた西村氏。もう少しだけ鳥嶋編集長を信じてやることはできなかったのか。
西村氏の言葉を借りるなら、このときのジャンプは安定期ではなかった。鳥嶋こそ乱世に向いている編集長ではなかったのか。
いや、よく知ってるから信じられなかったのか。この2人は信頼関係を築けていなかったのだろうか…

『漫画王国の崩壊』は、黄金期を築いた編集長である西村繁男氏の退社後の汚点と考える。告発をやるなら、もっと別のやり方はなかったか。それができないほど周囲の信頼がなかったわけじゃあるまいに…
退社後に出会った仲間に恵まれなかったのか?
それは『まんが編集術』を見て思った。

もっと後の21世紀、70を過ぎた西村繁男のインタビューを幾つか見たが、言動はまともそのもので、ちょっと感覚は古いかもしれないけど、編集長を務めた実力は確かなものだったと思うし、かつての作家、編集者たちからの信頼も残っていた。
そして、70も半ばとなった西村氏が、遥か昔に部下だった鳥嶋和彦を「鳥嶋くん」と親しげに呼んでるインタビューがあったのも見つけた…
自分が10年以上前に書いた本を、晩年の西村氏は自分でどう思っていたのだろう。

この97年ごろだけ、西村氏の中で何かがズレたのだろうか?
そのようには思えた。
そうなってしまった原因の一端に、噂の眞相の鳥嶋の記事があったということに気づいてしまった。これは、残しておいたほうがいいと思う。

おわりに

ゴシップへの態度ということなら、松野泰己スクウェアに引き抜かれたと信じて坂口に食って掛かった鳥嶋さんも似たようなもんであったことは言っとこう。実際は松野氏自身は普通に転職していったとの認識だという。
しかし当時のスクウェアは実際に引き抜きをやってたかはともかく、警戒されていたのはそうらしい。仲良しの鳥嶋さんでさえそう思ってたんだから。

97年連載作品などのジャンプの掲載情報についてはジャジャン研さんを参考にしました。

www.jajanken.net

堀江信彦氏の異動理由については、部数減による更迭であるというのがWikipediaに書いてある情報ですが、ソースはなくWikipedia以外のどこにも書いてない気がします。この異動は鳥嶋氏のほうの都合で3ヵ月引き延ばせたわけですが…
実際に部数が減り始めたのは95年のドラゴンボール終了後ですが、96年の時点ではまだそこまで減っておらず、本格的に減るのはむしろ鳥嶋氏に交替後です。
その原因を作ったのが堀江体制であるということかもしれませんが、堀江氏の交替は95年中に決まっていたということなら、部数が原因での更迭だとすればちょっと早い気はします。
部数とは別の理由があるか…あるかもしれない。
あるいは堀江氏の自分の意思で異動したということはありえないのでしょうか。謎です。
更迭に近い状態だった可能性は高いと思いますが、そうだったとして集英社が公式に更迭だったと表明することも考えにくいとも思います。

編集長の交代時期をメルカリなどに出てる裏表紙を見て特定しましたが、特に書くところがなかった。編集長表記が堀江信彦になるのが93年43号(10月11日号)で、1996年15号(3月25日号)から鳥嶋和彦となっていました。堀江体制が続いたのは2年半くらいのようです。

4月24日 追記というかフォロー?

ライバルを尋ねられた鳥嶋氏、ライバルという意識はあまりなかったが、やり方が上手い編集者として、堀江信彦、松井栄元、高橋俊昌の3名をあげています。別の座談会では堀江氏とは漫画の好みが違うということも言ってる鳥嶋さんだが、やはり編集者としての堀江信彦氏のことは高く評価している。批判しているのはあくまでジャンプ編集長時代のやり方のようです。