私は西村繁男氏のことをよく知らなかった。
週刊少年ジャンプ3代目編集長、西村繁男は、『少年ジャンプ』創刊スタッフの1人であり、1978年から1986年まで、8年の長期間を編集長として務め、その部数を400万部まで伸ばした伝説的人物だ。まさにジャンプ黄金期の真っ只中の編集長。
でも私はその頃のジャンプを読んでいない。掲載作品なら知っているものも多いが、誌面の雰囲気というのはほとんどわからない。
西村氏は86年からはジャンプ編集部の上の部長になり、その後取締役を経て94年に集英社を離れるが、99年までに3冊の著書を残した。
特にその第1作『さらば、わが青春の少年ジャンプ』は、現在もジャンプ周辺の話題で多く言及されている。
では、ほとんど言及の見当たらない2冊目と3冊目は?
いろいろあって、著書を全部読んできたが、そこに妙な事実が見えてきてしまった…
いろいろと…
さらば、わが青春の『少年ジャンプ』(1994年)
1冊目『さらば、わが青春の『少年ジャンプ』』は、西村繁男氏が退社を決意した頃に書き始めていると思われる。(出版時はまだ在籍?)
本書は、少年ジャンプ誕生秘話であり、西村繁男の自伝であり、少年ジャンプ創刊からの四半世紀の記録でもある。現在もジャンプの基礎となっているシステムについての、最初の当事者である西村氏自らの貴重な証言集であり、初版から30年が経過した現在読んでも大いに意義のある内容となっている。初代編集長の長野規が定めたアンケート主義、当初は苦肉の策から生まれた新人を重視する方針、そして専属契約システムの誕生経緯。また編集者としての雑誌作りの仕事内容についても触れている。
西村氏が担当していた本宮ひろ志をはじめ、多くの作家、編集者の思い出も語られる。
これが徹底して西村氏の主観視点で語られるのも特徴で、つとめて客観的で冷静ながら、それらは西村氏自身の思い出として語られていく。これは記録集であると同時に、西村繁男自身の青春を描いた物語でもある。
本書は別に私が紹介するまでもなく素晴らしい内容だ。だが少し引っかかる点もなくもない。
ひとつは編集長時代の尺が短いことだ。西村氏の集英社在籍の32年のうちの1/4がジャンブ編集長だったわけだが、そこは短めに済まされていて、編集者や作家の紹介が主となっている。黄金時代を築いた名作の数々も多少紹介しているが、大して深掘りしていない。個々の編集者の評価は結構書いてあるのだが、全然出てこない編集者もいるようだ。
編集長時代よりも、長野規のもと一般の編集者として過ごした時代のほうが多く尺を取っており、「伝説の編集長の伝記」と聞いて想像できる内容とちょっと違う。タイトル通り若き日の西村氏の青春に重きを置いているのだ。
内容は面白いんだけど、今の読者が事前に期待する内容じゃないかもしれない。
もうひとつ気になるのは、ぼんやりフィクションの気配があることだ。
プロローグで西村氏は人物の実名を出さずフィクションにするか、ノンフィクションにするか迷ったことを書いている。なので基本的には事実に基づいているようであるが、ところどころ記憶違いというより、ちょっと話を編集してないかな?と思える描写が混ざっている。
具体的には、臨時労働者組合の委員長だった遠崎史朗との対決を経て、遠崎が漫画原作者を志望する経緯は非常に熱い展開なのだが、そこの会話劇にストーリー性が強すぎると感じる。
また最初期の本宮ひろ志が『男一匹ガキ大将』の最初の3話のネームを自分から西村氏に言い出して、本当に1日で書いてきたというエピソードが出てくる。だが『少年リーダム』1巻の対談ではそのときの締め切りは1週間で、「できるわけないですよ!」と長野規に言ったと本宮先生自身が言っており、西村氏も同調してる。だから1日というのは作りっぽいし、長野編集長もそこに関わってたことが省略されてる。
こんなふうに本書の多くの部分は信用できるが、出来すぎてる部分についてはちょっと疑う。
本書の締めくくりは西村氏の退社経緯について。若菜正社長の体制のもと西村繁男は役員となるが、業務の変化で実力を発揮できず、担当部署も移されジャンプや漫画と遠ざかっていった。
最後に担当した広報室。1年前に集英社で起きた盗難事件について、とっくに警察に通報されていたものだが、その記事が夕刊紙に掲載されたことが問題視された。西村氏はその記事を止める立場ではなかったという考えだったが、責任を押し付けられる形で、また異動を命じられる。
「わたしは、ためらうことなく辞表を書いた。」
役員の任期が残っていた西村氏の辞表は受理されず、異動は撤回され関連会社(創美社かホーム社か?)への出向という対応となった。
ここは人事のまずさを告発するような内容とも取れる。このとき多くの漫画家に心配されたともある。だが西村繁男は長々と恨み言を書くことなく、そこで本書は終わりとなる。
文庫版(1997年)
文庫版については、続きが追加されている。
初版から3年間の間に、ジャンプの状況が一変したからだ。
94年時点で西村氏が高く評価していた5代目編集長の堀江信彦は96年に異動になり、Vジャンプ編集長だった鳥嶋和彦が編集長となる。そしてドラゴンボールの終了と共に部数がどんどん落ちていき、ついにマガジンに並ばれる。
文庫版はそんな時期のものだが、さかのぼって93年に副編集長だった堀江信彦氏が編集長になった経緯から書かれている。初版には書いてなかったのだが、その時点で鳥嶋和彦は編集長代理という前例のない役についていた。誰の発案かはわからないが、誰が見ても鳥嶋編集長が既定路線だった、と西村氏は書いている(鳥嶋氏自身もそう思ってたが、正確な事情は知らないようである)。
で、4代目の後藤編集長がそれをひっくり返して堀江氏を指名した、ということらしい。西村氏は、社長の意向に反した指名だという噂が社内にあったとも証言する。そのことにより亀裂が入った、という。
そして鳥嶋和彦は第3編集部次長となり、同じ部に属するジャンプの堀江編集長より役職が上だった、と書いてある。その上の後藤前編集長と下の堀江編集長の間に「楔を打ち込まれた形になる。」だそうだ。
ここは次の本を読まないとわかりにくいが、鳥嶋は若菜派閥に接近している人間であると、この97年の西村氏は考えていたようで、しかしまだそれを詳しく書くことはしていないので、わかりにくくなっている。
「この間の陰湿な社内の動きを述べるつもりはないが、雑誌づくりに専念できる状態ではなかったことはまちがいない。」と堀江信彦に同情を向ける。
要するに、原書の出た94年の時点で結構いろいろあったのだが、書かないようにしてたようだ。
だが、具体的でない。鳥嶋編集長が社長の意向だったというのもあくまで噂だ。
また西村氏は、後藤・堀江時代にドラゴンボールに代わる人気作の開発が進まなかった理由として、編集者が育っていないことを問題視している。そして、その原因を編集長らではなく、若菜社長体制による人事が原因とみなしている。これは以降の2冊の著書でも一貫して主張されている。
これが実際どうだったのか、集英社やジャンプ編集部を知らない私にはわからないが…
次の本『漫画王国の崩壊』を読めば、この文庫版の加筆部分については注意が必要だとわかる。少なくとも、そのまま受け止めるのは危険に思う。
特に鳥嶋和彦については、97年時点の西村繁男は事実を正しく把握しておらず、周辺の「風聞」に惑わされているものと、私は考えている。
94年時点では、Vジャンプを立ち上げた鳥嶋和彦の能力を高く評価する記述しかなかった。西村氏は3年の間に鳥嶋の評価を変えている、と私は考えている。
その背景は前記事に書いたとおり、鳥嶋がVジャンプを捨てて編集長として復帰してきたこと、堀江を追い出した形になること、その背景には上層部とのつながりがあったと西村氏が見ていたこと、そして鳥嶋が裏で怪しい副業をやっていたという噂が当時あったこと、それぞれが西村氏の鳥嶋評価を下げる理由となっていたと考えられる。
93年に編集長になれなかった鳥嶋和彦が編集部を出ていかざるを得なかったこと、逆に96年は編集部に戻るのを嫌がっていたが上の命令で戻ってきたことは書いてない。この2点は西村氏は認識してなかったのだと思う。若菜正の人事の意図についても、西村氏が考えている通りなのかは疑問は残る。
詳しいことは次の本で出てくるのだが…
文庫版の巻末には藤脇邦夫の解説がついている。この藤脇氏は3冊目『まんが編集術』を主導する編集者であり、その構想を既にこの解説に書いている。
漫画王国の崩壊(1998年)
この2冊目が問題の書だ。こっちはフィクション。
本書は小説である。銀星社の唐戸公平という男が苦労の末に社長となり、その人事に週刊少年リーダー元編集長の牧村は巻き込まれ、編集部が凋落していくのを見届けていくしかない…という内容になっている。
現実の集英社と少年ジャンプをモチーフとしているが、あくまでフィクションとして書かれている。
登場人物の名前は全て架空のもので、唐戸公平(若菜正)、牧村義雄(西村繁男)など、大部分は名前の原型もとどめていない。例外は井川ひろ志(本宮ひろ志)くらい。
おもに唐戸と牧村の視点で物語は進行する。
問題点はとにかく多い。
まず本作はフィクションなので、事実がモチーフとはいうものの、どこからどこまでが事実に沿っているのか全く分からない。
序盤の井川とのゴルフ場でのやりとりも本当にあった話かどうか全くわからん。唐戸の視点で進行するパートも多いが、当然西村氏がその場に居合わせたわけがなく、唐戸の野心・心理描写はどっかで聞いた話をモチーフにしてるのか全くの想像で書いてるのか全て謎。
その唐戸、親衛隊を集めて、丁寧語で神経質でヒステリックな言動で浅はかな人事を振りかざす人物…として描写されている。いちいち全ての人事に唐戸の細かい意思が介在しており、銀星社は乱れていく。
この唐戸という人物の安易な描写、モデルの若菜社長と一致しているかはわからないが、つまり本書は存命の実在人物をモデルにして愚弄するような小説なのである。
ある意味マンガらしい、『かっとばせ!キヨハラくん』みたいなもんか。
ただし本書はギャグではない。
そして出てくる人物は原型をとどめない仮名なので、そもそも誰をモデルにしてるのか、どういう人の流れなのか、集英社の内情を知らん読者にはまったくわからん。
いや、その内情を伝えるための小説なのだろうが、何が真実で何がフィクションなのか、判断が不可能だ。専務の安濃って誰よ?
まず内容が全体的に唐戸派閥を愚弄することに注力しているため、編集部周辺で起きていたトラブルなど、事実に沿っているのか、愚弄を目的としたフィクションなのか、事実だとしても編集部の内情、既に在籍していない西村氏が仮名でも書いていい内容かどうかわからない。
仮名ならむしろダメなように思えるので、エピソードの数々はここに引用するのもためらわれる。
言葉を選んでひとつ紹介すると、ある漫画家が印税で編集部と揉めた話が紹介されている。その漫画家は名前は載ってないが作品のモデルはなんとなく特定できる書き方をしており、〇〇〇〇先生を想定してるっぽいのだが…西村氏も伝聞で書いてるとすれば事実かどうかは全くわからないし、ここで実名をあげると、僕がその〇〇先生に対する根拠のない噂を流すことになってしまうのだ。
僕の予想が外れてて××先生かもしれないし、いやモデルなんていないのかもしれない。
連載終了をちらつかせて、ゴネ得を狙っているとまで書かれているこの漫画家、本当にいたんだろうか。知らないよ。
気になるなら読んでみるのを止めはしないが、読んだところで本書の全てが事実かどうか判断はつかないはずだ。事実だったところで、30年前の集英社の内部事情など今知ってもできることは何もないが…
しかし、その内情にどうやら不正確な情報が少なくともひとつは混入していることは確認済みだ。ここが前回の記事で書いた部分。
『漫画王国の崩壊』を現在読んで、私が事実性の検証ができたのは6代目編集長の貝山三郎(鳥嶋和彦)がゲーム業界で怪しい金の動かし方をしているというスキャンダル記事の部分だ。だが、これも牧村(西村繁男)が直接見聞きしたことではなく、情報誌に載ることを記者から伝えられるということになっている。
その「情報誌」のモデルが『噂の眞相』だというのを本書だけで察するのは難しい。98年当時ならわかった人もいただろうが、20年以上経った現在その記事を覚えてる人はおるまい。私も鳥嶋氏の2016年の発言を気にしていなければ気づくのは無理だったな。
その噂の眞相の97年の記事が大したものじゃなかったことも、実際に読まないとわからなかった。前回指摘したので詳しくは省略するが、コブラチームっていうマイナーな会社を鳥嶋和彦の作った会社だと勘違いして書かれた、いい加減な告発だったのだ。
貝山(鳥嶋)について西村氏の重要な情報源は、内部情報ではなく雑誌。本書は内部告発のような雰囲気を出しているが、一般人と変わらない視点での想像で書かれた内容も含まれる。
いや、その『噂の眞相』も内部情報から書かれていたものだった。その集英社内部からの情報こそがダメだったから変な記事が出たのである。
関連会社にいる牧村(西村)のもとにも貝山(鳥嶋)の噂が届いてきたことが本書には書かれているが、その噂自体の信憑性もまた同様に怪しいことを意味する。
もちろん本書の主題である唐戸(若菜)についての話題も、今のところ怪しむしかない。
だいたい西村氏は集英社でもジャンプ周辺以外ぜんぜん知らないことを前著に書いており、他の部署の話題に大した信頼度はない。集英社の内部から出てきた情報など、一般誌の噂以上に信用できないということを本書が示しているのである。
その内部情報っぽいものに基づいて、本書では吉野(堀江)を追い落とした悪役のように扱われている貝山(鳥嶋)。
鳥嶋和彦氏は今でも西村氏を嫌っているようだが、実際本書には鳥嶋氏が西村繁男を一生許さなくても仕方ないだけのことは書かれている。むしろ現在も話題にできる余裕があるだけ憎しみは浅いと思うが。
この本、大した反響はなかったのかもなあ。
もしかしたら西村氏も全て信じてたわけじゃないかもしれない。前著の西村氏と牧村で社長への認識が違ってるし。
まえがきにはこうある。
「本書は、一つの小さな神話の崩壊原因を、ある一面から追跡しようと試みた仮説である。従って実在する雑誌周辺のシチュエーションは借りているが、あくまでフィクションとして展開しているということを断っておきたい。」
仮説でありフィクションなのだ。だがそりゃ逃げである。こんな告発みたいなものを逃げの姿勢で書いて許されるものではない。
集英社の内情を知らない読者の立場でも個人的に許せないことがあり、この本ぜんぜん面白くない。フィクションとして単に出来が悪い。
とにかく唐戸が悪い!ばっかりで牧村のキャラも薄くて、編集長として何の仕事をしたのかもよくわからない。この人ゴルフと酒以外に何かないのか?
本書は西村氏が得意とするはずの編集部やマンガについての話題は乏しく、ほとんど想像力だけで書かれた人事の話ばかり。キャラクターも何のために配置されてるのか大半わかんない。
いろんな人が出てきたけど唐戸社長が好き勝手に人事を動かしたらドル箱編集部は衰退していった!自業自得!
こんな程度が集英社の闇なの?
偉大な編集長が自分でストーリーを書いたらこんなもんなのか?事実に基づいてるからつまんないのはしょうがないと?
いや、それなら事実のていで書かれている前著『わが青春の』はちゃんと面白かった。この本書いててつまんないと思わなかったのか。
そうなった原因のひとつとして、『わが青春の』と内容のかぶりを避けているようである。漫画編集部について本書に書くことが残ってなかったのだ。
数少ない前著に出てこなかったエピソードの中には、興味を惹かれるものもある。広告代理店の顧問の速水(誰?)の持ち込んだ企画、ETにメッセージ発信するというのは牧村が非常に気に入って、かなりの予算がかかったが実行したことが書いてある。これは1983年のジャンプに実際に載った記事らしく、事実に基づいているっぽい。
また西村氏の出向時代(創美社?ホーム社?)の話は前著にはなかったので、本書はそれを知る貴重な情報源となる。
しかし、こうしたそれっぽい部分すらも真実性は一切不明。情報源としてそのまま信じていいものでもない。
本書は97年には脱稿していたが、なんか印刷所に圧力がかかるなどして出版社を変えるなどして1年延ばされた、ということがあとがきに書いてある。もしかしたら本当に集英社の上のほうに都合の悪い内容も入っていて、それに圧力をかけるような存在もいたのかもしれないが、現在それを検証するのは不可能である。
本書は97年時点の西村繁男が何を考えてたかの参考文献であり、『わが青春の』の文庫版がどういう心境で加筆されたかを知るヒントにはなるが、それ以上の意味を見いだすのは難しい。読んでも変なデマの発生源くらいにしかなるまい。
こんなもん出版を止めろ、とは言わないが、世に出してしまったことに対してその責任は負うべきだろう。なんちゅうもんを書くんやと、ここで批判はしておきたい。
あとがきでは部数が落ち続ける少年リーダー(ジャンプ)について「反転攻勢への態勢を整えてくれるよう、祈ってやみません。」とエールを送っている。社長を退いた唐戸(若菜)についてはふっきれておらず皮肉を書いてるが、本文で悪く書いた鳥嶋編集長に対しては特に何も書いてない。
98年時点のジャンプは執筆時の97年前半よりは状況が良くなってるから、少し気を使ったのかな。特に鳥嶋さんへの評価については、97年の自分が書いたものに出版時に既に疑問を持っていた可能性も残す、微妙な締め方となっている。
まんが編集術(1999年)
3冊目はまた雰囲気が変わる。本書も著者は西村繁男となっているが、実際は編集者の藤脇邦夫氏が企画したものであり、西村氏への1年にも及ぶ長期のインタビューをまとめたものとなっている。
この3冊目については、『漫画王国の崩壊』とは全く別の問題がある。
西村氏の発言が軽率だ。
変わった構成の本で、最初はジャンプより前の初期の少年誌についてのインタビュー、次はジャンプの誌面をどうやって作るかという編集者としての話。何種類かのインタビューの中に挟まって、本書の半分くらいが「ヒット作の舞台裏」というインタビューで、各年代の有力タイトルについての談話になっている。
しかし何をもってヒット作としてるのかは謎で、3話くらいしか掲載してないものにも言及しているし、何年も続いてアニメ化もしてるのに一切言及してないタイトルもある、なんか適当なコーナーだ。
全体としては、かつての大編集長によるジャンプ作品レビューという感じになっており、特に70年代から80年代前半の作品には当事者しか知り得ないたくさんの裏話が出てくるのだが、作品によっては半ページも語らず、「ぼくもそのくらいの印象しかないですね」みたいな投げやりな感想を平気で置いて行ってる。
理由のひとつは西村氏が書いたあとがきに書いてあるが、長期間のインタビューで世代の違う4人のインタビュアーに何度も質問され、重複する質問もかなりあり、うんざりしていた様子だ。
「それほど執拗なインタビュアーの熱意とご理解いただきたいと思います」と西村氏もフォローは入れてるけど…
言わせてもらえば、どうやら脚注も書いた若いインタビュアーの質が低い。
ひどいと思った例だと『BØY』に対して「あんまりいいと思わないんですけどね。」とあっさり言う西村氏に、聞き手のほうも「とりたててどうという作品ではないんですけど、今でも続いてる。」
聞くほうも聞かれるほうも興味ない作品についてのインタビューとは一体。
これは伝説の大編集長が、自分が現役時代の作品も含めて裏話と一緒に軽率なことを言ったりディスったりする本で、現役を外れてからのほうが軽率さが加速する。そういう発言を若いインタビュアーが引き出させようとしてるのを自覚してるのかどうか。
なかでも『きまぐれオレンジロード』や『Bastard』のことは悪く言ってる。
言わせてる感が強い。
特にドラゴンボールは「絵としての完成度はあるかもしれないけど、作品としては別にどうってことないと思うけどね」と、この普通言わなそうな本音を引き出したのもすごいが、しかし聞き手もこれに乗っかっていくのがまずい。
「それまではドラゴンボールを探すという『西遊記』的なノリで進んでいた」のが、宇宙人出てきてから「『ライバルとくっついてという、『ジャンプ』お決まりの展開になっていったんです」「『ドラゴンボール』を探すという、夢というか、テーマはどっかに消えて」と古参読者アピールをして嘆いてるが、初期の冒険路線がウケなかったから鳥嶋のテコ入れで早々にバトル漫画になったのは西村編集長の時代であり、それを受け継いで引き延ばしたのは西村繁男が後継者と見込んだ後藤であり堀江であって、その言い草は西村氏を含む全ジャンプに刺さるということを理解して言ってるのだろうか。
西村氏はDr.スランプを素直に高く評価しているのに対して、ドラゴンボール、そして鳥山明自身をそれほど高く評価していなかった。そのことが本書でわかる。わかってしまった。
それを載せた編集長が西村繁男自身だ。
99年14号を実際に見て論じるコーナーもひどい。このときジャンプの部数が下げ止まった原因のひとつとして、遊戯王のゲーム版がヒットしたというソース不明の情報を聞き手のほうが持ってきている。
過去にゲームメーカーにいた高橋和希、ゲームの企画書のようなものとして持ち込まれたものがマンガになった、というソース不明の経緯(事実と異なると思う。最初はゲームと言っても商品化を想定してない闇のゲームの漫画だし)を話しながら、「ただ、まんがとしては面白くないんです。ゲームのマニュアルとしては、これほどのものはないというようなまんがではあるんですが。」と恐ろしいことを聞き手が言い出すがそれ決めるのはおめえじゃねえよ。西村繁男の名で売ってる本なのに、聞き手のほうが主張してる。しかも認識が浅い。
つまんないよねと偉大な編集長に言わせたいのか?逆に面白いと思ってたらどうするんだ?
西村氏は遊戯王は知らないのか、「そういう漫画が下げ止めの原因になっているのはなんか象徴的な話ですね。」と気のない感じの反応をかえすだけにとどめてる。無難な言い草のようだが、聞き手の欲しがってる言葉を言わせちまってるのだ。
ゲームがヒットしたと言っても、OCGが始まるのはこの少し前の99年2月らしいので、その前のコナミのGB版と、そのベースのアニメ版(東映)や、バンダイ版カードの話だろうか。
アニメ化されていた遊戯王の作品自体の人気は下げ止まりの理由のひとつではあるだろうが、99年の時点でゲームがそこまで大きな存在とも思えないが…
この1999年14号って、はっきり言って鳥嶋時代の人気作品がかなり揃ってきてる号で、まだTVアニメ開始前だがイベントでアニメ化されたONE PIECEが既に看板となっていた。そんなことは聞き手も知ってるはずなのだがスルーして、遊戯王のディスりと、高橋陽一の新連載『FW陣』の話をしている。
新連載なら、少し前に始まったばかりの『ヒカルの碁』がかなりの存在感だったはずだが、それもスルー。復帰成功してとっくに軌道に乗ってた冨樫義博の『HUNTER×HUNTER』もスルー。前時代からの長期連載のぬ~べ~が終わりかけなのだがスルー。
後藤時代の最末期から始まってずっと一定の立場があった『地獄先生ぬ~べ~』に、本書通して一回も言及してないの、異常だと思う。
つまりこの本の後半、「最近(90年代)のジャンプつまんねえ」という聞き手側の主張ありきで、それに西村繁男の名前を利用しようとしてる。
ジャンプが力を取り戻しつつあったから部数が下げ止まってるとも考えず、「遊戯王のゲームがウケた」といい加減な理由付けをしてしまってるのだ。
それもたぶん、この99年のページを担当してる若い聞き手個人の問題だろう。
聞き手は藤脇邦夫のほか、土屋静光、菅沼嘉人、天蒼一朗の4人となっている。作品の年代別に4人が交代しているらしいが、前の二人は名を残す編集者だが、後の若い二人はこうして書いたところで名も残ってない人たちで、誰だったのか全くわからん。中でも85年以降のタイトルを担当し、一番若くて脚注も書いてる天蒼一朗(若いと言っても75年生まれ)って人の発言の質がかなりまずい気配がする。
だが本書には各ページを誰が担当したのか、正確には書いてないのでよくわからない。聞き手が二人いるっぽい場面も何箇所かあった。
1977年から1984年までは菅沼嘉人が担当となっている。84年末のドラゴンボールを聞いてるのはこの人ということになるが。
この本は、特に西村氏が現役だった60年代、70年代の作品について、当事者からの貴重なエピソードもかなりある。
だが通して読むと、特に80年代後半以降の印象がとても悪い。この本の目的は90年代の軟弱なジャンプを叩くことなのだ。特に若い聞き手のほうの意思がそう。
なんでそんなことするかって、落ち目のジャンプを叩いたほうが有利取れそうだからね。この頃ジャンプ叩きをやってる媒体は結構あった。
そのダシとして西村編集長の名を利用してようとしてる。別の言い方をすれば、西村氏に老害っぽい言葉を言わせたいんだ。
西村氏もジャンプの将来を悲観視しているだけでなく、編集部の人事が乱れ、編集者も作家も新人育成が上手く行かなくなったのは後藤時代からだと思っているから、それに乗っかるような形になってしまってる。
もちろん鳥嶋編集長への期待感も低いが、それは鳥嶋の実力の問題ではなく、鳥嶋くんじゃなくても誰がやってもジャンプは立て直せないだろうということを言ってる。西村氏は人事で編集部を破壊されたと思っているからだ(鳥嶋くんの作品の好みが出てきていることには苦言を呈しているが、前著で見せた鳥嶋個人への否定的評価もなりを潜めているようだ)。
こうした状況を、数年後にあっさりマガジンを追い返した以降の知識で読むと、的の外れた論評をしてることが浮き彫りになってしまってるのである。
だから、この本はあまり読まれていないとも思うが、西村氏を慕う側の人からは言及もしにくいだろう、ということがわかった。貴重な情報もかなりあるんだけど、手離しに誉められた内容ではない。
西村氏の言わないでいい余計な本音を引き出していると同時に、聞き手に流されていて本音で言ってるか怪しむ部分が多々ある。その原因として天蒼一朗とかをここで叩いたところで現代のインターネットに名前の一片も残ってない謎の人物なんだけど、この無責任なインタビューをやった若造の名前が残らず、西村繁男の名だけが残るってのは、わたしゃだいぶ気持ちが悪い…
補足・読んで思いついた内容など
西村繁男の出向時代
94年に『わが青春の』を出版後の西村繁男氏、ホーム社にいたということが藤脇邦夫『出版アナザーサイド』に書いてあった。西村氏の著書では出向先の企業名など書かれておらず、そこが曖昧だった。
藤脇邦夫氏は『本の雑誌』で『わが青春の』の書評を書いて以降、西村氏と個人的な付き合いもあったようである。
これで確認が取れたと思ったのだが、『まんが編集術』巻頭の年表だと93年5月から創美社に出向となっており、94年6月に『わが青春の』を出版と同時期に退社したことになっている。どっちが正しいんだ?
『漫画王国の崩壊』では牧村の出向先として出てくるのは「書籍出版部門の下請け会社」「少女誌グループのコミックスの下請けもしている」会社だった。創美社のほうがそれっぽいか?
ただ本書はフィクションであって、在籍してる期間も事実と違ってる気もするし合ってるのかもしれないが…時間経過がわかりにくい本で、よくわかりません。
ジャンプのラブコメ否定の話
インターネットで見かけた漫画知識のひとつが、ジャンプの西村繁男によるラブコメ否定だった。「ラブコメの掲載を拒否した西村が、ラブコメ推進派の鳥嶋と対立してた」と。
やはりそれも著書を読んだらいろいろ違うことがわかったわけだが。違うというか、別々の説明を勝手にくっつけたものだ。
西村編集長がラブコメの掲載を嫌がっていたのは本当らしい。1980年ごろにサンデーから押し寄せてきたラブコメブームに対し、「しかし若いスタッフが連載企画で出してくるのが、どれもラブコメまがいの漫画であることは情けなかった。わたしは意識的にラブコメを排した。」と『わが青春の』には書いている。少年誌にラブコメは合わないという意識も確かにあったようだ。そして西村氏自身の好みからも外れていたようだし。
しかし、これはブームに乗った安易なラブコメに辟易していたという状況でもあり、ラブコメの存在そのものを否定していたわけでもないことはちゃんと言っていた。
ここは明確なことを晩年のインタビュー(2012年ごろ実施)で言っているのを見つけた。
>前に触れたように、「サンデー」がラブコメで伸びているとき、「ジャンプ」のスタッフはかなり危機感を持っていたらしい。挙がってくる企画もラブコメばかりになったが、西村自身はラブコメに否定的だった。
>「というのも、2匹目のドジョウが1匹目を追い越すことはできないんですよ。
ラブコメにラブコメで挑むのは不利という戦略的、現実的理由もあったわけだ。ライバルの真似をしないというのは、他でも通じる話だ。
実際のところ、すり抜けて掲載されているラブコメ的タイトルもあり、西村繁男の編集長権限が及ぶ範囲でのラブコメ拒否だったのだろうと思うが、それで北斗の拳が出てきたんだから戦略としては大当たりだろう。
鳥嶋和彦の話もちょっと違う。鳥嶋氏は確かにラブコメは扱っていた編集者で、ウイングマンにラブコメを入れさせたり、最初期のドラゴンボール(ウケなかった)にラブコメ的要素を見いだしていたことはわかっているが、結構失敗もしてるとも伝えられている。
ラブコメを成功させたのは、のちに鳥嶋氏の次の7代目編集長となる故・高橋俊昌氏だったと鳥嶋氏自身が言ってる。その高橋氏とは仲は良かったようだが、ラブコメ派閥で共闘してたわけでもなく、鳥嶋氏のラブコメは普通に負けたんである。
西村氏もウイングマンには不満があったのかチクっと言ってるものの、鳥嶋がラブコメを出してきたと名指しもしてない。ラブコメを推していたのは若いスタッフ全般の話であり、鳥嶋和彦をその代表に持ってくる言説は、かなりの違和感がある。
この鳥嶋と西村の対立というのは、『わが青春の』を読めばわかるがラブコメの件ではなく、強いて言えばメディアミックス展開の手腕がありすぎたがゆえに編集長として支持しなかった93年のこと。西村氏は鳥嶋和彦の能力自体は高く評価していた(前回の記事で書いたので割愛)。
また堀江編集長の異動後、若菜の人事の批判に転じた97年の西村繁男が鳥嶋和彦に対して疑いの目を向けていたことも『漫画王国の崩壊』ではっきりしてくる。
一方の鳥嶋氏はそもそも西村氏を嫌っており、「彼とはとことん合わなかったからね。嫌われてたし」と吉田豪のインタビューではっきり言っている。そこまで言う原因のひとつはこの『漫画王国の崩壊』なのだが、他にも学閥を持ち込まれた話や、空手道場に通わされそうになったことなど、理由は複数あった。これはラブコメブームより前なのだ。
(空手の件は西村氏も記憶に残ったようで『わが青春の』に書いている。「見かけのひ弱さとは異なり、相当以上の頑固さの持ち主であることが判明したのはこの時だった」と軽く皮肉りながらも、そんなに悪印象でもないようには見える)
このように明確に書いてある対立があるのに、西村氏も鳥嶋氏も直接発言していないラブコメでの対立のみを強調しなきゃならんのか、僕にはわかりかねる。
これは全くの勘なのだが、どうも、このジャンプラブコメにまつわる言説、インターネットではないどこかに元ネタがあるんじゃないかと見てるが…
ドラゴンボールへの立場
『まんが編集術』でのドラゴンボールに対する評価については、軽率な聞き手を前につい口が滑った感はあるものの、本音だろう。
そこは正直理解できる経緯があるので、ちょっと考察を入れる。
もともと西村氏は前作『Dr.スランプ』のほうは高く評価していたが、鳥山先生の要望による終了は認めた。
それは鳥山先生にインターバルを与えるという意図と、「この作品がなくても大丈夫だっていう確信があれば、そういうこともできるわけですよ。」と言っており、つまり終了時点でもかなりの人気作ではあったが、当時の誌面に他にも強い連載があったことから、それほど心配しなかったのだ。
なお鳥嶋和彦氏は当時の副編集長から終了する条件としてDr.スランプより面白い漫画を要求されたことも言っており、ここは西村繁男の意向とはどうもちょっと違うのかもしれないが。
だが、しばし休んだ後に始まった『ドラゴンボール』だが、当初はそれほど人気がなかったとされる。せっかく人気作を終わらせたのに。
しかも、当初からアニメ化の含みがあったことを西村氏は述べている。『まんが編集術』によれば「だって『ドラゴンボール』なんて、『Dr.スランプ』やってる時に、次の鳥山さんの作品でお願いしますって」。
これは『わが青春の』のほうにも同様の記述はあった。西村氏はアニメ化には連載開始から一年は待つ方針を定めたのだが、テレビ局側がDr.スランプを引き延ばし、後番組のドラゴンボールのアニメ化を根気強く待ったのだという。
つまり、始まる前から期待をかけられていたドラゴンボールに人気がないというのは、西村編集長にとってはテレビ局の期待を裏切ることで、かなりまずい状態だったはずである。
(実際アニメ『Dr.スランプ アラレちゃん』の末期はオリジナルエピソードで埋まっていたようなので、西村氏の言ってる経緯はおそらく本当である。
ドラゴンボールに本当に人気が出なければアニメ化されず終わっていただけの話だとは思うが、もしかしたら終わらせにくい状況というのが起きていたかもしれない)
鳥嶋氏や鳥山先生がアニメ化の含みを認識してたかはわからないが、ドラゴンボールの人気に危機感を抱いた鳥嶋和彦はかなり早い段階で鳥山先生と相談して路線変更を画策、天下一武道会による格闘漫画へのシフトで一気に人気トップに躍り出た。
これはアニメ化の前の話であり、特に問題なくアニメ化は進んだわけだが、このテコ入れ手段には、想像になるがたぶん西村氏は問題を感じていたのではないかな。
西村氏は「対決パターン」という言い方をしているが、この天下一武道会のテコ入れは『リングにかけろ』の類似だからだ。元は『アストロ球団』だという。
これは手っ取り早く人気を取る、よくあるパターンだった。その類型で簡単にトップを取ったドラゴンボールの強さは認めるとして、やはりそれは類型でしかないと西村編集長は思ったはず…
ドラゴンボールの連載期間は、西村編集長の在任期間だと最後の1年ちょっと。
86年18号が西村編集長の最後の号らしい。天下一武道会は終わり、マッスルタワーを越えた直後。
試合形式の対決パターンから脱却してきたドラゴンボールもすでに大人気だったが、実際この頃は『北斗の拳』や『キン肉マン』もまだ人気があった。西村編集長の担当していた範囲でのドラゴンボールと鳥山明は、よくある対決パターンで息を吹き返しただけに見えており、人気もトップクラスとはいえそこまで突出したものとは見えていなかったのではないだろうか。
さらに、アニメ化で人気が伸びた作品という意識も強いようだ。鳥嶋和彦が得意とするメディアミックスのことを西村氏は何度も述べており、実際にそういう側面はあるだろう。
もうひとつは部数。ドラゴンボールがジャンプ部数増の原動力のひとつであることを西村氏は認めているが、一方で400万部時代の漫画というのは、その部数に引っ張られてコミックスの初版部数も増えるという話もしている。ドラゴンボールが100万部時代に掲載されていたら、『男一匹ガキ大将』や『ハレンチ学園』が400万部時代に掲載されていたら、果たしてコミックスの部数はどうなったか?という疑問を西村氏は投げかけている。
(300万部まではともかく、400万部以降は統計学か何かの寡占の論理?とかの別の現象で占有率がどんどん増えるということが起きており、ジャンプの実力かは疑問を持っていた、ということを西村氏が『まんが編集術』293ページあたりで言ってる)
こうなると作品の実力かどうかよくわからない領域にある。特にドラゴンボールの面白さ自体はあまり評価してない西村繁男にとっては、その印象は強まったはず…
単に作品の地力が強いから成功した、とは考えにくかったのかもしれない。
テーマ性が薄い作品なので、西村氏の個人的な好みからも外れていたと思う。
そして後藤時代、堀江時代にドラゴンボールを越える作品は登場しなかった。西村氏は編集者が育ってないということを言っているが、そういう基準で話していると思う。ドラゴンボール級の漫画を発掘できなかったから、ドラゴンボールが終わっても耐えられる強い誌面を作れなかったと。
ドラゴンボールが現在も最強ランクの作品として君臨しているのは、結局それは作品と鳥山先生の実力だろう。
私はそう思うのだが、それ以外の要素、運やタイミングのようなものによってブーストがかかっているというのも、否定はしないでもいいか。
内容的に好みでない人がいるというのもよくわかる話だし、完璧な漫画ということもないし。
だが、運だけであればここまで行くものでもないだろう。
鳥嶋編集長の起用理由
『漫画王国の崩壊』の書いているところによれば、貝山(鳥嶋)は最初から編集長の座を狙って唐戸(若菜)の側近の安濃(96年時点の専務?誰?)に接近していた。
これは事実に基づかず想像で書かれてるっぽいが。
まだ部数も減っていない吉野(堀江)体制1年もしないうちから貝山への交替の圧があったようなことも書いてあるが、その真実性も全く不明。
こういう本は書かないでほしい、本当に…
しかし編集長になりたくなかった96年の鳥嶋氏、上からの命令で仕方なく編集長になったのは本当らしい。
上のほうは本人の意思と関係なく、何がなんでも鳥嶋を編集長にしたかったというのは、これは事実のように思える。その動機が何なのかという部分については、全然わからん。
やっぱり鳥山先生を引き留められると上の人は考えたのかね?
単に鳥嶋の実力が評価されたと考えてる人は、鳥嶋氏自身も含めてあまりいないようであった。
誰も上層部のことを信用してなかったというのは、そのようだ…
93年に編集長になれなかった経緯については、
>取締役会で内定していた鳥嶋さんに対して、第4代編集長の後藤広喜さん*2が後継として1993年に第5代編集長に抜擢したのは堀江信彦さん*3でした。取締役会での決定が現場に覆されるという異例事例だったと西村さんが残してますが、
と、中山淳雄氏が聞いているのだが、西村氏の著書に厳密に「取締役会の内定」と書いてあるものはなかった。『わが青春の』の文庫版によれば、社長の意向があったという噂は書いてあるが、細部は曖昧。
『漫画王国の崩壊』でもここは明確でなかった。上の人間の意向は貝山だったが、決定ではなかったように描写されている。
鳥嶋氏本人もよくわかってないみたいだし、「内定」はしてなかったんじゃないかと。
上の意向に逆らったと西村氏が認識してるのはそのようである。それは事実かもしれないし、それも事実じゃないかもしれない…
若菜社長の人事の意図については、西村氏の解釈した内容がどんなものであったかは読み取れるが、それが事実かどうかは何もわからないというのが正直なところだ。
少年リーダム
『さらば、わが青春の『少年ジャンプ』』を原案にしていると称する『少年リーダム』という漫画があるが、内容は原書で不足している西村編集長時代のエピソードをもとにしたフィクションで、明らかに原哲夫や江口寿史の担当だった堀江信彦氏の経験に基づいて書かれている。
これは原書の不足部分を補う漫画であり、原案がぜんぜん原案として使われていない。
舞台は「彗星社」の「少年リーダム」編集部。
登場人物は西村繁男→村西繁、堀江信彦→小出勇太、長野規→大和基、本宮ひろ志→宮本ひさ志と、原型をとどめていたりいなかったり。
なんとなく仮名の作り方が『漫画王国の崩壊』に寄せてる感じはある。
本書にしか出てこないエピソードもあるようなので資料的価値は少し見いだせるが、明らかなフィクションが混ざってるのでそのまま信用するわけにもいかない…またそのパターンか。
改めて読んでみたら漫画としてはちゃんとした内容だったが、残念ながら現在入手がけっこう難しい状態にあるようです。DMMのコミックレンタルにあるのは見つけた。
西村繁男のその後
晩節を汚すという言い方があるが、3冊目の99年の時点で西村氏はまだ61歳。全然まだ活動できる年齢だった。晩年でもなんでもない。
しかしこの3冊を最後に、西村繁男氏の執筆活動は確認されていない。インタビューは何度か受けているが、著書は出ておらず、目立った記録は残していない。何か別の仕事をしていたのか、普通に年金生活を送っていたのか、定かでない。インタビューでは酒好きなところを見せ、元気そうではあった。
そして私の見た少数のインタビューの言動は、いずれもまともな内容で、元編集長の鋭い視線がそこにあった。
晩年の西村氏は集英社の人事批判は止めていた。ジャンプを悲観する発言もない。ジャンプは部数を戻せないながらも、既に王者に返り咲いていたから。
その状況をどう思ってたのか、期待してなかった鳥嶋体制から歴史的なヒット作が複数出て、しかし部数だけは戻らず変質もしていったジャンプをどう思っていたのか、読めたインタビューからうかがい知ることはできなかった…
夏目房之介氏が2009年に西村氏から聞いた話だと、メディアミックスへの考え方は少し変わったようだった。
>●メディアミックスはマンガの作品の結果としてあるならいいが、それを目的化してしまうことには反対だった。が、現在はそういうメディアで育っている読者もいるし企画先行も必要だと思う。
ただ21世紀の少年ジャンプをどう思ってたかは、やっぱりわからないなあ…
西村繁男氏は2015年に亡くなったと伝えられている。訃報は出なかったようなのだが、2015年11月に「西村繁男さんを偲ぶ会」が開かれ、多くの漫画家が参加していた。名前が出ている範囲で、江口寿史、ちばてつや、永井豪、本宮ひろ志、武論尊、村上もとか、秋本治、コンタロウ、高橋よしひろ、車田正美、金井たつお、平松伸二、ゆでたまご(全て江口寿史先生のtwitterより→1 2 3)。
西村氏は晩年も慕われていた。そこは数値だけで見えない強い信頼があったことは間違いなかった。