- ファミコンは高性能機である
- ファミコンは高性能機ではない
- 後付け知識への考え
- 雑語りに対して
- 同期のライバルハードたち
- カセットビジョンについての疑問
- ハード性能わからん
- マークIIIが挟まる
- PCエンジンとなぜ戦えたのか
- 容量が性能だった時代
- メガドラの話ちょっと
- ファミコンは高性能であると言い切っていくが
- 今に始まった話でない
- その他
ファミコンは高性能機である
なんか定期的に出てくる話…
先週くらいに話題になった記事はそのうちyahooから消えそうなので引用しない。しないでもいいと思うが、
1983年に発売したファミコンこと「ファミリーコンピュータ」は、当時存在したゲーム機の中ではかなり高性能なものであった。
完全ではないものの、ゼビウスのようなアーケードゲームの移植も高いレベルで実現できるハードだった。
こうした当時の評価をわかってない人が多く、現代のハードとの性能比較だけで「ファミコンは低いスペックで頑張った」と雑に語るものが後を絶たない。というのが前提である。
現代にそんなこと言ってる人がいたら、何も調べてないことは丸わかりだ。
……だが。
ファミコンは高性能機ではない
ファミコンは83年7月の発売当初から評価も高く、よく売れていた。資料によると発売のあとのちょっと後の1年、83年9月から84年の8月の期間でも131万台も売れたとか(『電脳のサムライたち4』より)。
だが、元から売れてたファミコンに巨大なブームが起きるのは1985年のスーパーマリオブラザーズ以降。
初年度については上村雅之氏などの弱気な発言もある。特に83年の年末商戦で回収騒ぎがあって商機を逃したとのこと。
著書『ファミコンとその時代』にも当時の苦境を語る発言あり。こういうこともあり、ファミコンの初年度の勢いはそれほどではない、ということが書いてある文献も結構ある。たとえば『ドラゴンクエストへの道』56ページにも、発売当初は当時の多数のゲーム機のひとつに過ぎなかったのが、だんだん評判になっていったと書いてある。これは、ある意味ではその通りという感じか…
最初の勢いはともかく、翌年を見ると別に悪くはなかったらしいファミコンだが、その総販売台数から見れば130万台くらいは大したことない。ファミコンユーザーの過半数はスーパーマリオ以降に買った人だった。85年の時点でのファミコンはもう2年も前のもの。この時期にまだファミコンが高性能だと思ってた人は……よほどゲームに詳しい人か、実際にゲーム開発をしていた技術者くらいだろう。
本当のところは、85年の時点でもファミコンはまだ他社に負けない高性能ハードだったのだが、これを正確に認識していた人がそんなに多いとは思えない。
さらに2年後、PCエンジンの登場する87年以降になるとさすがに高性能とは言えなくなる。ファミコンの全盛期は「型落ちしてもまだ通用しているハード」だった期間であり、性能で勝っている時期は決して長くはなかった。
後付け知識への考え
つまり、「ファミコンを買った時点で高性能だと思っていた人」は84年までの購入層には一定数いたと考えられるが、それは現在は少数派。
販売台数から考えると、85年のファミコンブーム後の購入層の「他のゲーム機をそもそも知らない」「別に最新機じゃないけど性能には満足してる」という人のほうが圧倒的に多いはずだ。
そして、ファミコンにすごいゲームが出てきたらハードではなくソフトがすこいと認識された。
それこそファミコンをよく知ってる人ならわかるはずだが、同じファミコンでも83年のドンキーコングと85年のスーパーマリオじゃ動きがまるで別物だもんね。進化したのはソフトのほうで、カセットのほう。
「ファミコン世代」の大半はファミコンが高性能ハードだなどと思ってなかったのです。
だから2024年現在に「ファミコンは高性能ハードだった」と言ってる人の大多数は後付けの知識で話している人だ(私も当然そうである)。
もちろん最初期を実際に見知っていた人も少しはいるが、そちらのほうが少数派であると言い切っておく。
もっともPCエンジン以降と比較し「ファミコンは買った当時から性能で劣るハードだった」と思ってた人もほとんどいないようではある。
雑語りに対して
という前提で、ゲームの専門家じゃない人たちの雑語りを多めに見てあげていいんじゃないのかというと、そうも思わないが。
今回話題になった問題の記事については、「83年に発売したファミコンは最先端技術ではなかった」という程度の言及なので、83年という部分に目をつむれば半分くらいは間違ってない認識でしょう、と評価できる。
ファミコンが劣るスペックで頑張ってた期間が長いのは事実なのだから。
しかし、その頑張りは10年持つ高スペックに裏付けられていたものだと今ならわかるし、そのくらいは調べなくてもわかれという感想だ。
ファミコンは高性能ハードである。詳しい人もそう言ってるし、ここで理解を止めてしまってよい。
そうもいかなかった。
後付け知識でも合ってるんだからいいじゃんと思考停止してしまうことにも問題はあって、そこでちゃんと知識がないから深く考えずにカセットビジョンと比較する人が出てくることになる…
同期のライバルハードたち
カセットビジョンは1981年にエポック社から発売されたゲーム機で、40万台売れたと言われている大ヒット商品。カセット交換式のゲーム市場はファミコン以前に既に形成されていたのだ。
だが性能だけで見れば81年の時点でも優れてはおらず(それこそグラフィックだけ見れば1977年のアタリ2600より劣ってる)、83年7月に出た廉価版のカセットビジョンJr.はファミコンの1/3という低価格になってる。
ファミコンより2年前の低スペックハードであるカセットビジョンに対してマウントを取るのは、バーザムとジム2を性能だけで比べるようなものであろう。
同時代最弱のジム2と比べてバーザムが強いのは当たり前だ。それではバーザム自体が高性能である説明にはなってない。
ジム2しか知らなかった当時の子供ならそれでいいが…知ったかぶって高性能だとおっしゃる現代人ならマラサイくらいは調べてから話せと言うほかなく、ネモ、ジム3、ガルスJなど比較すべき対象は他にもたくさんある。
ファミコンと同時期に登場した代表的なハードは『ドラゴンクエストへの道』56ページに名前が載っているだけでもスーパーカセットビジョン、ぴゅう太、アタリ2600、SG-1000、インテレビジョンが上がっている。ただ本書には詳しい解説はなかった。
この時期のハードの知見は『セガハード戦記』が詳しかったので紹介しておく。著者の奥成洋輔氏が実際に子供目線で見てきた経験と客観的な情報のそれぞれをバランスよくまとめていた。
まだゲーム向きパソコン(ホビーパソコン)とゲーム機の境界があやふやな時期の雰囲気が非常によくわかった。この時期の動きではMSXもファミコンのライバルの一つだったようです。
で、本書ではセガハードであるSG-1000も詳しく書いてあるのだが、これも最終的に70万台売れたと書いてある。ファミコンが130万台とかの年のナンバー2ハードであり、よく売れてたようだ。
これカセットビジョンより売れてるのかな?
カセットビジョンについての疑問
エポック社のカセットビジョンは非常に知名度の高いハードで、ファミコン登場までのゲーム市場を席捲しており、販売台数は40万とか45万とか。スーパーカセットビジョンは含まない数字?
このへんの数字の信頼度がよくわからないのだが…
国産では最初のカセット交換式ゲーム機とも言われていた。(実際は「ビデオカセッティ・ロック」のほうが先らしいが、知名度が段違いである)
そのグラフィックは81年時点でも劣るほうで、画面だけ見ると全くファミコンと比べ物にならないのだが、評価は高い様子。
しかし売れた台数だとSG-1000と差がないというか、SG-1000が本当に70万台だとするとそっちのほうが売れてるようなんであるが…
これより前の日本市場、カセット交換式ではないテレビゲームが主流だった時代には、任天堂の「カラーテレビゲーム」がある。これが「カラーテレビゲーム6」と「15」の2機種の合計で100万台ほど売れたらしい(台数は資料によって幅がある)
正直、カセットビジョンの現在の知名度に対して、売上が40万は少なすぎる気がする。81年と82年はゲーム市場そのものがしぼんでたのだろうか。
40万のほうが間違いで、もっと売れてる?
カセットビジョンはエポック社の「テレビテニス」の延長上にあるハードで、なんとなく同期のパソコンとゲーム機のあやふやなハードの中で、ターゲットが微妙に違うように見える。
カセットビジョンが83年前半時点での知名度が最も高いゲームハードだったこと、ファミコンと比較した人が当時かなりいた可能性は高い一方、現在の視点でファミコンと比較するのは注意したほうがいい気がする。
はっきり言って情報が不足してるような…
ハード性能わからん
問題はここからで。
旧型のカセットビジョンとの比較だけではなく、ファミコンは全く同時に発売したSG-1000と比べても性能で勝っていた、と雑に言ってしまうのは簡単だが、正直私のレベルではそれをちゃんと説明できない。
まずSG-1000のCPUはZ-80A(3.58MHz)。ファミコンは6502のカスタムで1.79MHz?
同じ8ビットだけどクロックを見るとSG-1000のほうが倍だ。こっちのが強そうじゃんか。
参考サイト
これは同じ8ビットでも6502のほうがシンプルな命令で動作するからクロックが半分でも決して性能で負けてない(むしろ勝ってる?)、ということらしい。
…クロックってなんだ?どうやって増やすんだろ?
他は…色数やメモリはファミコンのほうが多いのかな?
カラーミキシング210色ってなんのことだろう…
音の違いはスペック表で見ても全然わからん…
コントローラーの形はだんぜんファミコンのほうがいいね。
私にハードスペックわかるだけの知識はない。当然実物も見たことないし、ぶっちゃけた話、動画で見た印象のみで初期ファミコンよりは弱いくらいの感想を抱くのみだ。
動画で見る印象の通りファミコンのほうが高性能なんだろうと思いますけど、それは知識に基づいて言ってるのではなく見た目だけの話で、実際に動かしての感想も言えない。
私はファミコンが高性能だと大雑把に認識はしてるが、ちゃんと説明はできません。
はっきりしてるのは、このSG-1000は別に負けハードではなかったことだ。これが成功したからセガハードの道は開けた。
だがファミコンほど成功したハードでもない。その差を分けた主要因はやはり性能なのだという気はする。
SG-1000ならまだ8ビットだから比較できそうだが、ぴゅう太やインテレビジョンはだいぶ先に発売してるのに16ビットだし、本当にファミコンの性能は突出しているのかと言われても私には全く説明できない。調べなくてもわかれと言ったが、調べるとどんどんわからなくなっていく。
ファミコンが高性能だと言っていく以上はそれができるべきなのであるが、私にはできない。こういうことは、私よりうまく説明できる人にやってもらうしかない…
バーザムは実在しないから、性能なんか画面の印象とうわべのスペック表で見るしかないのだが、私のレベルでは実在するゲーム機もバーザムと同じレベルで論じるしかない。
マークIIIが挟まる
わかることを言うなら、ファミコンが高性能と強く認識されている理由として、発売2年後の85年でも普通に高性能だったというのはある。
最初から高性能だったファミコンだが、スーパーマリオでようやく底力を引き出せるところまで来たので、そこまでのファミコンはまだ本気を出してなかった。
(スーパーマリオブラザーズの320キロ=40KBはバンク切り替えを使わないファミコンカセットの限界容量で、本作がファミコンの本来想定していた最大スペック付近と思われる)
そのファミコンの高性能は87年にPCエンジンが登場して追い抜かれるわけだが、ひとつ有名なハードを飛ばしている。85年、スーパーマリオの1か月後に発売したセガ・マークIIIだ。
グラフィックをはじめ、多くの性能でファミコンを上回っている。一見するとだが…
CPUはSG-1000からちょっとクロック増えただけだが。
セガハード戦記の目次でも「ファミコンの性能を上回る「セガ・マークⅢ」」って書いてあるんだけど、これが調べてみるとどうもそうではないらしいと…
参考サイト
色数はどう見てもマーク3のほうが上なのだが、ファミコンでは当たり前に使われてるスプライトの反転が、マーク3ではできないとのこと。他のスペックもどうも評価がよろしくないようだ…
ファミコンより部分的に勝ってるが、全体ではそうではないらしい。
この認識で正しいとすれば、ファミコンこそが2年後でも普通に最新機種と殴り勝てる本当の高性能ハードだったことになる…か?
いや、マークIIIのほうが85年としては弱いハードだったということではなく?
わからない。
奥成洋輔氏でさえマークIIIのが上だと言ってるのであれば、素人の私にどうしろと…
PCエンジンとなぜ戦えたのか
マーク3のことは忘れるとして、87年に登場したPCエンジンの性能がファミコンを遥かに凌駕していたことは明らかだ。その潜在性能はすさまじく、CD-ROMの力でファミコン衰退後も生き続け、95年にスーパーファミコンやプレイステーションとさえ戦っていた恐ろしいハード。(※ファミコンも94年に一応生きてたが)
もちろん、CDなしのPCエンジンにも十分な性能はあった。
なぜPCエンジンはファミコンに勝てなかったのか、というより、なぜファミコンはPCエンジンと戦えたのか?と考えるべきではないだろうか。
ひとつはソフトの差で説明される。88年のファミコンにはマリオとドラクエとテトリスとFFまであったので、これだけでも深刻な差があった。
だがそれをソフトの差だと切り捨ててしまうのもやはり思考停止というものだろう。CDロムロム登場前の初期PCエンジンでさえも、ハドソンとナムコで強力なタイトルが多数ある。
もうひとつは、値段の差。PCエンジンはその高性能の代償に、値段はファミコンの14800円より大幅に上がってCD抜きの本体だけで24800円。
……高いけど、そこまでの差ではない気がする。ファミコンにディスクシステム(15000円)足すこと考えたら大したことないくらいだ。
CDロムのほうも考慮すると値段の差だとは思うが、本体だけだとむしろいい勝負できそうな価格差に見える。
もう少し考えてみる。性能で勝る87年のPCエンジンがファミコンに明確に劣っていたのはソフトにバッテリーバックアップがなかったことで、CDの登場に合わせてセーブ機能が「インターフェースユニット」や「天の声2」で追加できるのは88年末以降。だが、これも発売から1年間程度の話。
「発売から1年、ちょうどファミコンでRPG人気が上がった年にセーブ機能がなかった」は見過ごせない差だとは思うが……言っても88年のファミコンRPGもそんなにたくさんないし。これもファミコンとの差を示す有力な説とは、今回は考えられなかった。
かくして、なぜかわからないがPCエンジンはファミコンに勝てなかった。PCエンジンを持ってなかった私の知識でわかるほうがどうかしてるのだが。
その理由は「対応ソフトの人気が違った」と単純化しないほうがいいとは思った。
※なお、バッテリーバックアップ搭載を見送った経緯は岩崎啓眞氏に言及を頂きました。
CD-ROMに合わせてセーブ機能を追加するのが規定路線で、カードにセーブ機能を与えるとデータの互換性がなくなるとのこと
ご教示ありがとうございました。
容量が性能だった時代
ひとつ思いついたのは容量の問題。
85年のスーパーマリオブラザーズの容量は320キロ(40KB)しかなかったのだが、これがたぶん本来想定されていたファミコンの限界だった。ファミコンは通常プログラムが32KB、グラフィックデータが8KBまでしか入らない。
しかし86年にはバンク切り替えという技術が使われるようになって、限界は突破されていった。
(このバンク切り替えのためにカセットに「MMC」とか、コナミが使ってた「VRC」とかのICを組み込む必要があった。音源も強化するコナミのVRC6は有名だが、そうでなくてもバンク切り替え用のICは多くのカセットに使われていた)
あとは知っての通り、カセットの容量は年々増えていく。ファミコンのゲームの容量が1メガから2メガになって、華美なグラフィック、画面を埋める巨大な一枚絵、高度なストーリー、複雑なバトルシステムと、一気に複雑なゲームが作れるようになったのが87年の前後だ。現在と違い、当時のゲームの出来はカセットの容量で大きく変動した。
すなわち85年で限界かに見えたファミコンは、まだ性能を発揮しきっていなかった。ファミコンソフトの進化はまだ続いていると、ほとんどのユーザーは思っていた。
これは実はPCエンジンも同じで、R-TYPEはドラクエ3と同じ2メガのHuカードで、1本におさまらないので2本に分割されたという。最初から4メガで出せば良さそうなものだが、88年の時点ではできなかったのだろう。
「CDなしPCエンジン」も、ファミコンと同じくロム容量の進化の途上にあった。
ファミコンの成長限界は4メガが出てくる90年あたりだと思う。8メガのファミコンソフトもあるが、これは例外。一画面で動くプログラムがスーパーマリオ程度のファミコンでは、4メガの大容量を扱いきれるメーカーばかりではなかった。
ファミコンは高性能だったからからこそ、4メガ程度までは対応できて、スーパーファミコンまで持たせるだけのポテンシャルがあった。だが、これ以上は無理だったとも思う。
対するPCエンジンはCDの大容量にも対応できる極大性能が最初からあったが、初期のHuカードではハード性能に対して容量のほうが追いついてなかったと考えられる。
だがCD全盛になって以降もHuカードの供給は続き、ファミコンでは考えられない8メガのソフトも多数登場、スーファミと遜色ないようなゲームも普通に出ていた。
このふたつのハードの性能は大差があったが、その差がゲームの工夫で埋められないほど開く前にファミコンは世代交代して逃げ切った、と今回は考えた。
メガドラの話ちょっと
マークIIIやメガドライブは同時期でもファミコンより容量が多かった様子である。
どう見ても桁違いの性能のメガドライブがファミコンを打倒できなかった理由は知らん。北米ではSNESと互角以上だったのに…
16BITをハードに印刷して強調していたメガドライブは、8ビットのファミコンやPCエンジンとは格が違うハードだと印象付けたわけだが、どうもハードの性能をビットで決める風習はここで確立された気がする。
このメガドライブの影響で、PCエンジンはファミコンと同程度のハードだと少なからず印象付けられたのでは…
というのは私自身が「色数以外ファミコンとかわらねーハード」と聞いた記憶があるからです。そんなわけないのに。
対するメガドライブもPCエンジンより高性能のはずだが、色数はPCエンジンより劣る。16ビットの性能を持ちながら見た目だけでも8ビットに負けてるというのは、日本展開ではかなりマイナス印象になったのでは…
マークIIIが色数だけでファミコンより高性能に見えるのと逆で。
ファミコンは高性能であると言い切っていくが
「ファミコンは高性能ハードだった」この結論は正しいと思うが、ことさらに言ってる人がいたらそっちはそっちで警戒したほうがいい。
カセットビジョン以外を知っているか、ファミコンが10年持った実績まで考えて言ってるか、その10年の後半がどんなもんだったか、ちゃんと考えて話しているかは、まあ疑う。
本当に80年代前半のハードに詳しい人はごく一部だと考えられる。
私もな…
だがその知識は、どこでどうやって学べばいいのだろう…
ファミコンにも弱点はあって、画面切り替えはMSXのほうが得意らしいです。
なぜなのかと言われてもこのページの説明を見たからで、私はプログラマーじゃないので説明できない。ファミコンのPPUの特徴らしいのですが、PPUがどういうものかも私は説明できません…
今に始まった話でない
横井軍平氏の「枯れた技術の水平思考」という言葉が任天堂ハードに必ずしも当てはまるわけではなく、独り歩きしてるというのも以前からよく指摘されているが、今回の発端になった記事では言及していたわけではない。
気になる問題ではあるが。
そもそもなぜ私がCMを見たこともないカセットビジョンのことを知ってるのか、それを思い出す必要があったのよ。
『ファミコン10年! : ぼくらのTVゲームhistory』(角川スニーカー・G文庫。1994年1月1日初版)
94年までのファミコンの10年史をゲームソフトレビューを交えて振り返る本だが、ファミコンより前の事情にもいくらか言及はあって、ここにカセットビジョンも載ってた。ただ読み返してみると、この内容の精度が怪しい。
83年の年末にファミコンが回収で苦境にあった事実は書いておらず、「翌84年のお年玉商戦を終了した頃には、派手な宣伝合戦を繰り広げるライバルたちの陰で、大して目立たない地味な存在となっていました」(p22)と書いているが、これ本当に実際の記憶に基づいて書いてるんだろうか…
(セガハード戦記だと逆で、最初から圧勝していたファミコンが年末に回収で品切れを起こした隙にSG-1000が売れたという経緯になっているが、こっちのほうが説得力がある。ただ『ファミコンとその時代』にある上村雅之氏の記憶だと年末までの期間も苦しい時期はあったようである)
カラーテレビゲームが100万台売れたことは書いてあるのだが、「いかにもおもちゃっぽい配色のボディにシンプルなコントローラーが付いただけの『ファミリーコンピュータ』は、「一発屋のB級玩具メーカー」という発売元の当時のイメージも手伝って、爆発的な売れ行きを記録というところまではいきませんでした。」(p23)
ファミコンにはソフトが揃ってきて人気に火がつく、発売当時はまだ足りなかった、という話に持っていきたいようなのだが、読み直して気づいたのだが、本書のこの部分、アーケードのドンキーコングにも、ゲーム&ウォッチにも全く言及がない(後のページでは大ヒット作としてほんのちょっとだけ出てくる。ライターが違うのか?)。
このページ、任天堂がカラーテレビゲームだけの一発屋の認識で書いてないか…?
p62にはゲーム系パソコンの話が出てくる。上がっている機種はSC-3000、ゲームパソコン、M5、ぴゅう太、マックスマシーン。あとMSXも書いてある。「なかには、ファミコンの倍以上の処理能力を持ったチップを搭載しているモデルもあったのですが」とあるが、この中のどれのことなのか。16ビットの機種があるからそう書いてるのだろうか?
「能力的にも突出しているわけではないファミコンが、どうして生き残ったのでしょうか」と、ゲームのほうに軸を置いていたファミコンが「結果的に受け入れられたためでしょう」と性能自体は劣っているものとして話を進めているが、色数やスプライトなど技術的な比較は行われず、メモリの数字くらいしか書いてない。メモリでは実際負けてたようではあるが。
どうも、ファミコンの「性能低い伝説」は今に始まったもんではないのだと思う。
『ファミコン10年!』、そんなに重要な文献とみなされていないが、知名度はまあまあで、当時のゲーム本の中で特別変な本とも思われてないようだ。だがハードに詳しい開発者方面への取材はしてなかったんだろう。
ライター自身も83年にファミコンを見てた人間がいないとは思えないが…ファミコン以外をあまり見てなかったのかも。
ドラクエ伝説に尾ひれがついてるという指摘など、そこそこ正確な認識で書いてある箇所もあるんだけどなあ。
きちんと開発者に取材している『電脳のサムライたち4』(2000年の『ゲーム大国ニッポン 神々の興亡』の電子版)だと、当初からファミコンならパソコンよりすごいもんが作れるなど高く評価していた発言が目立つ。
これよりもかなり古く、しかもゲーム誌に直接関わりのあるライターが書いてる『ファミコン10年』のほうが認識が浅いという、なんか嫌なものを見つけてしまった。
その他
カセットビジョンの開発者のエポック社の堀江正幸氏のインタビューがあります。