神殿岸2

2と言っても実質1.5みたいなもの

『テトリス・エフェクト』読んでの感想など

ゲーム本を読んでると、ときおり「セガメガドライブテトリスを発売できなかった」って話が出てきます。

テトリスの版権が複雑だったって話はいろいろ聞いてきたのだけど、具体的にどう複雑だったのか?というところは正確に解説してるところがないなというのが、最近いろいろ見てわかったことだった。

本当のところを調べるには、この本を読んでもらうのがいい。

テトリス・エフェクト 世界を惑わせたゲーム』
テトリスがどのように冷戦当時のソビエトで開発され、それがどうやって世界に持ち出されたか。そして最終的に任天堂が他社を出し抜いて重要な権利を勝ち取った経緯あたりまで書かれている。事実に基づきながらも小説のような読み心地になっており、多数の登場人物の思惑が錯綜する、かなり面白い本です。
とっくに有名な本なので紹介する意味はあまりない気もしますが。

本書で重要になってくる人物が、テトリスの作者であるアレクセイ・パジトノフともうひとり、のちにテトリスカンパニーの創設者となるヘンク・ロジャースだ。この本の結構な割合がヘンクの前半生についての伝記になっている。
オランダ出身のヘンク・ロジャースは日本のファミコンテトリスを売っていたBPSという会社の創始者だ。テトリスの作者ではないし、ソビエトとも無縁だった。先に日本以外で売られていたテトリスとも関係ない。
なぜ彼がテトリスの歴史の最重要人物になったのか?
その経緯には、ヘンクの生い立ち、何度も移住しやがてゲームに手を出し日本でBPSを立ち上げるまでの全部が関わってくる。
だがそれは本書を読めばわかるので、ここでは書かない。

しかし読んだ感想を言うならこの権利問題、ヘンクが大活躍するに至った経緯は確かに複雑なのだが、権利についての話題だけ抜き出すとそこまで複雑な話とは思えなかった。

任天堂BPSの関係

まず基礎情報として、ゲームボーイ版の権利表記を確認してみよう。

switchオンライン版でもオリジナルの発売当時と変わっていないようだ。ELORGというのが当時ソ連テトリスの権利を管理していた大元の組織で、そこからBPS(Bullet-Proof Software)にライセンスが下ろされ、さらに任天堂にサブライセンスされている。
任天堂から発売したゲームボーイ版には、BPS任天堂にライセンスを下ろしている
当時テトリスの権利はプラットフォームごとに分離しており、携帯ゲーム機用、「ハンドヘルド版テトリス」の権利はファミコンとは分かれていた。ゲームボーイテトリスを売りたかった任天堂は、その権利の取得という難題をヘンク・ロジャースに依頼した。だから間にBPSが入る形でまとまったようだ。
なんでヘンクに?という経緯が長いので本を読んでもらったほうがいいのだが、結果だけ書けば実際ヘンクのおかげで交渉は上手く行って、携帯ゲーム機用テトリスの権利はBPSが取得した。

問題はこのヘンクの交渉の席で起きたらしいのだが、実は携帯しないほうの「家庭用ゲーム機版テトリス」の権利が取られていないことが判明する
この交渉の直前まで、ゲーム機用テトリスの権利はテンゲン(Tengen)という会社が持っていたと思われていた。BPSファミコンテトリステンゲンからサブライセンスされたものである旨ちゃんと記載されている。
そのテンゲンのライセンスというのが複数の会社を経由したものである。大元はロバート・スタインという人物が経営するアンドロメダソフトウェアがELORGから取得したもので、そこからミラーソフトに下ろされ、テンゲンにおろされ、部分的にBPSに権利がおろされている(このことはBPSテトリスの権利表記でも確認できる)。
ところがこの大元のロバート・スタインが権利をちゃんと取っていなかったのだ。だからその下流にいるテンゲンにもBPSにも実際は正当な権利がなく、ファミコンテトリスは本来の権利者の非公認の移植だったのである。
しかしヘンクの交渉によりELORG側もこの権利を改めてライセンスすることに乗り気になり、ヘンクの報告を聞いた任天堂はゲーム機用テトリスの権利を取得することになったわけである。
そういう経緯が、本には書いてある。
それで、これ以降に再販されたファミコンテトリスの第2版については、任天堂BPSにサブライセンスをおろしている
これ以降、BPSファミコン版は任天堂の権利で販売され、任天堂ゲームボーイ版はBPSの権利で販売されるという逆転現象が起きているのである。これは両社のつながりの強さを示している事実だろう。

なぜ任天堂テトリスを欲しがったか

私が問題に思ったのは、明らかにこの本を読んでる人がインターネットに持ち込む際に話をややこしくしているということだ。
この件は実のところ「ちゃんと権利が取れてなかったのがわかったのでちょうど来た任天堂が買えた」というだけの話で、省略自体は簡単である。

もっと問題なのは、本には書いてあるのだが、ネットの説明は重要な部分が抜けている。任天堂が権利を欲しがった経緯だ。
もちろんファミコンNESテトリスを売れば任天堂は儲かるが、理由はそれだけではない。任天堂の当初の目的は「ゲームボーイテトリスを売りたい」だけであり、ゲーム機用テトリスの権利は本来必要なかったのだ。
この件は利益の他に明確な動機がもうひとつあって、任天堂テンゲンの邪魔をしたかったのである。任天堂の狙いは自社の利益だけでなく、テンゲンを攻撃すること自体も含まれていた。これが本書を読むとものすごく明快にわかるのだが、なぜかネットに全く書かれてないのだ。

背景として、当時、北米の任天堂NESのカートリッジに10NESと呼ばれるプロテクトをかけており、非公式のカセットは起動しないようになっていた。だがテンゲンはこのプロテクトを破った任天堂無認可のソフトを売りはじめていた。
その中の目玉タイトルが、よりによってテトリスだったのである。

任天堂はこの無認可テトリスを妨害する意思が明確にあった。任天堂テトリスの権利を取ったがテンゲンも反論。お互いのテトリスの販売中止を訴えたが、結果としてはテンゲンのほうに販売停止の仮命令が下された。
テンゲンテトリスは1ヵ月ほどしか販売されず10万本ほどしか出回らなかったとされる。それなりに出回っており、幻のソフトとはならなかった。任天堂も完全には間に合わなかったわけである。
その後北米では任天堂から問題なくテトリスが発売され、日本のBPS任天堂の協力のもとテトリス2+ボンブリスなどを売っていくことになる。任天堂の得た権利はちゃんと利益のために使われたわけだが、テンゲンに対する攻撃も重要な動機としてあったことは間違いない。

セガはどうしたか

セガは、どうしようもなかったはずである。
テンゲンから権利を得ていたセガは、本書には名前もほとんど出てこない。テトリスについて動いていたのは北米の任天堂であり、その意識にセガがあったのかもわからない。

もとよりテンゲンの権利が正規のものではないこと、知っているものは誰もいなかった。BPS自身もテンゲンから苦労して権利を得ていたし、任天堂もそれを自然に受け入れていた。セガとしても同じだろう。
それに大元のロバート・スタインがゲーム機用テトリスの権利を取れていないことは本人も自覚がなかったようだ。

本書によれば、ヘンクとの交渉中にELORGは初めてゲーム機の存在を認識した。ELORG自身もテトリスがどうなっていたかよくわかってなかったのが、ヘンクの登場によって急にわかるようになった、というのが本書の筋書きとなっている。
そして、どうもELORGはこの交渉で任天堂という存在を意識して、アンドロメダとの契約書に密かに「コンピュータ」という言葉の定義を追加した、パソコンとゲーム機の権利が完全に違うものとしたらしいと…

セガは、油断せずこれをちゃんと調べていれば、権利が怪しいことに気づけただろうか?
無理だろう。1989年までにセガがモスクワにヘンク・ロジャースに匹敵する調査員を派遣していれば問題に気づいたかもしれないが…ヘンクを送った任天堂も、この結末は事前に想像してなかったのだ。
現在の視点で見て「権利を調べていなかったセガには油断があった」などと言える状況にはとても思えない。
これは、そういうことを言ってる人がいるということである。本書を読んでその感想になるのは、ただセガを小馬鹿にしたいだけであろうと。

大元のロバート・スタインもELORGに到達する前から権利を売りはじめていたり、利益がうまくELORGに還元されていないなど問題はあったようなのだが、彼もELORGとのやり取りには振り回されていた側でもあり、一方的に悪い人物とは言えなかった。彼もどうやら誰かを騙す気はなかったという雰囲気が強く、この件で断罪されることはなかったようだ。最終的に一部の権利も得たようである。
だが家庭用ゲーム機版の権利は完全に任天堂に取られた。下流側のテンゲンはたまったものではない。持っていると信じていた権利が実は無効だったというのはテンゲンも後で知った側であり、本来は被害者の側だと言える。

しかしテンゲンは既に任天堂に喧嘩を売っていたわけで。いきなり喧嘩を売ったものの、序盤のものすごく悪いタイミングでテトリスの権利というカードを取られたので一方的に負けたというのが真相であって、もとよりテンゲンしか選択肢のなかったセガがそこまで予想できたはずがない。

これ、上流側のアンドロメダやミラーソフトも隙だらけだったので任天堂が食い込めたようなのだが(ミラーソフトには任天堂を出し抜いてゲーム機用テトリスの権利に得る可能性はあったらしいのだが、みすみす逃したのだと)、別に彼らは任天堂に直接喧嘩を売る気はなかったし、任天堂も彼らと対立はしたが訴訟は起きていない。あくまで任天堂が敵視していたのはテンゲンだった。
もし、テンゲン任天堂に喧嘩売ってなかったら。そもそも任天堂は余ってた家庭用ゲーム機版テトリスの権利を取ろうと動く気になったのだろうか?それは全くわからないが、動き方は変わったかもしんない。
任天堂ゲームボーイだけでなくNESファミコンテトリスからも多大な利益を得られたのは間違いないし、ELORGも金払いのいい任天堂にはかなり協力していたようなのだが…

わずかに出回ったテンゲンテトリスは、任天堂のものと比べても出来は良かったと評判である。

セガの対応

実はセガの対応には少しだが疑問がある。

1989年3月に任天堂はELORGとの契約を締結した。
3月31日には、任天堂のハワード・リンカーンからテンゲンの親会社アタリゲームズの中島社長に対して、テトリスの販売停止を求めるFAXを送り付けたという。
4月にはアタリゲームズのほうが任天堂に対しテトリスの権利を主張して訴訟し、任天堂もそれに反撃。
テンゲンは5月17日にテトリスを発売するが、6月22日には販売停止の仮決定が下され、テンゲン版は回収された。11月には完全に任天堂に権利があると決定。

セガは1989年4月15日発売予定だったテトリスを発売延期し、そのまま発売中止となった。だが訴訟が始まったのも4月であり、任天堂の勝利する6月までは販売できたはず。しなかったようである。

onitama.tv

こちらで公開されている「ゲームマシン」1989年7月1日号(pdf)の10面にテトリスについての記事あり(9面にもテンゲンとの訴訟の話題あり)。任天堂は権利を取得したと4月6日に発表しており、セガはそれを受けてとりあえずの発売延期を決めたようだが……
任天堂側からもセガに連絡くらいはしたのだろうか?セガも訴訟情報が耳に入ってきたのだろうか?
アーケード版テトリスを展開していたセガが、テンゲンの権利に不備があることを最初から知っていたとは思えないのだが、任天堂が動き出した3月くらいになると察知してたかも…
どうも任天堂のほうが有利なことにセガは4月に任天堂が発表した時点で既に気づいていて、ギリギリのタイミングだったが冷静に発売延期を選んだのでは、というふうには僕には思えるが…まあ謎です。
疑問が少し増えたが、セガの対応が間違ってなかったことだけは確かだ。メガドライブテトリスは世界に10本も出回ってないと言われる。たぶん発売延期を決めた時点で問屋にも届いてなかったのだろう。

本を読んでもよくわかんなかった話

本書ではBPSテンゲンから日本の家庭用ゲーム機版テトリスの権利を得たとしているが、これだとメガドライブも含むはずである。BPSメガドラ版に対する権利はなく、たぶん日本のゲーム機の中でもファミコンのみの権利をテンゲンから得ていたのだと思うが、この辺の流れもはっきりしない。
またBPSソビエトに届くつもりで提出したファミコン版の動作ビデオと、届いてなかったライセンス料の行方は謎です。

セガにもアーケード版を売る権利は残っていたようだ。どうもアーケード版の権利も宙に浮いていたのが、こちらはアンドロメダが取れたっぽいのだが…本にはそれっぽい記述があるがはっきり書いてなかった。

こちらのPS2版に、メガドライブ版がそのまま収録されている。メガドライブテトリスをそのままアーケード機で動かしたもの」なら任天堂の権利も関係なく正規のルートで出回っていたらしく、その権利表記もテンゲンのままになっている。アーケード版はテンゲンが普通に維持できて、セガにおろしていたということだろうか。

ところでセガBPSと同じように任天堂からライセンスを得ようとは考えなかったのだろうか?
当時の任天堂セガの関係がそこまで冷え切っていたか、89年の任天堂が他社のゲーム機にライセンスを下ろすことを認めていなかったかは、私にはいまいちわからない(セガの一部ゲームはファミコンに移植されている)。
セガはこの件では完全な被害者であり、テンゲンが喧嘩を売ったせいでとばっちりを食らったと考えて間違いないのだ。テトリス自体も任天堂のゲームとは言えないし、任天堂も遠慮して権利貸してくれる可能性がなかったとは言えない気がするのだが…
まあ無理だったのかもしれません。PCエンジンテトリスを売ろうとする会社もなかったようだ。

アレクセイ・パジトノフアメリカに移住し、のちにヘンク・ロジャースと共にザ・テトリス・カンパニーを設立した。任天堂が持っていたゲーム機用テトリスの権利は今は失われ、テトリスカンパニーに集約されているようであるが、このへんがどういうふうに移譲されていったのか(契約切れ?)、よくわからなかった。
ELORGに残っていたぶんの権利も最終的にはテトリスカンパニーが買い取ったので、現在のロシアはテトリスから利益を得られないようである。

テンゲンテトリスは1ヵ月で10万本ほど売れたらしいが、任天堂NESテトリスはすぐ300万本行ったとかで。明らかにテンゲンのほうは勢いがない。やはり非正規のカートリッジは権利以前にかなりの逆風にあったのではないかと想像するが、これも当時のアメリカは知らないので想像のみです。

関係者の思惑については、著者の推測が入ってるのではないかと思える箇所もあったことを述べておきます。

囲碁

まったく個人的な話なんだけど、BPSという会社についてはテトリスよりもファミコン囲碁囲碁九路盤対局)のほうに思い出がある。
和風のBGMが流れる中、かわいい忍者が碁石を投げるイカしたアニメーションが楽しいゲームで、囲碁のルール説明モードもついているなかなかの作品なんだけど、本の冒頭はこのゲームの開発経緯も書いてある。ヘンク・ロジャース囲碁のゲームを作るという名目でファミコンに参入を認められ、山内社長から出資を受け、任天堂の信頼も勝ち取ったという。
予想外に重要なタイトルだった。あのニンジャゲーがテトリスの歴史につながっていたとは。
なお完成したゲームの山内社長の評価は低かったらしい。