『ウィザードリィ』は、英語ではパロディを多数組み込んだ軽いノリのゲームだったが、日本に輸入された際にシリアスな世界観だと誤解されて人気が出てしまったのである。
というストーリーが近年、じゃなく十数年くらい前からインターネットで言われて広められているのである。今でもこんなことを言ってる人は少なからずおり、メディア上でも言われたりする。
最初に言っておくが、僕はこのストーリーは事実を誇張したもの、ほとんど創作だと考えている。
事実を一つ言うなら、初代「ウィザードリィ」にいくつかあるパロディ要素は日本人になじみがないネタが多く、伝わりにくかった。クイジナートは80年代の日本になかったし、70年代に放送されたモンティ・パイソンもソフト化が進んでいなかったり対象年齢がずれており、日本版、ファミコン版からウィザードリィに入った層にはやや難易度が高かった。
それくらいだろう。
「日本人はパロディに気づかずウィザードリィを誤解していた」と言い張るストーリーには、複数の見逃しがある。
ひとつはパロディは言うほど大きな要素でなく、もともとシリアスなゲームという視点が抜けていること。
次に、一部のパロディはともかく、ギャグやユーモア、内輪ネタがあること普通に伝わっていた事実。
そして、ファミコン版以降の日本人も決してシリアスだけに受けとめていなかったという話。
これらはないまぜになっている。
日本版ウィザードリィについて、ここまでに3つ記事を書いた。
最初に書いたのは2年以上も前になるが、カシナートの剣がパロディだと知られるようになった経緯について。
次に日本版のクリーピングコインとライノゥビートルについて。ライノゥビートルの日本版デザインは誤解釈であると考えられること、その誤解釈には元になった書籍があったことに触れた。
最後に書いたのが、ライノゥビートルを含むファミコン版のモンスターのモデルになったPC版の「モンスターズマニュアル」のシリーズについて。
カシナート以外にも不自然な解釈があった日本版ウィザードリィだが、ファミコン版以前から既にシリアスなファンタジー世界を構築しており、でも少しはふざけてた記述もあったことを示した。
1.パロディを振り返る
まずは既に別の記事で述べた「カシナートの剣」についてもう一度書く。名匠カシナートの作という設定が広まっていたカシナートだったが、92年のインタビューでクイジナートのフードプロセッサーであることが判明した。この前段階として、日本では「WIZでござるよ」で「ムラマサがミキサー」だと誤って伝えられていた経緯がある。
カシナート=クイジナートは完全に「日本人に伝わっていなかったパロディ」そのものだ。これはその通り。
ただし、このことは00年代ではなく、92年には作者自身によって明かされていたことで、ウィザードリィ38年の歴史の中でわずか12年目のこと、ずっと前から日本語の文献でわかっていたことである。
またモンティ・パイソンとは無関係であるが、一緒くたに語る人が割といる。
次に、前回の記事の最後に書いたボーパルバニー。
VORPAL BUNNYは映画「モンティ・パイソン・アンド・ザ・ホーリー・グレイル」に出てきたキラーラビットという怪物のパロディだと思われる。
そう考えられている。
ボーパルバニーはカシナートと違い、いつパロディと判明したという経緯が定かでない。もともと有名な映画であり、なんとなく知られるようになっていった感じであるが…実はこれがパロディだというのは推測のように見える。実際のところ「首をはねてくる(白い)ウサギ」という以外にキラーラビットとボーパルバニーに共通性はない。
「そんな変なモンスター他にいるわけねえだろ」ということより、かなりの確度でパロディだと考えられているわけだが、厳密な裏付けを僕が見た記憶はない。
パロディであることを疑ってるわけではない。だがカシナートと違い、制作サイドの人間が元ネタを述べたことも、おそらくない。このことを慎重に書くのは、この魔物は原典に忠実なパロディではないからだ。
原典のKiller rabbitは映画の後半の山場となるカルバノグの洞窟の前にいた魔物で、瞬く間に三人もの騎士を殺害した恐るべき怪物だった。
それと比べるとVORPAL BUNNYはずっと弱い。2階から早くも出てきてクリティカルヒットは持っている危険な敵だが、同じ階のレベル1ニンジャやハイウェイマンと比べて強いわけでもない、ただクリティカルヒットを持っているだけのモンスターだ。そのぶん群れで出現するが防御面も優れておらず、マハリト程度の魔法で簡単に倒せる。自分から逃げることもある。
こうしたボーパルバニーの性能は、たった一匹で騎士団を脅かしたキラーラビットとは全く違う。パロディの可能性は高いが、原典とは全く違う。
これはラビットとバニーの違いだろうと、僕は考えている。「bunny」というのは映画のキラーラビットのくだりにも出てくる単語で、日本語の字幕では「ウサちゃん」と訳されているのだが、rabbitよりかわいくて弱っちいというニュアンスらしい。
(「ウサちゃん」は2002年のDVD版の字幕。現在Netflixで配信されているものでは「ちっぽけなウサギ」と訳されていた)
思うにバニーという名前にして性能を低くしていること自体が原典へのオマージュなのだろう。たぶん。
正確なところは創造した本人でないとわかりようがないが、とにかくこいつは原典に忠実なモンスターではない。ボーパルバニーは(たぶん)キラーラビットを元に創作した別のモンスターであろう、までしか言えない。
さらにボーパルバニーの創造者がウッドヘッドなのかアンドリューなのかもわからない。そしてあれはキラーラビットですよね?と彼らに取材して確かめた日本人がいるのかどうか僕は知らない。いない気がする。
以上の2点が一作目「ウィザードリィ」で有名なパロディである。カシナートは92年まで伝わっていなかったが、ボーパルバニーは知ってる人は知ってたという気がするが。
ところで一作目の他のパロディを知ってるだろうか。
知らん。
一作目「ウィザードリィ」にパロディ要素は決して多くない。あるけど、そんな多くもなかろう。
そういえば「カエルの置物」がセサミストリートのカーミットってキャラクターだという話があるらしい(ウィザードリィコレクションって本に書いてあるらしいが僕は読んでない)。これもパロディか。
セサミストリートはクイジナートやモンティ・パイソンに比べれば80年代中盤の13歳以上の日本人にもまだ馴染みがあった気がした。だけどカエルの置物がパロディだという話は全く知られていなかった。本当にパロディだとして、これは単にパロディだとわかりにくかっただけではないか。
他にも由来のよくわからないモンスターにもパロディが混入している気はするのだが…比率で見ればおそらく多くはない予感がある。
少数のパロディがあることというのは、日本のゲームで言うならロトの墓とかリンクの墓とか、「もんすたあ さぷらいずど ゆう」くらいのパロディ要素であって、ゲーム全体の印象を左右するほど大きいものではないと僕は思うが。
ほぼ話題になってるところ見たことないが、2作目以降もパロディ自体はそれなりにあるらしい。
#4に限っては「スペインの宗教裁判」「聖なる手榴弾」と、かなり目立つ箇所に明確なモンティ・パイソンネタがある(酒場の屋上にいる「テッド大おじさん」もパイソンじゃないかと思ったのだが確信が持てない)。また#4はパロディ以外のシナリオも全体的にゆるい雰囲気が漂い、世界観にも割と影響している。しかしこれは#4特有の話であり、#1から#3まで一緒くたにする話ではないのだ。
その次、どシリアスな#5にも映画ネタのモンスターが沢山いたりするが、あれもパロディかもしれんけど場違いというわけでもない。三船よりはクァシモドのほうがファンタジーらしいように思う。
他に僕が知らなかったのだと#2の泉がパロディだという話が紹介されていた。
Sandstorm:ウィザードリィ・ダイアモンドの騎士:若返りの泉のひみつ
北米のシェービングクリームのパロディなんだそうである。
せっかくだから現在目撃不能なパロディの話も。「ウィザードリィ プレイヤーズフォーラム」という本でロバート・ウッドヘッドのインタビューに、アニメキャラクターをゲームに入れるつもりがロバートの操作ミスで消えてしまったという話が載っていた(はず)。
どうもそれらしいものがApple IIの初期バージョンにだけ入ってるようだ。
http://www.zimlab.com/wizardry/mook.htmによるとThundarr the Barbarianというアニメのキャラクターが6Fに唐突に出てくるという。
※情報元:Wizardry1/Apple/解析メモ
こんなふうにパロディらしいものは、複数のシナリオでほどほどに見つかるわけであるが、やっぱり多いとは思えない。モンスターズマニュアルを引き合いに出すまでもなく、出てくるモンスターの大半はシリアスなものであるし。日本人が気づいてないパロディは他にもあるのだろうけど、でも繰り返すけど、やっぱりそれはゲームの一要素であって、全体の印象を左右するものではないだろう。
だいたいこのパッケージ。
これはファミコン版だが、オリジナルのAPPLE版もこの真っ黒けの箱だということはよく知られている。
この箱を見てパロディだらけのいい加減なゲームだと、アメリカ人も思うわけじゃないだろう。中身に少々のユーモアやパロディがあったり、場違いなサムライやニンジャが出てきたとしてもだ。
2.ギャグやユーモアは伝わっている
だがこのパロディ論の問題はこれだけではない。
カシナートの剣はともかく、ボーパルバニーがブッ飛んだモンスターであることは元ネタの映画を知らないファミコン世代にも十分伝わっていたはずである。2Fにして首をはねてくるかわいいウサギ。なんだこりゃと思ったはずだ。
カエルの置物にしても、何かのパロディだという意識はなくともユーモラスな存在であることは見ればわかる。
イエィとか言ってるぜ。セサミストリートは詳しくないのでカーミットかどうかよくわからんが…
ワードナのふざけた営業時間はファミコン版の日本語で就労時間の修正までされている。日本人はワードナをおじいちゃんのデザインにしておきながら17時まで働かせてるんだ!
(内容も日本語と英語で違うが、英語は後のバージョンで書き足されたものらしく、ファミコン版日本語のほうがAPPLE版に近い、らしい)
パロディは正しく伝わっていないものもあったが、ユーモアについては日本版でシリアスに歪められているわけではない。元ネタを知らなくても変なもんは何となくわかることもある。
歪んでいるとしたら受け手側が勝手にシリアスなゲームと誤解していたということだが…日本人ユーザーは本当にワードナの営業時間にユーモアを感じなかったのか。
もともとそんなガチガチの雰囲気じゃなかったことは、80年代の日本人も十分知っていたはずだ。現にカシナートの正体が判明しても、それで幻滅されたということも、日本版ウィザードリィがそこからギャグに振り始めたということもなかったし、そのちょっと前にムラマサがミキサーにされていた。
こういうギャグ的なものは、死と隣り合わせのシリアスなウィザードリィと相反するものではなく、共存するものだったはずである。
それこそ映画「モンティ・パイソン・アンド・ザ・ホーリー・グレイル」のようなものだ。映画自体はふざけているが、騎士たちの演技はふざけていない。ホーリーグレイルはギャグ映画だけどシリアスであり、キラーラビットに油断しきったボースが首を飛ばされた途端全員が真顔になり、聖なる手榴弾を持ち出す展開となるのである。無論、アーサー王の世界に手榴弾があること自体がふざけているが、王たちはふざけていない。だいたいこれはふざけていた騎士から順番に殺されるような映画である。
原典はふざけた映画だからボーパルバニーもギャグとして扱われがちだが、プレイヤーは映画の真面目な騎士たちと同じ立場であり、ギャグの怪物がボーパルバニーとして陰気な地下迷宮に持ち込まれると、それがパロディであっても全く笑えないモンスターになっているとも言える。実際にウサギに首を切られて笑ってられる冒険者がいるのかと。
もちろん狂王の試練場は、まだいい加減さのあるシナリオだった。いい加減な要素のひとつ、ボス「WERDNA」はAndrewの逆読み、城主「TREBOR」はRobertの逆読み。それぞれウィザードリィ生みの親であるアンドリュー・グリーンバーグとロバート・ウッドヘッドから名前を取っている。
これも有名な話であり、多くのプレイヤーは知っていたし、元ネタが開発者だから内輪向けのゲームなんだなと考えられたわけでもない。ゆうていみやおうキムこうと同種のものだった。
だからマーフィーズゴーストも、この二人の関係者から名前を取ったのだろうということは、確認を取らずともわかっていたわけであるが、実はそこに罠があった。
マーフィーなる人物は、本当にロバート・ウッドヘッドらの知人から名前を取ったものだと知られていたのだろうか。知人じゃなく俳優とか、アニメのキャラクターとかである可能性はなかったのか?
知人だとしても大学生だとは限らないのでは?親戚のおじさんや近所の子供ではないと誰か確認したか?
実際にマーフィーのモデルはアンドリューの知人のPAUL MURPHY氏であるそうだ。
だが80年代以降にマーフィーの由来を書いた文献が、実際にマーフィー氏が何者であるか確認を取って書かれていたかは別である。マーフィーは製作者の知人であるのは事実だったが、その話を紹介している二次的文献が情報源をあたっているかは別だ。
マーフィー情報の中に「マーフィーがいじめっ子だった」という不審な情報が流れていることについては、またこちらでも指摘されている。
Sandstorm:ウィザードリィ:「マーフィーズゴースト」をめぐるデマ
この指摘の通り、この情報はデマであろうと考えられるが、コメント欄にあるようにそこそこ信頼できそうな文献からも見出せるようである。こういうデマがある背景として、マーフィーなる人物の由来がちゃんと伝承されないまま事実化していったと考えられる。
日本の書き手による「どーせ大学の知人だろう」という憶測、あるいは「どこかでロバートの学友って書かれているた気がする」というあやふやな記憶で書かれた文献もかなりあったのではないだろうか。
実際前回書いたように86年の「モンスターズマニュアル」の時点でマーフィーのモデルがPAUL MURPHYであることはわかっていたようであるが、この本にも「小汚い大学生」「非常に影の薄い人物であったらしく」と、やけにネガティブな表現が使われている。これも竹内誠の創作なのか、もっと前の日本人の創作に基づくのか、それとも本当に本人がそうだったのか…?
マーフィーはいい加減なモンスターだが、日本人は必要以上にマーフィーをいい加減なものとして扱っていたかもしれない。日本版にあったのはシリアスなウィザードリィだけではない、本来より適当にやられている部分もあったのだ。
ただ、前回の記事ではサーテックから誤まったモンスター像が送られてきた可能性を一応指摘したが、マーフィーについても日本人だけでなく本国から尾ひれのついた情報が来ていたという仮説も、一応考慮したほうがいいかもしれない。モデルの名前だけは合ってるわけで、何かの情報源はあったのは確かなのだろう。
ところで実際のマーフィー氏はアンドリューの知人みたいな言い方をロバートはしてるみたいで、それはロバートの知人ではないってことじゃないかという気がするんだが…
3.日本人もシリアスばっかりではなかった
ふざけたウィザードリィは他にもある。カシナートの話でも述べたLOGiN誌の忍者増田の「WIZでござるよ」は時にウィザードリィと全く関係ないおふざけも交えつつ、ふざけたウィザードリィも真面目なゲーム情報も載せていくというスタイルだった。
よくシリアスな世界を作った元凶みたいに言われてるベニー松山について言えば、「ウィザードリィのすべて」「IIIのすべて」掲載のプレイ画面でも「JAVA」とか「HA・KIM」とか自作品のキャラクターを使ってシリアスなロールプレイングをやっていたが、よく見てみると「ビッグコア」「カバードコア」「クリスタルコア」とか世界観が崩壊したキャラクターも映り込んでいたのを僕は覚えてるぞ。
同じく「ウィザードリィのすべて」の高橋政輝のイラストの中にも「ポレが職業安定所に行く絵」なんてのも混入していた。
シリアスさの中に漂うどこか適当な感じ、ふざけても許される雰囲気、結局それは日本人にも十分伝わってたんじゃないのか?
それがマーフィーデマのようなものを産む背景にあったと思う。
「モンスターズマニュアル」の竹内誠についても、シリアスな中にフラックとマーフィーという、ふざけた解説のモンスターがあることは前回指摘したが、「ウィザードリィ4 プレイングマニュアル」だとアイテム解説にふざけているものがあった。HHG of AUNTY OCK、HHGはホーリー・ハンド・グレネードの略とされ、本書での訳は「アウンティ・オックの聖なる手榴弾」(PS版では「オックおばさんの聖なる手榴弾」)だが、これはあからさまにキラーラビットを粉砕した聖手榴弾のパロディだ。
で、本書の解説は「その使用方法は,兵書と呼ばれる本の第2章,第9節から第21節に渡って書かれている.」「まず聖なるピンを抜き,3を数えてから投げることであった.それは必ず3でなければならず,それ以上でも以下でもない.2では少なすぎ,5は論外だそうだ.」以下略。
完全に「モンティ・パイソン・アンド・ザ・ホーリー・グレイル」の該当シーンに準じた描写で、ゲームと関係ない聖アッチラの話に、無駄に長い祝宴のメニューの話まで書いてあり、著者が元ネタの映画をよく知っていたことが確認できる。
これが89年の本である。#4の重要なパロディを、80年代の日本人にも既に理解している人がいた。それもシリアス側の世界観をほとんど作ったような竹内誠がこれを書いている。
(ただこのページ、映画を知らない読者からはだいぶ意味不明な解説に見えるのだが…変なアイテムと認識はされただろうが)
「ホーリーグレイル」の日本公開は79年とのこと(2002年のDVDのブックレット情報)。日本版ウィザードリィが発売された年にも知ってる人は知っていたかもしれないが、87年には日本版LDが出ている(駿河屋情報)ので、視聴できる人は少しはいたはずである。#4のプレイングマニュアルは記述の正確さから、映画館で見た記憶ではなく、おそらくこのLDを見ながら書いているのだろう。
だがひとつ指摘すると「オックおばさんの聖なる手榴弾」は4つ数える。元ネタとそこは違っているが本書は勢いあまって元ネタ通りに3数えると書いてしまってて、著者のおふざけが過ぎていたくらいである。
この映画がファミコン版に反映されたかどうか少し考える。
86年のモンスターズマニュアルのボーパルバニーはキラーラビットと結び付けられていなかったが、ファミコン版は87年末の発売なので末弥純はホーリーグレイルのLDを見るタイミングはぎりぎりあったかもしれない。ボーパルバニーが白うさぎになってるのは、もしかしたらキラーラビットを知っていて似せたかも…
そこまで多いと思えないパロディ要素も、わかる人には伝わっていた可能性はある。ボーパルバニーについても確証はないが、実際PC版のボーパルバニーはネズミのグラフィックだし、
もしファミコン版でもこの白くないボーパルバニーだったら、21世紀の現在にキラーラビットのパロディだとちゃんと広まっていたかは微妙ではないだろうか。
確証はないものの、末弥純がパロディを知ってた可能性は残る。
前回の記事で「ファミコン版では、以前からあったシリアスなウィザードリィ像を特に薄めることなく延長した」という結論を書いたが本当にそうなのか。むしろボーパルバニーはファミコン版からギャグに振ったモンスターではないだろうか。
(他に#5のカーディナルファング(CARDINAL FANG)という敵も名前はスペイン宗教裁判の「ファン枢機卿」という人物が元ネタっぽい。で、日本版の赤い僧衣のヒゲ男というビジュアルも元ネタと似てるのだが、これはプリーストオブファングの絵の使いまわしだし、何となく似てるだけにも見えるので、やはり末弥純が認識していたか確信は持てない。#3のPRIEST OF FUNGとファングのスペルが違うし)
4.90年代のウィザードリィ
Wizardryはシリアスな中にちょっとしたギャグ、おふざけ、そしてパロディがあった。これまで書いてきたように、日本人はそのパロディの一部を理解できてなかったり、一部のモンスターに明らかに誤った解釈をしていたりしたこともあったが、そこに作品の方向性をゆがめるほどの重大な錯誤はなかった、と考える。
ロバート・ウッドヘッド自身がファミコン版を高く評価しているので、そういうことだろう。大半は格好いいモンスターに描いて正解だった。
だから、80年代90年代にウィザードリィをシリアスなゲームだと思っていたプレイヤーがいるなら、21世紀になって認識を改める必要はまったくない。シリアスなウィザードリィを好きだった自分を信じてもらいたい。
ウィザードリィはあなたが思っていた通りのシリアスなゲームでした。
…でも、当時からふざけてた記憶もありましたよね?という問いかけもここでしておきたい。
では、十数年くらい前からインターネットで言われてる「シリアスなゲームと誤解された」というストーリーはどこから来たのだろう。これはこれで考える必要があると思う。
古いネット記事を引っ張り出すと2006年2月にwikipedia:ウィザードリィで書き足された記述。
>しかしながら、アメリカの生活文化やサブカルチャーを共有していない日本では、パロディ・オマージュがそのまま翻訳されていたにもかかわらず殆ど理解されず、シリアスなファンタジーの世界観のみが選択的に受容された。このイメージの温度差は、ファミコン移植版に際してモンスターデザインや広告イラストに末弥純が起用され、羽田健太郎の重厚なBGMが付けられた結果、決定的なものとなった。ベニー松山によるノベライズ作品や石垣環によるコミカライズ作品も日本人が受容したハードファンタジーの世界観に立っており、ここでもシリアスなイメージの再生産が行われた。そのため、日本オリジナル作品は基本的にシリアスな世界観である。
ひとっつも出典がないウィキ編者の私論だが、これは典型的に昨今言われてるようなことであり、全くの私論というわけでもあるまい。古い記述だが、微妙に変化して今のwikipediaにも一部残っている。しかし何でベニ松と石垣環なのだろうか。もちろん、忍者増田のような「ふざけたウィザードリィ」側の人間に触れると節の展開に都合が悪いからスルーしてるんだろうが、石垣環も「うぃざあどりぃいろいろ」というギャグ成分の強い作品を発表してるし、ベニ松だってふざけたことはやってた。
だいたい「パロディが伝わってないから日本人はクソ真面目なゲームだと解釈した!」「パロディがひとつあるからオリジナルもギャグゲー!」と極論に振るのも、それこそモンティ・パイソンが風刺してるような思想だと僕は思うのであるが。
この「正しい歴史認識」とでもいうべきものは、2006年までには発生し、10年以上経ってもほとんどアップデートされていない。それから十数年の間にもっと情報は増えたはずなのに、彼らはずっと同じことを言い続けてきてるように見える。言い続けるだけで、過去のふざけた文献を紹介することもなく、新しくパロディを発見さえしてくれない。
言い続けるとこういうのが真実になったりもするから…
ベニ松がやたら槍玉に上げられやすいのも、著作の評価以上にこういうネット記事での扱いも影響してると考えられる。著作数ならベニ松より竹内誠のほうがずっと多いし、ベニ松世界でのバンパイアロードの過大評価は後世にそれほど受け継がれていないぞ。
(2019年現在までに変わった情報があるとすれば、PLATOのRPG群の存在がある。これは海外でも過去ほとんど知られておらず、2010年代になって広まったらしいのだが、ウィザードリィにはOublietteなど、もとになったコンピュータRPGがあった。
が、パロディゲーだという主張はそれより前からあったものであり、結局そこは2006年からアップデートされていないままだ。Oublietteとの具体的なゲーム内容の比較は「ロールプレイングゲームサイドvol.1」の記事など、ごく一部がやっているが、実際ゲーム設計の類似はパロディの有無とはほとんど関わってるように見えず、oublietteの存在は今回あまり関係がない。)
なぜこのように21世紀になって「パロディが日本人に理解されてないゲーム」というストーリーが流布しているのか。カシナートに限ってはその認識も正しかったが、その誤解は92年には解けているはずだった。2006年に語り出すには遅すぎるように見えるが。
カシナートの剣について正しい情報が伝わった90年代前半を振り返るにあたり、まずはこの表を見てもらいたい。
おなじみ得物屋24時間より、グッズに掲載されている「ウィザードリィ」関連書籍を、発刊数だけに注目して数えてみた。92年がピークで、そこからはゆるやかに減退していたのが96年で急減し、急に絶滅状態になる。
92年とは、カシナートの剣の真相が判明し、ウィザードリィ5と外伝2が両方発売した年だ。まさに人気絶頂にあったという、気がする。
しかし92年の書籍のひとつ、カシナートの真実を暴いた「プレイヤーズフォーラム」という本だが、カシナートの剣についてネットで見てきた感想で言うと、この本自体はあまり読まれていないように認識している。だからカシナートの「歴史の真実」を最近になって知る人は後を絶たないと、そういうこともあるとは思う。
というか、この90年代前半にかなり出た「ウィザードリィ」本、僕の個人的観測範囲ではあるが、得物屋でこうしてリストアップされてるものの大半を、少し遅れてウィザードリィに接した僕は全く認知していなかった。その僕がたまたま持っていたひとつがプレイヤーズフォーラムなので、そこに僕個人の記憶はあるのだが…
文献の数が出てる割にマイナー感は、あったと思う。
その発刊数も92年からは衰退の一途で、プレイヤーズフォーラムのvol.2も出ることはなかった。冷たい言い方をするが、たぶん、「ウィザードリィ」自体のブームも92年がピークだったんではないだろうか。SFC版ウィザードリィ6が出る95年あたりまでは生きていたかもしれないが。
97年のゼロという数字は異常で、急減は人気以外にもログアウト休刊など、外的要因が重なっている感があるが、単純な人気、知名度の低下も無関係ではないだろう。
なお98年に1冊だけ出ている小説が「隣り合わせの灰と青春」の文庫版。他にもリルサガの攻略本などで冊数は少し復活しているが、新規の「ウィザードリィ」のコミックは「BUSIN 0」までなく、小説の新作は90年代に途絶えて以来現在に至るまで一度も出ていない。
5.ウィザードリィまんがの一部
92年ごろのギャグ系コミックは、後で知った僕からもインパクトが強いのである。
重ねて書いてきた通り、オリジナルのウィザードリィはギャグだけで成立しておらず十分シリアスだったし、日本人もそれに含まれるギャグから目を背けてなどいなかったのであるがが、小説やコミカライズのような二次創作であれば、シリアスに振るかギャグに振るかのさじ加減は作者にゆだねられる。(ここではメーカーの公認で出版されたものも「二次創作」と表現することにする)
パロディ論と関わりがあるコミック作品について考える必要があるだろう。90年代にあったのは石垣環のシリアス作品「ウィザードリィ」シリーズだけではない。※申し訳ないのだが、ファンの多い石垣環の作品に僕はあまり詳しくない。
90年の「ドラゴンクエスト4コママンガ劇場」の大成功を受けて、しばらくゲームマンガブームみたいなのがあったようで、ウィザードリィもその時流に乗っていた時期があるのだ。双葉社から出ていた「ウィザードリィ 4コマまんが王国」はこうだ。
このようにインパクトというか、強い。いくらプレイヤーの想像力次第と言ってもウィザードリィはこんなドラクエみたいじゃないと思うのだが。
というか、この表紙を描いてる加藤礼次郎って「知られざる伝説ロト2」とかドラクエ3の攻略本とかでイラスト描いてたガチのドラクエ側の人だ。
表紙がこうであるのに対し本の中身もドラクエ4コマ同様にギャグマンガばかりであるが、原作に主人公がいないため、ほとんどの作者がオリキャラで進行するのは特徴。だから世界観も崩壊しやすいというか、ドラクエ4コマと違って積極的に世界観を破壊することが行われており、バグ技やパソコンが出てくるのにとどまらず、ターボファイル内の「ベストプレープロ野球」やドラクエ、メガテン、まるで関係のないドラゴンボールやスト2までネタにしていた。キャラクターが作家ごとにバラバラのため統一の世界観もなく、ドラクエと違って悪い意味で拡散している。
もちろんサーテックにベストプレープロ野球を知ってる人間などいたはずもないし、中身のチェックなどろくにしてなかったろう。世界観とネタバレを厳重に守っていたエニックスのドラクエ4コマよりずっと緩い体制があった。
これに比べるとJICC出版社の「ウィザードリィ友の会総集編 4コママンガスペシャル」の1と2は表紙はドラクエっぽくはないが、1巻の帯には豪華執筆陣の代表としてベニー松山とか須田PINとかすごい名前が載ってるぞ。
またこの本は双葉社と違い読者投稿も載せているが、そのクオリティはどう見ても素人のベニ松須田PINと互角以上。内容の自由度も双葉社と同じくらいで、ドラクエネタやディープダンジョンネタが結構な頻度で見られる。というかディープダンジョンそのものをディスる紹介記事も載ってる。
こういう本があることをよく知らないまま、僕が当時持っていた本がまた悪いことに「ウィザードリィ友の会3 コミックスペシャル」だけであった。友の会の前2巻と違い4コマ主体の本ではないのだが内容はかなりギャグ寄り。
ただ他の本と異質な問題がある。載ってる漫画の半分くらいが友の会2ではなく、まったく別の本の続きになっている。さっきの表にはカウントしていないが、91年と92年に7冊出たという「ゲームプレイヤーコミックス」(みのり書房)という本にウィザードリィの連載が複数あって、その続きがなぜかこの「友の会3」に載ってる、らしい。
ここに石垣環の「うぃざぁどりぃいろいろ 拡張版 ワードナの迷宮編その9」という作品も収録されている。これもギャグ成分の強い一本で、ファミコン版1の「仕様の穴をついてワードナの魔除けを増殖して高値で売る裏技」を題材に使っている。だが本作はギャグ一辺倒ではなく、キャラクターたちがふざけてる裏でワードナとトレボー(ギャグキャラ)のシリアスな陰謀が動いているという実にウィザードリィらしい一本なのであるが、僕は石垣先生の作品についてまともに読んだのがこの一本だけであったため、実際8話までがどうなってたのかはよく知らない。
「ゲームプレイヤーコミックス」は7号までらしいんだけど、どういうカウントで「その9」だったのだろう、僕が残りを読む日は訪れるのだろうか…
また本書に描いているうちのひとり押田J・Oは「ゲームプレイヤーコミックス」から本書を経て、さらにアスキーの「ウィザードリィコミック」にも続きを描いている。
これらウィザードリィまんが、石田和明、松本英孝、押田J・Oと、普通にドラクエ4コマとかぶってる作者もおり、なかでも石田和明のオリジナル作品「レニフィルの冒険」は、キャラクターの原型がこのウィザードリィ漫画のオリジナルキャラなんだという。
グルグル連載直前だったはずの衛藤ヒロユキも友の会2だけ参加しており、見開きのカラーページまで描いている。ウィザードリィコミック界はドラクエへの意識が強く、読者も作者もかぶりまくっていたことがわかる。
別に90年代のウィザードリィ二次創作をギャグが支配してたわけじゃないが、このようにコミックに関してはギャグに振っているものは実際多かった。
もちろん、ドラクエ4コマと同じ原理で、原作がギャグじゃないと認識されているからこそ二次作品ならギャグになることもある、というのもあるのだが。だからギャグ作品でもカシナートはだいたい普通の剣で描いてある
とか思ってたら変なデザインのカシナートも出してるのがあったわ。こちらはアスキーの「ウィザードリィコミック」の2巻収録、たしろたくや「災渦のはしっこ」より。
この「ウィザードリィコミック」は他社のものと違い、ギャグばかりでもなくシリアスな漫画も載ってるアンソロだが、でも半分くらいはギャグである。90年代初頭のウィザードリィ漫画はギャグ率が非常に高い。
こんな状況からもはっきり言えるが、90年代前半の作家たちもそんな根っからシリアスでもなかったし、そしてカシナートは92年にはミキサーだった。これは僕の主観ではなく歴史的事実である、近年にふざけたゲームだと言いだしたのは認識が古すぎる。
そのはずなのだが、この時代の本は数の割にあんまり読まれてない気がするという主観もまたある。
しかし今こうして振り返ると、ドラクエと違って世界観を破壊する漫画が多いのはギークっぽい雰囲気ではあるね。
※「加藤礼次郎」氏について、ドラクエ4コマの2巻から5巻の表紙を描いていた「只野電次郎」は別名義だとネットに書いてある。実際絵柄は似てるとは思うのだが、1年ほど後の知られざる伝説ロト2と比べても絵柄が一致しないというか、意識して絵柄を遠ざけてる?みたいな印象を抱いたため、同一人物との断定はしないことにした。あるいは実際に本人ではなく関係者かもしれないし。
そして1巻は「加藤礼次郎」名義らしいのだが1巻は手元にないのでわからない。
6.ウィザードリィエンパイア以降
カシナートの話に戻ると、英語版のWIZ6や7でただの剣になっていたのと対照的に、外伝2や3ではカシナートは性能や不確定名にフードプロセッサーの名残があった。実は日本版のほうがカシナートのパロディを大事にしていた。
だが外伝4ではただの剣に戻り、アスキーを離れたリルガミンサーガではグラフィックもついたが、これも強そうな長剣である。リルサガ作った人たちはパロディ武器だと知らなかったのだろうか?
いや92年で衰退がはじまったと考えると「ウィザードリィプレイヤーズフォーラム」はそんなに読まれてなかった可能性は高く、普通に知らなかっただけかもしれないが、どっちかというと「変な剣から普通の剣に戻したい」という意識はあった気がする。
カシナートについて重要な話題があるのはPSの「ウィザードリィエンパイア 古の王女」(2000年)だろう。「カシナート」は本作の舞台となる街の名前であり、そこに地名を冠した「カシナートの剣」だけでなく「カシナートの鎧」なども登場する。どうもこの世界の「カシナート」という単語はクイジナートではない。
「カシナート2」という変な名前の武器も出てくるので、こっちが機械仕掛けのカシナートなのかなと思った記憶はある。
こうしてカシナートをパロディでなくしたっぽいPSエンパイアだが、パロディ武器自体はむしろ従来のWIZより遥かに多い。その元ネタも聖闘士星矢、ベルセルク、ハリーポッターと、国産作品だけではないが日本での知名度が高い作品に偏っており、その芸風は従来とだいぶ違っている。
このパロディの中で、なぜカシナートに限って真面目な地名として出したのか割と僕には謎なのだが、Wikipediaにも本作のアイテムについては強調して書かれている。
もっともストーリー自体は真面目どころかグロテスクな描写が目立つ陰惨なもので、パロディ色はまるでなかったと記憶しているが…だいぶ前の記憶だけど…
僕はPSエンパイアより後のエンパイアはやったことがないのだが、エンパイア2には当時流行ってたクイズミリオネアのパロディが出てくるという話をゲーム誌で大々的に取り上げていて、日本版ではスルーされがちだったパロディ要素を入れている、という話が書いてあったのは記憶している。
…たぶんこのミリオネアはゲームの一要素でしかなくて、エンパイア2もそんなパロディだらけでもないんじゃないかと当時思ったが、結局それを確かめることなく今に至っている。これがきっかけというわけじゃないのだが、「昔はパロディが伝わってなかった」って論調は実際この頃(2002年くらい)から増えている、気がする。
ただこれもエンパイア2の発売前というピンポイントな時期の話で、エンパイア3以降や、近年までのアスキー以外のウィザードリィがパロディ要素を強調してきた記憶は、かなり遠目に見ていた僕の記憶にはない。シリアスなウィザードリィは今も続いていた、ように見えてる。
パロディ自体はウィザードリィの影響下にある他社のDRPGでも普通に見られるようになったけど(いきなりアクマイザー3やボンボン餓狼のパロディが入る某樹の迷宮3など)、そういうのをやってきたのもだいたいシリアスなゲームだった。
ただ実際、エンパイアより前の国産ウィザードリィ、つまり「ウィザードリィ外伝」シリーズに限れば、確かにパロディらしいパロディがあまり見当たらない。外伝2と3でカシナートをフードプロセッサーらしく扱ってたくらいである。
90年代、本国製Wizardryでは#5以降も基本は真面目なゲームでありながらも「説明書が不自然に難しい仕掛けシリーズ」や、「武士道ブレード」(ウィザードリィの神話学によると映画タイトルの武器シリーズらしい)のような妙なものもそれなりにあったが、日本製の外伝は小ネタまで真面目なストーリーばかりであり、ちょっとしたユーモアや笑えるメッセージくらいはあったかもしれないが、強めのギャグ・パロディというのは、あまり、記憶にない。
「日本版は真面目だった」という説はファミコン版ではなく、二次創作でもなく、日本オリジナルのゲーム作品に限った話であれば、そうかもしれない。
もっとも本当に無いかというと、外伝4はゲーム自体が世界観レベルでふざけていた気がするし、パロディもひとつ知ってるのがあるにはある。
外伝4のガイラスというNPCにノバイスをかけたときに「正義が力ではない!力が正義だ!」というセリフが聞けるが、これどうもアニメ「タイガーマスク二世」のOPの口上「力が正義ではない!正義が力だ!」のパロディのようだ。
そんな古いアニメ見たことないわ!
※埋め込みプレイヤーでは再生できない
国産作品のパロディはエンパイアの専売ではなかった。
もう一つパロディの認識に関わりそうなのが、99年にニューエイジオブリルガミンが出たことだ。それまでプレイできる環境がパソコン以外だとPCエンジン版しかなかったウィザードリィ#4が現行ゲーム機でプレイできるようになって、内容が広く知られるようになった。
それまでも関連書籍でぼんやりとパロディについて書いてあったりはしたんだけど、結局僕も含めてやったことない人のほうが圧倒的に多かった。
また「空飛ぶモンティ・パイソン」のDVDも2001年に出ている。聖なる手榴弾のネタを入れたフルメタル・パニックの短編1巻が出たのはちょっと古く98年。カミカゼ・スコットランド兵のネタが出た短編は2002年だな。
このへんの知恵がおおざっぱについてきたのが2002年くらいではなかろうかというのが、僕の雑な認識だ。
あとウィキペディア自体のブームが2000年代中盤くらいである。日本人はウィザードリィのパロディを急に理解できるようになって、真実を急激に広め始めた。
ウィザードリィの原作は、90年代の認識よりもうちょっとふざけていたのかもしれない。その見方までは間違ってはいないと思うのだが、実際はカシナートくらいしかわかってないかもしれないのに。本当にふざけていたのかの論証を、そこまでしっかりやられていると思えない。
僕はなぜかプレイヤーズフォーラムを読んでいた。だから僕がウィザードリィに近づいたときには、カシナートの剣がミキサーだと既に知ってた(フードプロセッサーというのはよくわかってなかった)し、90年代のふざけた漫画も80年代の真面目な書籍もよく知らなかった。みんなが別のウィザードリィを見ていたように、僕の見たウィザードリィは他人と少し違っている。
そんな僕はウィザードリィを今でもシリアスなゲームだと思ってるが、それもまた極論なのかもしれぬ。
ギャグやパロディがあってもなおシリアスなゲームだと受け止められない人もいたかもしれない。いただろう。
実際にメディア側の人、僕より年上で、明らかに僕よりファミコン版に思い入れがありそうな人でも「当時の人は知らなかったがパロディだらけのゲームだった(当時の人自身がこれを書く)」「プレイヤーはカシナートの真相に幻滅しただろう」というようなことを言っているのを見ると、それは本当にそうなんだろうかという違和感は消えないのであるが、全てが嘘というわけでもないだろう。そういう人もいただろうとは思う。
あるいはもっと後の世代なら、ウィザードリィみたいなクソ古いRPGなんぞ知識として知ってるだけで中身まで見てないような人の認識であれば、これはギャグゲーだと安易に言ってしまうこともあるだろうとは思う。でもウィザードリィのブームは92年だった。21世紀になって入ってくる新規層がいないわけじゃないだろうが、極めて少ない。
新しい人がプレイヤーズフォーラムなんて忘れ去られた本を今になってたまたま入手して真実を知るということもあるはずなく、パロディゲーだという認識をネットで広めようとしているのは、遥か昔の92年にプレイヤーズフォーラムを読んでたような当時のプレイヤー本人だと考えるしかない。
あらゆる違和感。
ウィザードリィは想像力のゲームだと当時のプレイヤーはよく言っていた。それが正しい言い分なのか、友の会とかの投稿で見ていた僕はどっちかというと懐疑的なほうではあったが、ウィザードリィの正しい姿はふざけたゲームだと正解を決めようとする姿勢には、僕は大いに疑問を持つ。