神殿岸2

2と言っても実質1.5みたいなもの

MSVからドラゴンボール超へ

ドラゴンボールの記事を連続で書いてきた。
過去の原作を否定する戦闘力のデフレが起きているのではないかという話作者自身の語ったラディッツの設定が短期間のうちに変化した話だ。
これらは原作以外の媒体との関連性も深い話だった。

「MSV」(モビルスーツバリエーション)について最低限説明すると、アニメ「機動戦士ガンダム」のアニメに出てこない「高機動型ザク」とか「フルアーマーガンダム」とかのバリエーション展開のことがMSVと呼ばれている。
さらにメカだけでなく、そこに登場したキャラクターやバックストーリーもひっくるめて「MSV」と呼ぶ。
1982年の映画でいったんアニメ展開が終了したガンダムだったが、このMSVを中心にプラモデルの展開は継続し、その設定の一部は85年の続編「機動戦士Zガンダム」でも使われることになった。
このMSVに登場するモビルスーツは、ほとんどはザクやグフ、ガンダムなど、原型となるモビルスーツが原作側に存在する。砂漠用のザク、水中用のザク、試作型のドムといった感じで。「高機動型試作機」のような例外もあるが、そういうものは少数である。
完全な新規メカを中心に展開する「MS-X」も企画されたが、Zガンダムが始まる都合で本格展開することなく中断してしまった。
経緯についての詳しいところは最近発刊された「MSVジェネレーション」という本を参考にするとよいです。
大事なのは「MSVにどういう設定があるか」ではなく、「MSVがどのように生まれ育っていったか」である。

ドラゴンボールとMSV

実は同じようなことをやってきた作品がドラゴンボールだ。特に2009年あたりからのゲーム独自展開、知ってると思うけど完全に高機動型悟空というかフルアーマーバーダックというか。
何しろこのドラゴンボールという漫画、異様にMSVを考えやすいのだ。
まずベジータさんの超サイヤ人3を考えなかった読者がいないはずがない。なった。外見の変化もカカロットさんと共通なのでデザインも一瞬でできる。水中型ザクのように難しい装備を考える必要はない。
ブロリーも3になった。いっそ4もやっちゃうか!
バーダック、トランクス、悟飯、ゴジータベジットラディッツ、特にやりやすい超サイヤ人3は次々と増殖した。ナッパもヒゲが伸びた。
簡単に増やせる超サイヤ人だけではないぞ。超17号にいろんなもんを吸収させてみたり、ベビーやらジャネンバやらを悪魔合体させてみたり、基本はMSV的発想だ。それも昔のガンダムよりもかなり安易な。

このヒーローズ以降のMSV展開もネタ切れで急に来たわけではない。
話はドラゴンボールが劇場版を執拗にやっていた頃までさかのぼる。最初のほうはドクターウィローのような完全なオリジナルの敵を相手にしていたが、やがて本編の設定とも多少関係あるキャラクターが出てくる。独自の変身をする超サイヤ人。変身が一回多いフリーザの兄。
白ナンバーだった人造人間たちは正しくMSV的発想のキャラだ。これらが殆どパラレル作品とはいえ、そういうのを増やせる懐の広さが原作自体にあった。アニメ版そのものが、原作に対するMSVを含んだものだったとみなせる。
原作自体が同じ変身を別のキャラにさせてみたりしてたし。

・「ドラゴンボールZ2」で起きたこと

90年代後半にドラゴンボールの原作もGTも終わり、その後しばらくはドラゴンボールはゲームが主戦場だったように見える。ゲーム界で本格的なMSV展開があったのがPS2「ドラゴンボールZ2」(2004年)だと思う。
人造人間編までを収録していた前作「ドラゴンボールZ」からキャラクターの追加入れ替えをし、ブウ編まで収録した作品だが、このゲームには完全なゲームオリジナルキャラが何人か登場する。その筆頭がヤム飯だ。
ヤムチャ天津飯は体型は似てるし、実力も…だいぶ開いてる気もするが合わせることはできる。この二人にフュージョンさせるという発想は実にありふれたものであるが、それを公式サイドがやったことに意義がある。その気になればキャラクターを増やせる。デザインもメタモル星人の服着せとけばいいから簡単だ。
それだけではないぞ。ブウの吸収バリエーションとして、フリーザ、セル、ベジータヤムチャ&天津飯吸収という完全なオリジナル形態が4タイプも登場する。
また原作に一瞬しか登場していない悟空とサタンの合体戦士「ゴタン」も参戦している。こういう実質登場してないものを扱うのもMSV的展開だといえる。
あとムキンクスのモデルを用意する余裕がなかったせいか、何気にトランクスが超サイヤ人2になれたりする。
そうそう、前作「ドラゴンボールZ」にもセルリンってのがいましたね。あれは1回きりだったけど。

このZ2のMSV展開については、詳しくはわからないが、なんか問題あったみたいである。販売差し止めまではいかないが、これ一本きりで留める必要があったと、後から見てそのように考えられる状況証拠が揃っている。
上記のMSVキャラクター、そのまま使いまわせるにも関わらず続編の「ドラゴンボールZ3」には一切登場しない。ブウの吸収は原作に出た悟飯、ゴテンクス以外は削除され、代わりにギリギリ原作に出たピッコロ吸収ブウが追加されている。ゴタンもいなくなってる。(トランクスの超サイヤ人2だけは残ってた)
さらにこのPS2ドラゴンボールZシリーズの海外版「Dragon Ball Z: Budokai」はPS3Xbox360で「Dragon Ball Z: Budokai HD Collection」として、ZとZ3をまとめて復刻されているのだが、なぜかZ2は収録されていないのだという。

ゴタンはれっきとした原作キャラなので…たぶん…、その後別のゲームでも見かけるようになったが、ヤム飯は知名度に反して「ドラゴンボールフュージョンズ」(2016年)まで一切再登場しなかった。フュージョンズ以降は再登場するようになったものの、名義もカタカナ表記の「ヤムハン」に変更されているところに何かが感じられる。
ブウの捏造吸収は現在に至るまで再登場していない。

・なぜ「ドラゴンボールAF」は発生したのか

ドラゴンボールZ2で起きたMSV展開については、その数年前あたりから始まっている「ドラゴンボールAF」との関係も指摘できる。ネットで発生した謎のドラゴンボール続編シリーズ。大量の超サイヤ人フュージョンコラ画像を生み出したアレ。
といってもZ2が直接AFの影響を受けたという話ではない。AFが本格的に流行って日本に持ち込まれたのはどうもZ2の発売と同時期のようである(有名な2004年のエイプリルフールの少し前に紹介されていたことを僕は覚えている)。
ヤムチャ天津飯フュージョンについてはAF周辺でも同時期に画像があったらしいが、そういうのが出てくる時期だったということであろう。ちなみにAF画像のヤムチャ天津飯は髪型がヤムチャ寄りになっており、悪ふざけの入ったヤム飯のようなギャグい感じではないので、日本で発生したヤムチャブームとは違う流れが感じられる。

そう、そういうのが出てくる時期だった。これは曖昧な話ではない。
ドラゴンボールGTが97年に終了したのち、ドラゴンボールにこれといった展開はなかった。AFの発端となったらしい画像、通称「超サイヤ人5」がネット上に現れたのがいつごろかは定かでないが、スペインの雑誌に掲載されたのは99年だと判明している。
その後、実在しない「ドラゴンボールAF」について数多くの非公式MSVが作成されていったのは周知の通り。AFの隆盛は明らかにGT後の空白期と関連している。ドラゴンボールZ2も同じだ。
機動戦士ガンダム」のように、本編が終わればMSVを作るものなのだ。人気さえ維持していれば。
ただAFは素人の集まりの作り出した虚像であり、まともなストーリーがなかった。かろうじてザイコーというキャラクターを生み出しただけである。

・正史を維持する動き?

これもAFと同時期くらいになるんだろうか、PS2ドラゴンボールZ」(2003年)も重要な作品で、とっくに連載の終わっていたドラゴンボールが勢いを維持したのはこのゲームが一因ではないかというくらい、それほどいろいろやったゲームだ。
このPS2ドラゴンボールZ」はあらためてドラゴンボールのストーリーを正しく再現し、大量の音声を収録し、技名もいろいろ考えた。
このゲーム由来の素材や技名がZ2とZ3と足されながら使いまわされてヒーローズでめっちゃ現役だ…
ドラゴンボールの技名ってゲーム出典のものがすごい多いけど、基本の「エネルギー波」すらファミコン時代の創作のようだ。正確にはゲームに出る前に原作でも一回だけエネルギー波って表現は出てくるのだが、それはナッパの「ピッ」という別の技の呼称で、それを「悟空伝」でラディッツの無名ビームの技名として転用したのが最初だと言われる。

このゲーム「ドラゴンボールZ」も当然アニメ版の声優を起用しているが、演出のかなりの部分を原作に準拠しており、ストーリー上のアニメ版固有要素についてはほとんど触れないようになっている(グレゴリーが映ってる程度)。
その一方で、このゲームはアニメにも原作にもない完全なIFストーリーを導入した。セルを操作するストーリーでは実質ラスボスはヤムチャである。また悪ふざけだ!
こんなんだが評判は良かったので、この後のドラゴンボールゲームでもIFストーリーは定番となっていく。

Z、Z2はセルリンやヤム飯らMSVを展開する一方で、映画などのアニメオリジナルキャラは使用キャラに一切参戦していない。
そりゃ原作キャラに比べて優先順位が低いから、というのもあるが、普通に考えてゴジータいないのにヤム飯がいるとかおかしいでしょうが。
ドラゴンボールはあれでアニメと原作を切り離す、というよりパラレルだとわかったうえで尚アニオリに対する反発も結構根強かったりするんだけど、…MSVはいいのか?
しかしZ2ではクウラが出る非売品バージョン「ドラゴンボールZ2V」が懸賞限定で作成された。結局Z3ではMSVを排除する一方で映画キャラとGTも参戦に至る。
やっぱりみんなアニオリは好きであった。

・まともなMSV展開へ

Z2のオリキャラが何か怪しげな扱いであったのに対し、ちゃんとしたバリエーション展開を始めたのが2009年の「ドラゴンボール レイジングブラスト」だろうか。超サイヤ人3のベジータブロリーが初登場した。これ以降は別のゲームでも共有されるキャラクターとなる。
ドラゴンボールヒーローズでトランクスも超サイヤ人3に。
そして2011年「エピソードオブバーダック」において、バーダック超サイヤ人になる。ここからはもう順番はよくわからんが、いろんなサイヤ人が変身段階を増やしていった。そこにはAF画像群で見覚えのある戦士もちらほら…いや繰り返し言うけど、ぜんぶ誰でも思いつくようなMSVに過ぎないんです。あれらコラ画像鳥山明東映以外の誰かに権利があるというレベルですらない。
もっとも、この00年代後半以降のものについては、公式側もAFに影響されてやってた可能性自体は高い。日本版のAFマンガが盛り上がったのは2006年までさかのぼるし、スパーキングの超4ゴジータの2Pカラー(白髪、赤肌)が超サイヤ人5を真似ていたようだ。AFの影響、公式にも出ていたと見ていい。

ところで漫画版『ドラゴンボール超』の作者とよたろう先生の商業デビューは2012年らしい?
コミケ初参加が2007年だということはツイッターで公言していた。
ぶっちゃけ氏が何者かは公然の秘密であり、そうだとすればこの人の存在がAFの影響の直接の証拠だが……過去の経歴をとよたろう氏としても集英社としても公言してないようである。

・ところでバーダックについて

僕は「エピソードオブバーダック」については今でもあまり肯定的でない。
ゲーム、漫画、アニメのそれぞれで、過去に戻って超サイヤ人となったバーダックフリーザの先祖のチルドを倒すという話をやったが、無茶である。あのどう見ても死んだバーダックが特に理由なく過去へ飛んで、別によい子でも穏やかな戦士でもないはずのバーダックが、そんな因縁があるわけでもないチルドさんがムカついたのでやっつけるというプロットにも特に褒めるところもなく、まあゲームのネタだから整合性とかしょうがねえかくらいの印象であった。
ただこの作品、「たったひとりの最終決戦」の続きをやっているように見えるが、冒頭のシーンのフリーザバーダックのやり取りが全然違ってる。
特に漫画版の作者のオオイシナホ氏あたりが「たったひとりの」を忘れてるはずもない…たぶんパラレル作品として意識的に変えてるんだろう。
さすがにあの後のバーダックが生きてるってのは抵抗があるので、どっかで分岐した世界ということにしておきたいのかと思う。

バーダックの由来はアニメオリジナル、つまりこの人もMSV寄りのキャラクターだ。
ただし一部のアニオリキャラや劇場版の敵と同様、バーダックもデザインは鳥山明がやっている。MSVのメカは大河原邦男がデザインしたから本物であるとみなされたがごとしで、鳥山デザインというのはポイント高い。だから作者の思い入れが強いかというと、どうやらそういうわけでもないらしい
アニメのこのエピソードを高く評価した鳥山先生が原作にバーダックを出したというのは有名な話だが、これには続きがあり連載終了後には出したことを忘れてたのだ。
ドラゴンボール完全版公式ガイドDragonball FOREVER 人造人間編~摩人ブウ編」(2004年)の質問コーナー
鳥山先生がキャラ名の由来をコメント付きで語っているが
バーダック──これは、よくわかりません。原作にも登場しましたっけ? もし原作にも出てたとしたら、必ず野菜から取っているはずですが。(バーダックごぼう
完全に他人事だ…完全版読み返してないのか?

2011年に廉価で販売されたテレビスペシャルのDVD「DRAGON BALL Z SPECIAL SELECTION DVD」(廉価版だが高騰してる)に収録されているコメントによると、
>もともとボクは物忘れの激しい方だから、このバーダックという悟空の父親達のキャラデザインを描いた記憶はほとんどない。(中略)まあ、デザインといってもバーダックに関して言えば、ただ悟空を戦闘民族らしく少し凶暴な感じにしてフリーザ軍から支給された戦闘服を着せただけなので、たいして苦労はしなかったはず。(後略)
どうやらデザインしたこと自体も覚えてないレベルで、ただバーダックのデザインが簡単ということは見直してわかったようだ。

前の記事で触れた通り、銀河パトロールジャコ単行本描きおろしにバーダックが登場する。そこで描かれたのは「たったひとりの」と全く違うバーダック像であった。トーマではない別のサイヤ人と共にどこかの惑星から帰還したバーダック。それを出迎える妻のギネ。戦闘服のデザインすら旧型ではなくなっている。
フリーザの良からぬ動きを悟ったバーダックは3歳のカカロットを密かに地球へと逃れさせた。地球を破壊する命令なども与えず…
アニメのバーダックフリーザ軍への忠誠心自体は高かった。ドドリアの裏切りによってフリーザへの反乱を決意するが、そこまではごく当たり前にフリーザの配下として、悪のサイヤ人として戦っていた。
対するジャコのバーダックは一応フリーザに従ってはいるが、特に忠義があるわけでもないようだ。
このバーダックもおそらく原作通りフリーザに抵抗して倒されるのだろう。しかしそこに至る道は、原作であるかつてのアニメとは違うものとなるはずだ。
エピソードオブバーダックも多少描写が変わっているが、基本は「たったひとりの」の続きである。バーダックは別にいいやつではないし、あと…この「エピソードオブ」世界線で奥さんのギネがいたとすると惑星ベジータと共に爆発したことになるので、ワープ直後に割と落ち着いてるバーダックは何やってんだという感じである。エピソードオブバーダックに出るのもだいぶ丸くなっているが、元は悪のサイヤ人であるバーダックで、奥さんのようなものを気にするタイプではなかった。下級戦士のカカロットが誰の子なのかは誰も知らない。
という状態にギネをねじ込むのは相当無理があるなあと考えると、もう前提から変わってサイヤ人らしくない家族思いのよい子であるバーダックになるのは仕方ないという気はするが、原作である「たったひとりの」とはかけ離れたバーダック像になるのを良しとしていいのかどうか。
いや原作の原作者は鳥山明のほうだ。当時はともかく今の鳥山明バーダック像を変えたかったのだろう。

・二次作品と鳥山明

連載当時の鳥山明は絵柄にアニメ版の影響を逆に受けているという話であるし、絵柄以外にもバーダックの登場のように影響を受けた部分が見られる。近年でも自分の映画でオッスオラ悟空を言わせてみたり、アニメ版の影響は作者にも強い。
見たところ、鳥山先生は二次的な影響をかなり受けている。未来トランクス出した理由も子供の人気を考慮してのことだというが→参考リンク、ゲームで主役級で活躍してることも知ってるのだろう。
キャラクターの性格だってアニメ版や野沢さんに引っ張られてるかもしんねえ。

が、その一方でアニメ版の影響をまったく受けていない部分もある。わかりやすいのがフリーザのいた地獄。
地獄は蛇の道のアニオリで少し出てきて以降、「あの世一武道会編」と「復活のフュージョン」とドラゴンボールGTでも取り上げられ、セルフリコンビ結成など独自の世界を構築していた。
だが復活のFはそれらアニオリ地獄に全く配慮しなかったのは周知の通り。これも急に切り替えたわけではなく原作でもベジータが2回目に死ぬときのピッコロの説明がアニオリの地獄とだいぶ印象が違っていたあたりから軋みは感じられた。
どうも鳥山先生はアニメから影響を受けつつも、絶対影響を受けない部分もあるようだ…
ドラゴンボール超も、ゲームの未来トランクスの影響をおそらく受けながらも、出てきたのはゲームと全く違う未来トランクスだった。超サイヤ人2にはなるけど3にはならない。髪の色も変わった。

・クウラ無視

またエピソードオブバーダックの本
フリーザはいわゆる突然変異の生命体です。厳密にいえば、フリーザの父が異常な戦闘力を持つ突然変異体であり、その父一人から変異体の要素を強く持ったまま生み出されたのがフリーザです。
>従ってフリーザ一族といっても、異常な戦闘力や残忍さを持つものはこのふたりだけです。

これも前回の記事に書いたサイヤ人の設定と同じく、そこそこ広く使われている設定。近年のゲームに登場する「フリーザ一族」という種族は悪の集団ではなく、フリーザ軍と一線を画している。
ただし種族自体の代名詞になるほどフリーザの存在感は大きいという解釈をしている。
またコルドひとりからフリーザは生まれている。つまりフリーザ一族には性別もない。これもゲームでそういう設定を採用してる。
…これどうなんだ。コルドは母じゃなく父だと明言してる。フリーザもクリーザのパパだし、これはクローン的に増えているのであり、ナメック星人と違って性別自体はあるとも受け取れるが…?鳥山先生どうなんですか。ゲームの説明は正しいのだろうか。

ところで、クウラが忘れられているようだ。原作の歴史において劇場版の敵がどういう扱いなのか、これが作者の見解だと思うのだが、クウラなんていないのだ。
クウラは鳥山先生がデザインしたキャラクターだ。自分の作ったものでさえも、いないものはいない。もしかしたら原作で戦ってないけどクウラもどこかにいるのかも…みたいな含みもない。アニメの歴史と明確な線引きが感じられる。ドラゴンボールにおけるMSVは正史ではないのだ。
そう考えると、ほとんど忘れてるとはいえバーダックは本当に特別なのだろう。
まあフリーザ一族が出るようなゲームにはだいたいクウラも出てきますが。

この原作以外のものに対する線引きが、自分の語った設定にも適用されてるのではないかというのが前回の記事の趣旨だった。エピソードオブバーダックの本は間違いなく作者の設定だが、作者自身が打ち消した。原作内で観測されていない裏設定もアニオリ設定も不要なら切り捨てるのは、原作者なんだからそれは自由であると。
だが必要なら引っ張り出して使う。これも自由。バーダックの場合はアニオリを使った部分と使わなかった部分が混在しているのだ。

フリーザの鎧

前回の記事で書いたことがもうひとつ。鳥山明が語った裏設定が公式媒体に採用される事例が出てきたことだ。
その原因として考えられるのが、フリーザの鎧の件ではないかという予想をここでしてみる。

復活のFを見た人の中にも気づいた人は多いだろうが、バラバラになっていたフリーザが第1形態の姿で回復した際に、変身前に壊したはずの鎧を着た姿だった。
これは実は鳥山明の出した設定に基づく。当初はあのシーンの第1形態フリーザは鎧を着ていなかったのだが(入場者特典でも鎧を着ていないフリーザが確認できる)、あの鎧は実は戦闘服ではなくフリーザ第1形態の身体の一部であり、自前なのだ。だからメディカルマシンで回復するといっしょに再生する描写に変更された。
ということを、鳥山先生以外誰も知らなかったとパンフレットで監督が語っている。別に演出ミスではないのだ。
いや、実は誰も知らなかったわけではないらしくて、復活のFより前に2013年のどこかのイベント展示で明かされた設定らしいんだけど、そりゃ知らないよ…
いやしかし原作でもフリーザの戦闘服は変身するときに伸びなくて壊れてる。ベジータの着てたやつと材質が違うことは原作でも描かれているとも受け取れるので、後付けじゃなく元からそういう裏設定があったのかも…
で、フリーザ軍の戦闘服が同じデザインなのは、フリーザを真似してるという理屈のようである。

この誰も知らなかった設定だが、つまり鳥山明は他にもこういう細かい裏設定をいっぱい抱えていると思われるわけで、細かい裏設定がどこかで語られると、読者でもあるゲームやアニメの作り手はすぐさま反映したくなるものでしょう?
原作者はMSVよりも絶対に強いんだ。
けど実際はアニオリより優先度の低い発言も入ってるかもしれないんですよ難しい!

破壊神ビルスというキャラクター

「神と神」と「復活の「F」」はMSV的な要素(つまりアニオリ)を完全に排除した映画であり、タイトルこそ「ドラゴンボールZ」だが原作の延長で制作されている。
作者以外もそういう意図でやってたと考えられるのは、復活のFの鳥山脚本だとブルマがフリーザの顔を知ってることになってたが(アニメ版ではフリーザを近くで見ているが原作では見てない)、映画ではその部分は修正されていた。ここにもアニオリに引っ張られてる疑惑。

復活のFは鳥山明が直接脚本を書いているが、「神と神」については、ストーリーを最初に書いたのは鳥山明ではない。
さっきのリンク先の対談でも触れているが、破壊神ビルスも本当の意味での鳥山明のキャラクターではなかった。もともとは「神と神」の脚本家の渡辺雄介が考えたものだ。
ビルスとはビールス、すなわちウイルスに由来する名前であり、初期脚本ではこれがウイルスのようにサイヤ人に悪の心を伝播したものであったらしい。
それを鳥山明が大部分直してしまい、さらに渡辺とも連絡を取りあい完成したのが今の「神と神」だ。 ビルスもビールになって、同じ系統の名前を増やしやすくなった。

のちに「復活の「F」新聞」のインタビューで、鳥嶋和彦が述べているが、初期脚本を読んだマシリト「大変申し訳ないけどダメで」鳥山明に見せることにしたと言っている。この脚本については、鳥山先生自身も直すことになって申し訳ないということを当時再三述べていた。
破壊神ビルスについても、サイヤ人との関わりが残っているところを見ると初期脚本の役割を少し受け継いでいるのかもしれないが、キャラクター自体は猫みたいな外見も含めてほぼ鳥山明のものだと言っていいだろう。
だが、それでも全てが鳥山明のものではないのだ。

鳥山明が語る裏設定には世界観に関わるものもあり、2009年の「超エキサイティングガイド」にも界王神や暗黒魔界についての重要な設定が載ってたりするのだが、破壊神や他の宇宙を想定させる設定は全くなかった。
現在のドラゴンボールで最も重要な神は明らかにビルス様であり、その由来は鳥山明の外部から来たものだった。
つまり、正史としての線引き、ゆずれない部分が意外にきっちりしてる一方で、外部の干渉は相変わらず柔軟に受けているということである。
なおこの超エキサイティングガイドの設定、サタンの本名とか、魔界王神の存在、界王神は生まれのみで決まるという制度については興味深いものばかりだが、現在も特に拾われている様子がない。暗黒魔界はトワとかの登場で世界観変わってきてるし、界王神はザマスの界王から昇格できる制度で消えた疑惑が…
だが鳥山設定だからといって消えることもおかしくはないのだ。

ブロリーとケール

鳥山明がどこまで考えているのかという部分を含めて、ドラゴンボール超の制作体制は割と謎なのだが、終盤に公開されたスタッフインタビューで少しわかったことがある。
クライマックスを迎える『ドラゴンボール超』宇宙サバイバル編を作り出した職人たち
ドラゴンボール超は最初に鳥山明のプロットがあって、そこから(おそらく東映サイド主導で)設定を膨らませていったりキャラクターを足したりしているようだ。ケールも東映のデザインしたキャラクターだった。
だがケールの後に鳥山デザインのカリフラが追加されていることから、東映が膨らませたプロット自体を鳥山先生がさらにチェックしているのだと思われる。
ケールはいろんな意味でドラゴンボールMSV最強の存在であるブロリーのコピーだが、鳥山明はこのキャラクターを肯定した。やはりブロリーが人気があるという事実自体は認知しているのだろう。自分でデザインしたブロリーに対する鳥山解釈がケールなのだともとれる。
ただしゲームに出てるケールの変身は「伝説の超サイヤ人」ではなく「暴走」とされている。現行の鳥山設定では伝説の超サイヤ人はゴッドであるようなので、これは鳥山先生というより作り手側の遠慮だろうか。

ドラゴンボール超とMSV

ガンダムのMSVは続編「機動戦士Zガンダム」の登場によりいったん幕を閉じた。
もちろんドラゴンボールのMSVに対するZガンダムに相当するのが『ドラゴンボール超』で、その基本はGTや映画版とはつながらない原作寄りの続編なのだが、アニメ版ドラゴンボール超は過去のアニオリ要素を拾える部分は拾っている。ブルマはフリーザを見たことがあったしギニューにチェンジされたことも覚えていた。
MSV的なものを切り捨てるだけでなく、時には大事にしていきたいという意識変化もあるのだと思う。ピッコロの免許回がいつまでも話題に上がる件とか。
また描写面でMSV側から反映されているひとつがケールで、もうひとつ挙げるなら完全にゲームオリジナルに由来するファイナルかめはめ波だ。
ベジットの最大技「ファイナルかめはめ波」は、もとはPSの「アルティメットバトル22」(95年)というゲームに登場したゴジータの技なんだそうだ。まだGTにゴジータが登場する前。
GTのゴジータはゲームを知ってか知らずか「ビッグバンかめはめ波」を使った。だからゲームでもゴジータがファイナルかめはめ波を使うことはなかったが、いつの間にかベジットの技として復活し、やがて原作技を差し置いて、(100倍)ビッグバンかめはめ波と同等の究極技に格上げされていった。技といい色といい、ゴジータベジットの対比が自然にできていった感じが面白いが、これがアニメに出るほどまで格上げされたのは驚いた。
この技が放映されて一ヵ月も経たないうちにゲームに出てたりしたのはもっと驚くべきことだ。ドラゴンボール超とゲームの連動は異常な速度でやられており、まあそのせいで急いで出したジレンの描写が反映しきれずゲームで残念な扱いを受けていたりするが、とにかく速ぇんだ。
もうMSVというか、ゲームと連携するのは普通なのだ。

ドラゴンボール超には漫画版が存在することも見逃せない。
こちらはアニオリ要素を拾わないようにしている模様(グレゴリーがいない)。こちらが原作の続きなのかというと少し微妙だが、原作寄りになっていることは間違いない。
この漫画版とアニメ版も連携している。アニメ版は未来のマイが若返っている経緯など説明を省略している箇所があるが、これに漫画版で理由を説明するというやり方をしている。
また漫画で出た超サイヤ人ゴッドへの単独変身がアニメに反映されたりもした。パラレルだけど相互補完する関係で、両方目を通せば理解が深まる。
漫画版にもベジットが登場してファイナルかめはめ波を使っている。なんでもベジットは鳥山原案段階では存在しなかったそうであるが、ザマスが合体するプロットからベジットも出そうとなったそうで、それを提案したのはとよたろうのほうなんだと(このことから、どうもアニメ版のシナリオもとよたろうが関わった部分があると考えられる)
ちなみに唐突に出てきたポタラの制限時間設定も鳥山原案段階にあったもので、界王神ではないザマスは合体を維持できないので時間を稼ぐというプロットだったという。この経緯は漫画版巻末に書いてあるが、そりゃあポタラの合体が制限ついてるなら軽率に使いたくなるのがファンの心理であろう。アニメ版では結局ザマスのほうではなく、ベジットのほうにしかこの設定は適用されていなかった。
このように「ドラゴンボール超」は漫画とアニメで本格的にパラレルワールドをやりながらひとつのストーリーを作っているのである。並行し、ゼノバースのようにパラレルワールド自体をテーマにする作品も登場するようになった。

・幼年ベジータの髪型

漫画版超の話で思い出したのでここで書いておくが幼年期のベジータの髪型は現在二種類ある。
最初に幼年ベジータが登場したのは「たったひとりの最終決戦」で、現在のベジータより前髪の量が多い。しかしそのあとで原作にサイヤ人は生まれたときから髪型が不気味に変化しないという設定(ハゲることはあるらしい)が出た。これに基づき、だいぶ後の「神と神」では戦闘服が「たったひとり」ベースながら髪型が現在と同じ幼年ベジータが見られた。
ジャコの幼年ベジータも現在の髪型なので、現在の鳥山的正解はこっちなのかと思えるのだが、これが「ドラゴンボール超」でも神と神の描写に基づきながらも前髪つきになっていた。デザインが戻ったのだ。
これは鳥山チェックがされているはずの漫画版「ドラゴンボール超」でも戻っている。ここは原作寄りのはずの漫画版でもアニメ版準拠になっており、珍しい描写である。
そんなわけで前髪派のほうが優勢らしい。

・18号の髪の色に見る鳥山先生の記憶力

これはだいぶ前に別の記事で書いたけど、神と神の初期キャラデザイン。

18号

18号さんの髪の色がおかしい(他のキャラもおかしい)
これが載った「神と神オフィシャルムービーガイド」のインタビューでも、色間違えてたキャラクターがいたと鳥山先生は語っており、公開時までにみんなおなじみの色に直ったわけであるが、宇宙サバイバル編のジャージ18号の鳥山デザイン見たらこれと同じ銀髪になってたんですよね…
いくらなんでも忘れてるわけない、というか忘れたとして2回とも同じ色に間違えるのは何かおかしくないか。
もしかして鳥山先生の「忘れてた」「こだわってない」は、実は知らん振りして変えようという意図もあるのではないのか…?
だとすれば、鳥山明は狡猾かもしれぬ。
考えてみれば「神と神」以降、特定のアニオリと矛盾するような描写が幾つかあったような…GTとつながらない部分は意識せずにやってるんだと思ってたけど、「知らない」「忘れた」と言い張って意識的にやってる部分も、もしかしたら…?
鳥山先生がトランクスの髪を水色で描き続けたことにより未来トランクスは過去にない水色になり、そしてアニメのシナリオも折れて人造人間編の頃から水色でしたよ?ということになってたが、このようなことは今後も起こるのかもしれない…こういうことができるのが原作者の力ではないだろうか(18号さんの髪色を変えるのは原作者の力を越えているのでできない)

・MSVと原作者のせめぎあいから

21世紀のドラゴンボールがやってきたのは、かつて機動戦士ガンダムがこだわってやったのとは違う、安易なMSV展開だった。それは安易であったがために続けやすかった。
長々と書いてきたが、こうして振り返ってわかるのが、ドラゴンボール超も急に発生したわけではないことだ。バーダックのアニメ作るところまで追い詰められたからこそ次の展開があったのだろう。
適当さとこだわりの混在する原作の懐の広さも重要だった。ドラゴンボール超は劇場版やゲームの設定を積極的に拾ってこそいないが、その影響はしっかりと生きたものであり、これまで積み重ねてきた外部展開があったからこそ新しい原作となったのである。
しかも、原作者の意向が優先される独立した一本の新作でもあるので、そこまでの積み重ねを知っていなくても楽しめる。
原作者自身も原作以外のものに影響を受けているし、安易なMSVは切り捨てても構わんという思い切りの良さが作り手にも受け手にも共有されている。
かなりギリギリのバランスであるが、結果的にうまく行っていると思う。けど少しでも制御を失敗すると…怖いかもしれない。
これは真似しようとしてできることではない。ドラゴンボール超は不満もいろいろあったが、終盤の異常な盛り上がりも含めて全体的に見ると本当にすごいことをやっていると思ったが、やっぱりまだ危うさが感じられないと言えばウソになる。

いま改めて、アニメを作り慣れてきたかもしれない原作者が自分で脚本を書くとどうなるのか、そういう危ないところも含めて映画楽しみにしてます。
あと監獄惑星編も結構楽しみにしてる。