神殿岸2

2と言っても実質1.5みたいなもの

FF2の開発資料を追う・フリオニールとは何者なのか

FF2の話をしたい。

いつにも増して、関係者に失礼な記述が含まれているという自覚があります。
あらゆる資料を精査して書いていますが、その結果憶測も非常に多い記事となっております。
事実誤認などがありましたら伝えてください…

これまで書いてきた4つの記事と関連はあるが、とりあえずひとつ。

読まなくても大丈夫ですが、このFF1の開発経緯を調べた記事は、FF2の補足情報としても役立つ可能性はあります。

そして今回FF2本編、および小説ファイナルファンタジーII 夢魔の迷宮』のネタバレも最後のほうまで書いてます。ご了承ください。
ラスボスが誰かくらいは、まあ知ってるでしょうが。

スタッフロールを確認

前作と違い、FF2はファミコン版にもスタッフロールがある。
本作のデバッグ作業で活躍した時田貴司がクレジットされておらず、完全なものではないのだが、メインで関わった人は一通り掲載していると思いたい。

プランナー職と思われるのは以下の4人。前作FF1の中心にいた4人が全員続投している。

GAME DESIGNとして
HIROMICHI TANAKA
田中弘道)、AKITOSHI KAWAZU河津秋敏)、KOUICHI ISHII石井浩一)の3人。

DIRECTOR
HIRONOBU SAKAGUCHI坂口博信)。

ディレクターの坂口博信がチームのリーダー。そして「ゲームデザイン」が3人もいて、これでは誰が何をしたのか全くわからない。

表記上のシナリオ担当は寺田憲史のみである。だが当然そんなはずはない。
寺田氏の立場は前作と同様、スクウェア側から出たプロット・アイデアをもとに執筆している可能性が高いと、今のところ考えられる。
ただし、クリスタルの登場については寺田氏の意向が強いことが、今回いろいろ調べて確認できた。
…いや、FF2にクリスタルなんてあったか?


この謎を解き明かしていこう。

河津ゲーらしいという話

FF2が実質サガのプロトタイプであり、河津秋敏のカラーが強く出ているというのはユーザーだけなく、関係者の間でも共通の認識だ。

隣で『半熟英雄』を作っていて、末期にデバッグで活躍した時田さん。デバッグ以外も一部参加している可能性あり。
>まあ『FFII』は『FF』という名の『サガ』シリーズなんですが(笑)。

スクウェア最初期のメンバーであり、FF2のゲームデザインのトップにクレジットされている田中さん。
>あと、『FFII』は河津(秋敏)さんらしいストーリー寄りのものでした。

>『FFII』ではシナリオイベントと熟練度システムのバトル周りを河津さんに任せていましたが、

>河津さんがストーリーを構成すると、かなり癖が強い感じになるからストーリー寄りの印象が強くなっちゃうのかもしれないですね。

田中氏から見ても河津カラーが強いのだ。

チームのトップだった坂口博信
>『II』は河津(河津秋敏氏。坂口氏とともに『FF』、『FFII』を制作後、『サガ』シリーズを生み出した)が作ったからね(笑)。

それあなたが言っていいんですか。

ロマサガにつながる成長システム、熟練度システムから、バトルの河津カラーが強いのは明らかではあったが、どうやらシナリオも河津作だと考えられている。サガ1と文体も似てるし。

だが当の本人から出ている情報を見ると、必ずしもそうではないことがわかる。

最重要動画

この8時間の動画が今回最重要資料のひとつなので、とりあえず視聴しておいてほしいのだが、4時間56分ごろから始まる河津秋敏渋谷員子の登場パートだけでも50分くらいある。
見る余裕があるなら実際に見てもらったほうがいいのだが、必要な部分は抜粋していく。(以下これを「FFポータルの動画」とする)

シナリオについて最も重要な発言は河津パートの序盤、4:59:37ごろに出てくる。
シナリオは河津さんかと聞かれて
「そうですね。原案みたいな形で自分が書いて、あとで坂口さんがまあリファインして、まあ石井くんと全体の流れを作って、って形でしたね」
河津原案を一度坂口博信が直し、それを石井・河津の二人で仕上げたというのだ。
だから最終段階で入っている河津カラーは強く出ているが、純度100%ではない。
特に石井浩一の存在は強く関わってくる。このことについて周囲の言及は見当たらないのだが、シナリオ書いたと周囲に思われてる河津本人が言ってるんだからそうなのだろう。

この他に今回の記事に関わる情報は以下の通り。

5時間0分あたり(上記の続き):
ストーリーを入れてドラマチックにしていきたいのは、坂口田中河津石井の全員共通認識だった。
キャラクターの名前はだいたい河津さんがつけた。
全員がバラバラに話を作っていたが河津案が通った。
FF2は88年の年明けから9ヶ月くらいで完成、8月あたりにはほとんどできていて、デバッグのためにスタッフはナーシャのいるアメリカに行ってた。

5時間5分あたり:御徒町スクウェアの狭い開発環境について。渋谷さんのいた場所のすぐ後ろが坂口さんの席だった。

5時間11分あたり:
海賊船のイベントの動きを河津さんが削って、そのぶんの容量でテキストを追加した。そのイベントを作ったのは坂口さんで、勝手に変えてたら気づかれた。

このほかに、石井氏の描いたイベント絵コンテも紹介。
他にも面白い話がいっぱいあるので、できれば見ておいてほしい。
河津パートのほか、1時間59分ごろからの時田貴司のパートも注目。
FF2末期はメインのスタッフがナーシャを追ってアメリカに行ってしまったので、このときデバッグ部隊を任された時田氏は音響カプラという装置で国際電話でプログラムを送ってもらっていたんだと…

ちなみに4時間59分あたりでヒルギガース2体歩いてたのを自分で勝てなかったのでやめたと神は言ってるが、ディストに2体出るのは製品版でも直っとりません…

プランナーたちの担当範囲

というわけで、バトル、シナリオともに河津作というのが広く言われている情報。しかし石井氏が関わってるという情報が出てきた。
石井氏のインタビューや開発資料を確認してみると、ストーリーとバトルシステムにも関わっていたことを示す情報は実際見つかっている。

週刊ファミ通 2020年12月31日号。サガ30周年フィナーレ特集で河津秋敏石井浩一の対談。22ページの石井氏の発言。

>あのころ、新しいことをガンガンやりたかったんだよね。だから『FFII』も試したかった熟練度制を入れたし、河津さんは『スター・ウォーズ』のようなシナリオをやりたいと言ってた。

また別の本『ファイナルファンタジーレミニセンス』(2008年)の181ページの石井浩一のインタビュー。

>『II』のときは河津さんとふたりで練り込んでいました。「経験値をなくしたいよね」なんて話をして。でも要は「思いっきり変えたい」というのが大きな目標でした。

>物語は『スター・ウォーズ』好きの河津さんがそれになぞらえたものにしていましたが、

自分発案という明言でこそないが、あのゲームシステムは石井・河津の二人の協力によるもの。熟練度制は河津だと言われるが、石井浩一も支持したシステムなのだ
そういや聖剣伝説2が熟練度システムなのも石井氏の意向が強いようだ(週刊ファミ通2018年3月1日号)。話はつながっている。
一方、ストーリーに関してはやはり河津カラーが強いというのが石井氏の認識のようだが、絵コンテは現認されており、その影響が残っていることも確認できる。ともかく石井氏のFF2での担当はゲームデザイン、つまりゲーム全体に関わっていたと考えられる。

このほかに、坂口博信もシナリオで何かをやってるのだが、あまり情報がない。海賊船のイベントが坂口作だということだけがわかったが、この情報源は動画の河津発言のみ。
本人のFF2についての発言はほとんど見当たらない。

残る田中弘道は2でもゲームの設計担当、プログラムの指示者であり、シナリオに直接参加していた情報はない。バトルシステムも河津担当。
しかしバトル画面の設計などは田中さんが担当したようだ(これもファイナルファンタジーレミニセンスの田中インタビューにある)。ストーリー本体への関わりは薄そうだが、容量の配分や、イベント関連プログラムの構築には田中さんも関わっていたと思われる。

ところで寺田憲史はどこに関わるんだ…?

石井浩一の絵コンテ

FF2ではチョコボを描いたことで有名な石井浩一氏だが、グラフィックのスタッフではない。石井氏のキャリアの中でも、絵の専門で参加した作品はFF3のみのはず。
そのFF3で、バトルキャラクターのドット全部担当というすごい仕事をやってるのだが。
本来の石井氏の役職はFF1の頃から絵を描くタイプのプランナーであり、デザインもドットもその頃からやっているが、ゲームシステムやシナリオも担当していた。
FF2の後、聖剣の前にはサガ1でもシナリオで参加している。
つまり、FF2とサガ1との文体の類似は河津カラーだけでなく、石井カラーも強く出ていた可能性がある。

ポータルの動画に映っていた石井氏の絵コンテ。実現できなかったようなことを言ってるが、右側は地下牢にポールが助けにくるシーンの原型だ。
部分的に使われたものもあるのだ。

渋谷さんが持ってる左側の図が実際のゲームでは使われなかったもので、これはFF2のプロトタイプとして別の本にも掲載されている。

ここで第2の重要資料。

この25thアルティマニアはFF1から6の開発資料が掲載されている超重要資料。これを読まないと話にならないので絶対に買って読んでください。リンク先はBookwalkerだけどkindleでも実本でもいい。図書館にはないと思う。
本書掲載のFF2開発資料、上記のポールのイベントは未掲載だが、石井氏の他の絵コンテは一部掲載されており、実際にゲームで採用されているイベントの原型になっているものもある。
石井氏が絵コンテなどで考えたイベントシーン、完成版のシナリオにまとめる段階で部分的には実装されていた。
そして、しばしばフリオニールが妙に軽い発言をするの、あれ石井氏のカラーだという感じはかなりある。絵コンテだとゲームに出てこないもっとおどけた、ギャグっぽいセリフもあった。
このノリから繰り出されるシリアスなストーリー、FF2こそ実は『聖剣伝説』につながる作品でもあったのだと…
そういや変な断末魔は聖剣伝説にもあったが、あれももしかして…?

石井氏は絵コンテをやっていたが、グラフィックについてはチビキャラの一部が判明しているのみ。FF1では味方キャラクターのデザイン、ドットの原型を手掛けた石井氏だが、2でそれらをやってたという情報はない。
基本的にFF2のキャラクター関連は渋谷員子さんの作だと思われるが…未確認。
グラフィックスタッフはもうひとり「たなか りょうこ」さんがクレジットされており、分担は不明。
あと時田貴司のインタビューにFF1のアダマンタイマイを描いたという発言があるのだが、たぶんFF2の間違いだと思うが…デバッグ以外も手伝ってたのだろうか。

渋谷員子フリオニール

25thアルティマニア81ページの絵コンテ、冒頭のフリオニール復活シーンが掲載されているが、ミン・ウのデザインが1の白魔導士(上級)のほうになっている。フリオニールはもちろん戦士。
天野デザインができる前の仮キャラクターはFF1のもので進めていたことがわかる。

フリオニールが戦士であること、渋谷さんも言及している。

ファミ通2021年12月30日号86ページのインタビューで、フリオニールが戦士である理由について「本当になぜそうしていたのか、わからなくて。ぜんぜん覚えていないんです。当時のメンバーの誰にも指摘されていないし、」とのこと。

こちらの動画でも、22分30秒あたりからフリオニールの話をしてる。それぞれの言い方からすると担当は渋谷さんのようだが…
実際、動画でも言っているがハードの制約にしてはおかしい。顔を戦士と変えてみたり、髪を白にするなどの調整もできそうではある。

※ちなみにこの動画、ひとつ不正確な情報があり、3の竜騎士が黄色かった経緯をパレットの都合としているが、その前に言っている通り渋谷さんは3のキャラクターは描いてない。
思うにパレットの都合でリチャードを黄色くしたのが渋谷さんなのではないかと思う。リチャードはメニュー画面では青紫で、フィールドでは白で(リチャード以外全員「しぼう」させると確認できる)、全部バラバラなのだが、3の竜騎士が黄色いのは戦闘中のリチャードをベースにしたアレンジであり、それを選んだ石井氏の考えはファミコンの都合以外にもあると思われる。

また開発資料を見るにリチャードの名前が決まったのは開発のかなり後のほう。天野喜孝の絵とゲームでデザインが違いすぎるのも気になる。
仮説だが、天野デザインが他のキャラクターより遅いとかの理由があって、ゲームに反映されてないのかもしれない。

あと、このレオンハルトと戦ってるすごい顔の人、味方用のデザインと思えないんだよな…
これはTCGなどでも明確にリチャードということになっている が、前から気になってはいた。
リチャードのデザインには気になる点は多いということで。

フリオニールについてはまだ情報がある。
25thアルティマニアの77ページを見てみるとほぼ製品版と同じキャラクターのドットがある。
同じものはFFポータルの動画でも5時間3分ごろ、渋谷さんが持ち込んだものが見れる。

おおむねゲームと同じ、天野デザインに準拠した完成品になっているが、よく見るとフリオニールはゲームと違い、レオンハルトの色違いだ。というか、レオンハルトのほうがフリオニールの色違いだったのか?
フリオニールはこのドットができた後でFF1の戦士に寄せられた、ということなのか?

フリオニールが戦士のデザインになった経緯、フィールドキャラとの整合性とか、単純な理由ではないのかもしれないが、石井コンテでFF1戦士で進行していたことも無関係ではないようには思う。

坂口博信のやったこと

2000年代の坂口博信のインタビュー、『ゲーム・マエストロ〈VOL.1〉』(2000年)や『ゲームの流儀』(発刊は2012年だが2005年のCONTINUE誌のインタビュー)で言ってるのだが、坂口博信はイベントを直接作れるようになったのはFF3からだということだ。
プログラム段階でスクリプトのような仕組みを作ってもらい、プランナーがデータをいじって直接イベントを作れるようになったのだということを述べている。
それまでは坂口博信はナーシー(ナーシャ)ら、プログラマーに頼んでイベントを作ってもらっていた。

さてポータル動画、船のイベントの件より、河津氏が既にファミコンプログラムを扱えるようになっており、イベントを直接いじれたことがわかるが、そのイベントは坂口さんが作ったやつだとも言ってる。
スクリプト的な仕組みが本当にFF2になかったのか、坂口博信がその仕組みを利用できてなかったのかは疑問があるのだが、坂口さんが3からだと言ってるのは確かであって、今のところは坂口発言を信用しておく。
坂口博信も一部のイベントに関わってる可能性が高いが、そうたくさんは作っていないのだろう。

こっちの動画では珍しく坂口博信本人がFF2の話をしてる。
16分46秒からのFF2の話でわかるのは、

  • FF2は河津に投げた自覚がある
  • ストーリーを河津が書いてたというイメージは坂口博信にもある
  • フリオニールは河津の考えた名前だとは思ってる
  • ラミアクィーンのイベントを作ったのは河津ではなさそう
  • 坂口博信もシナリオで何かした記憶自体はあるっぽい

この動画の坂口博信は、FF2に関しては全体的に明確な記憶がなく、あやふやである。
そしてラミアクィーンのイベントを坂口博信が書いていたとは思えないのだが、イベント関連で何かを書いてた記憶自体はおそらくあるのだ。
河津秋敏にあれが書けなかったかはともかく、ああいうのは石井浩一の作なら違和感はない…か?

チョコボ誕生の謎

坂口博信の仕事がいまいちわからない中で、もう一つ関わっていた可能性が高いのがチョコボのことだ。
FF2のチョコボについて、二つのインタビューがある。

ファイナルファンタジー 20thアニバーサリーアルティマニア File 1:キャラクター編』52ページに、チョコボの生みの親としての石井浩一のインタビューが載っている。FF1の頃から相棒となる動物を出したいと思っていた石井氏、FF2開発中のある日の昼休みにクエックエッと森永チョコボールの歌を口ずさみながら10分ほどでドットを完成させた。
その場でチョコボと名付けた鳥を坂口さんに見せたが、「反応はいまひとつ」だったそうである。最終的にはゲームに出してもらったが、単なる乗り物としての扱いは石井氏にとっては不本意なものであった。
本来の石井氏の思い描いた相棒としてのチョコボは初代『聖剣伝説』で表現され、そしてFF5へと受け継がれたのである──

だがこの話にはひとつ大きな謎が残る。10分で描かれた鳥を、結局誰がゲームに出したのか?

13年後の全く別のインタビューにヒントがあった。

チョコボが"Ostrich"と書かれてる仕様書の話を、松井聡彦が河津秋敏に尋ねている。どうも田中さんが担当していたと思われていたのだが、田中さんもこのOstrichについては記憶になかったようなのだ。

>河津 僕もチョコボが“Ostrich”と書かれている仕様書は持っているけれど、もしかしたら説明用に坂口さんがリライトしていたのかもしれないね。

当事者も完全に知らない事実が出てきたわけだが、これを前の石井浩一のインタビューを結び付けると…
相棒ではなく乗り物としてのチョコボの仕様を考えて、プログラムの指示書を書いたのは、反応がいまひとつだったという坂口博信その人なのではないか…?
考えてみれば、FF2は船や飛空船のBGMも削られているのに、シナリオ上なんの必然性もなく置かれているチョコボには専用のテーマが用意されている。これは誰かが植松伸夫に発注しているはずなのだ。坂口博信にはその権限はあっただろう。

ともかく坂口博信も限定的にプログラムに関与していた箇所はある、という感じ。まだ情報不足の箇所もあり、断定もできないが。当事者も知らないんだから…
実際、相棒とはまた違う、乗り物としてのチョコボもFF世界の構成には大いに役立っており、以降は欠かせない要素となった。これを実装に動いた何者かの偉大な功績と言えるだろう。誰なんだろう…

寺田憲史についての情報

シナリオの寺田憲史については、以前の記事と重複するが基礎情報から確認する。

FF1の世界観等の原案はスクウェア側から出てきたものであることは寺田氏の著書『ルーカスを超える』にも明記してある。
この体制は2や3においても変わっていないと考えられる。

  • 寺田氏はFF2の開発現場をどうやら訪れていない。

これは小説『夢魔の迷宮』のあとがきからわかる。
FF1時代、銀座のスクウェアを訪れた寺田氏、「Mr.サカグチ」のほかタナカ、イシイ、アオキなど主要なスクウェア社員と会っていることを書いており、一度は現場に顔を出していたことがわかる。
寺田氏は出会ったひとりひとりのスタッフをよく見ており、総務の人の名前まで覚えていた。しかし、中にはFF1関係者じゃないと思われる人も混ざってる。

その後、FF2後の忘年会で、「新しい若いスタッフ」と会ったことを書いているのだが、ここで寺田氏が書いているのが「Mr.ヨシイ」「Missシブヤ」「Mr.作曲男」と、全員FF1の頃からいたメンバーだ。
寺田氏の記憶力が良いことはこのあとがきだけでもはっきりしており、彼らと忘年会までに会っていたら覚えていたはずである…
そして「明るい理科系のインテリ会話には、最後まで混ぜてもらえなかったが」と書いており、これがたぶん河津秋敏の気がする。

特に御徒町に移転したこの88年のスクウェア、渋谷さんは狭い空間でFF2のプランナーたちのすぐ隣の席にいたはずで、寺田氏は御徒町時代の開発現場を見ていない可能性が高い。
おそらく寺田氏については坂口博信など一部のスタッフが外部で対応していたのだろう。そのやり取りの頻度まではわからないが、FF2の現場は坂口博信の作ったイベントだろうとその場で直されていく修羅の国だったわけで、現場にいなかった寺田氏の関わりはさらに限定されたはず…

著書などから、寺田氏はFF3のコミカライズ『悠久の風伝説』まで坂口博信とは十分やりとりをしていたようだ。だから完成したシナリオとは別にアイデアなども届いていたかもしれないが…その坂口博信自身もどのくらい関与してるかわからないのがFF2だ。

だが、寺田氏がFF2でも一定の関わりがあること、それ自体は疑いようがない。

  • クリスタルを重視していたのは寺田憲史である。

これはかなり信ぴょう性の高い情報

あらためて、寺田氏の著書『ルーカスを超える』(2000年)の159ページから161ページ。FF1開発中、まだ続編を出すことに否定的だった当時の坂口博信に対し、寺田氏はストーリーもキャラクターも違っていいが、何かキーになるものが出るようにしてシリーズ化しようという提案をしたという。
>たとえが悪いが「寅さん映画」なら必ず「とらや」が出てくるようなものである。
この方法でシリーズとしての体裁を保てると考えた寺田氏、坂口博信もこれには大賛成だったという。そして、FF1のゲーム素材から寺田氏が見いだしたのが「クリスタル」だった。これが続編にも登場し、ストーリー上、重要な意味を持つようにしようと。

これが寺田氏主導であることの裏付けとして、寺田氏はファミコン通信1988年9月2日号(17号)でもクリスタルについて同じことを言っている。詳しくは後で書く。

  • 寺田氏は既にゲーム理解を深めつつあったこと。

これも意味のある情報。FF1の依頼を受けた時点ではゲームに詳しくなかった寺田氏だが、この88年には既にドラクエ3もやっていたことをファミコン通信で述べており、当時の代表的なRPGのスタイルも既に把握していた。
寺田氏がFF2に参加した88年の前半だと、まだわからないが…

  • 寺田氏のシナリオは手書き原稿である

著書『ルーカスを超える』にはFF2の話は全く書いてないのだが、120ページにFF2のシナリオ原稿の写真だけは掲載している。原稿用紙に手書きであった。
これは後に公開されるワープロ書きの開発資料が寺田作でないことを意味する。

これで寺田氏の担当範囲はわかるだろうか。
おそらくはFF1と同じ、ある程度でき上っていた河津らのシナリオに対し、脚本家としての仕事をしたのだろうと、そこまでは難しくない想像なのだが…
クリスタルの件から、それがどの程度反映されていたのかという疑問が出てくる。どうもFF1や3と比べて2のほうが寺田カラーが薄いのではないか…?

25thアルティマニア 開発資料の変遷を追う

以上の河津、石井、坂口、寺田の4名の関わり方を踏まえて。
原案、特にキャラクター名が河津作であるという情報をもとに、25thアルティマニアの開発資料を精査してみたい。
もちろん、必要な部分は引用していくが、全部抜き出すわけにはいかない。
25thアルティマニアはFF2のみならず、FFシリーズの開発経緯の調査では必読の文献である。野村さんや渋谷さんの描いた原画もいろいろ見られるすごい本なので、繰り返すがこれは絶対に買っておいてほしい。

84~85ページ「プロトタイプ版の企画資料」

バラバラに作っていたというポータル動画の情報通り、作者名は明記されていないが本書には河津作と思われるものと、石井作と思われる資料の2種類のプロトタイプが掲載されている。

このうち84ページにある「あらすじと登場人物」が最初期の河津案だろう。ワープロ書きの原稿2枚。
アルテア国で起きつつある後継者争いに乗じて、隣国イルードが動き出すという世界の状況を説明したもので、その人間たちの争いの裏で、数百年前に倒された悪竜グウェインの娘ドールが魔物の勢力をまとめ上げていた。
書かれているのは状況の説明のみであり、ストーリーはできていないが、複雑な展開を予感させる内容。
現在のFF2と全く違う内容だが、固有名詞のみ現在と同じものが登場している。
シナリオの終了条件は、ドールの死によるモンスター軍の敗北、または人類の国の滅亡となっている。
状況を左右する善悪のパラメータ、時間経過による物語の変化といったゲーム的な仕組みでストーリーを表現する案が検討されていた。わずか2枚の用紙にゲームの姿を想像させる壮大な内容が詰め込まれている。

このプロトタイプが河津作であることは確実だアルティマニアでも指摘されている通り、アイデアとストーリーの一部がロマサガシリーズに直接使用されている。
そして役回りは違うが、キャラクター名も大半出ている。名前が河津作であるとするポータル動画の情報とも一致する。
その中にはグウェインを倒した伝説の英雄フリオニールの名もあった。
そしてもう一人の重要人物がフリオニールの仲間の魔道士アイル。数百年前の人物である彼女も何らかの形で物語に関わる案だったようだった。

このプロトタイプは、キャラクターと国の名前以外はFF2にほとんど受け継がれていない。残っているのは国家の対立がテーマに含まれること、あとはポール、レイラ、ミン・ウあたりはキャラクターの原型ができていた。
だがストーリーもゲームシステムも基礎部分から現在と違うものが考えられていた。ガイとマリアの名もまだなく、リチャードやレオンハルトの名も出てくるが別人。ヒルダも王女ではなく、女騎士となっている。

もうひとつ、同じ84ページから85ページにかけて、石井浩一作と思われる手書きのプロトタイプ資料が掲載されている。石井氏が別のインタビュー(20thアニバーサーリー アルティマニア キャラクター編の76ページ)で言っていた、ジャイアントビーバーに変更されたモーグリのドットなどを掲載。
ドット絵の出力日は1987年12月18日で、FF1の発売直後だ。河津氏は『中山美穂のトキメキハイスクール』を終えて年明けからFF2にかかったということであるが、石井氏は先に動いていたようだ。

こちらのプロトタイプでは人間の主人公と出会う4つの異種族、クライオン、リューバイン、シニディシアン、シャルガグが登場し、彼らとの交流を行う内容が考えられていた。ドットも4種族全部描かれている。
設定は採用されなかったが、白い毛皮のクライオンのドットは描き換えられてジャイアントビーバーになり、FF3では少し修正されて正しいモーグリとして復活した。石井氏はモーグリを小学生の頃に考えたものだとしており、クライオン自体がどうやらその転用なのかな。
インフラビジョンを持つシニディシアンは、南の島の仮面の一族として再利用された。

アルティマニアにも書いてないが、リューバインシャルガグのドットも聖剣伝説で再利用されている。

ゲーム内でも関連書籍でも一切説明がないが、ときどきいる獣人っぽい商人がリューバインのドットの再利用。
リメイク版ではワーウルフの亜種のデザインになってるが、FF2のプロトタイプ資料には「ワァーウルフを憎む」という記述があり、原型は違う種族だったか。

初代ボンボヤジは、シャルガグのドットの色変え。

このほかに、石井氏が絵で書いたイベント案も掲載している。聖剣伝説に出てくるような立体的な地形や仕掛け、またスプライトの操作やパレットの変更など、実現はしなかったがファミコンの機能でもある程度できそうな演出がイメージされていた。
また84ページにはシニディシアンの仮面など、アイテムの案とイラストがあり、一部はFF2の完成版にも影響を残していることがわかる。
この中にはチェスのコマに変えられたお姫様というアイデアが出てきており、これが次の資料に関わってくる。

82~83ページ「ストーリーの初期プロット」

もう少し後に書かれたと思われる、STORY.DOCというファイル名のワープロ書きの資料が掲載されている。出力日は「Fri Mar 11 10:55:06 1988」(1988年3月11日)。
以下本記事ではこれを「3月プロット」と呼ぶ。

内容は現在のFF2の原型が半分できかけているくらいの状態。
冒頭で帝国のボーゲン伯爵との戦いに倒れる4人の若者。
フリオニール、マリア、ガイの3人はフィンの王女ヒルダに救われるが、レオンハルトの姿はなかった。
こうして反乱軍に加わったフリオニールたちの冒険が、皇帝を二度倒すところまで書かれている。
既に帝国が登場し、スターウォーズ類似の内容になっている。だが最初にディストに行って飛竜オパールを仲間にする、竜騎士本人は出てこないなど、完成版との相違点も多い。また内容に未完成な点が多く、紹介だけ書いてあって出番の決まっていない人物、今後書き足していく内容の展望などが書いてある。
ラスボス復活の流れもゲームと同じで、「究極のパワーを身に付け」など残ってるセリフもあるが、このプロットでは最後に究極魔法を取ったところでいきなりラスボスに勝利して終わっている。

>皇帝が魔物となって復活し世界を脅かしているのを知ると、ミン・ウはついに魔道士の塔の封印を解くことを認める。
レオンハルトを仲間に加え、究極の魔法を手に入れて皇帝を本当に倒す。

ラストバトルはこんだけしか書いてなかった。もちろん、これからラスダンなどを盛っていくつもりだったのだろうが。

マリアとガイの人物像もできていない。フリオニールレオンハルトの両親に育てられたという現在と同じ設定が書いてあるが、マリアはまだレオンハルトの妹ではなく、ガイも魔法が得意な冷静な男となっており、野生児の設定はまだない。
小説仕立てになっていてセリフが多いのも特徴。フリオニールのセリフも多い。

そして、このバージョンが寺田憲史夢魔の迷宮』と最も共通点が多いのだ…

このSTORY.DOCは、文章の様式がプロトタイプと一致している(見出しを「*******」で区切っている)ことから、河津主導で書かれたものと思われる。文体もなんとなくロマサガに似てる。
しかし、出力したプリンタはプロトタイプと違う。
また石井浩一の企画書にあったチェスのピースになった王女のアイデアが、人間チェスのクィーンがヒルダになっているという形に変わって使われている。だからこの3月のプロット、全体としては河津作の可能性は高いが、書きながら石井氏ら周囲の意見も取り入れているはず。
またワープロのファイルくらいチーム内で共有していただろうと想定できるので、純粋な河津作と断定もできない。石井くんと流れを作ったという発言もあったし、坂口博信だって手を入れているかもしれない。

81ページ ストーリー進行概要

81ページの資料は、ゲーム上必要なイベントを並べたもの。
出力日は不明だが、3月プロットよりも実際のゲームに近い内容であり、もう少し後に書かれていると思われる。イベントの簡単な内容が書かれているのみでセリフなどはないが、内容は製品版と大部分一致している。一部の固有名詞やイベントの内容が少し違う。
その少しの違いに見過ごせないものがあるため、それほど開発後期のものでもなさそうだが…

製品版との主な違い

  • 王女の名前がシンシアに変わっている。ヒルダが別のキャラクターとして序盤に登場。
  • ゴードンの兄はまだ登場しない。フィン城の地下のダンジョンで反乱軍と会うことになっている。
  • 仮面関係のエピソードがない。
  • 竜騎士は加入するが名前がない。
  • 飛空船の入手時期が竜巻前。パラメキア城へはガイの育ての親のモンスターに案内されて「パラメキアへの洞窟」を経由する案だった。

このあたりがゲームとの重要な差異。登場するダンジョンが確定してないくらいの時期なので、そこまで後期の資料ではないと考えられる。
ガイの野生児設定は、ここまでの段階でできたようだ。

80ページ 主要登場人物の一覧

登場人物の細かい解説と、ゲーム中の役割を説明する文書。だいたい製品版と同じだが、製品に使われていない裏設定も書いてある。

進行概要との違いは

  • ヒルダ」がいなくなっている。王女の名前はまだシンシア。
  • カシュオーンが「グラーン」に変わっている。

この2点が重要。竜騎士にはまだ名前がない。
またこれまでの資料にも存在だけ書いてあったゴードンの兄の名が初めて登場するのだが、本人がゲームに出る記述はなく、名前も「ライサンダー」になっている。
ヒルダ」がいなくなっていることから、こちらが進行概要より少しだけ後に書かれたのかと思うが…

流れを整理すると、3月プロットの時点でカシュオーンの名はあったが、ここで一度グラーンになった後で製品版までにカシュオーンに戻ったようだ。
また王女ヒルダもどこかのタイミングでシンシアになってから、ヒルダに戻っている。もともとプロトタイプで女騎士の名前だったヒルダ。3月プロットでは王女であり騎士でもある人物として採用されたものの、おそらく女騎士のヒルダと王女シンシアに分離して、そしてどちらも消えて王女ヒルダになったのだろう。
どこのタイミングで?

夢魔の迷宮と開発資料の比較

角川スニーカー文庫 寺田憲史ファイナルファンタジーII 夢魔の迷宮』は1989年4月に刊行された。
手元のは平成5年8月の第十一版となっており、寺田氏がFFを離れて以降も再販されていたことがわかっている。

本作はゲームとはだいぶ異なるストーリーだが、微妙に原型が残っている、という感じになっている。当時のノベライズで、そういうタイプのものは他にもあったが…
25thアルティマニアを読んだあとだとわかるが、この小説こそ3月プロットと一致する点が多いのだ。
そして、ゲームの内容を反映したと思われる箇所が非常に少ない。本作は完成したゲームではなく、3月プロットをもとに執筆した可能性がかなり高い。
もっと言えば、「3月プロットをもとに寺田氏が書いた段階のゲーム用シナリオを小説化したもの」ではないだろうか。
それを探ってみたい。

3月プロットとの比較

まずプロットと一致しているのが、帝国への反抗の一手目か飛竜を目指すところだ。しかもその後の飛竜としての出番はゲームとかなり異なる。
3月プロットでは序盤で仲間になった飛竜オパールだが、以降の出番が書いてないのである。夢魔の迷宮の展開は寺田氏が独自に付け足したのかも。
そして卵の在処でレオンハルトと再会、戦う展開も3月プロットと一致している。

また小説前半。フリオニールが伝説の海獣デジウスと出会うシーン。
3月プロットには海の怪物リヴァイアサンと出会うシーンというのがあるのだが、ここでフリオニールがレイラから舵を任されるという展開になっており、船の入手イベントのイメージだったのではないかと思うのだが…
プロットでのリヴァイアサンの出番はここだけだが、夢魔の迷宮ではデジウスをミシディアの海岸で目撃するシーンになっており、この後のシーンで別の役割を与えられている。

ポール、ミン・ウなどの役割も一致。そして明確な一致として、3月プロットにいた没キャラクターのアイルが小説にもいる。

またボーゲン伯爵。3月プロットでは裏切り者ではなく最初から「皇帝の片腕」であり、レオンハルトとは別のライバルとして登場する。ヒルダを捕らえており、ゲームの間抜けな雰囲気はない。
夢魔の迷宮でも最初にフリオニールを打ち負かすシーンで登場し、あとの闘技場のシーンで強敵として立ちはだかる。

そして重要な一致点として、ラストの展開があっさりしてることだ。
3月プロットではパンデモニウムとか出てこず、皇帝との対決も描写なしで、究極の魔法をパッと取ってパッと終わっているのだが、夢魔の迷宮のラストも明らかにこのプロットをベースにしている。闘技場の戦いで魔物となった皇帝から逃れたフリオニールたち、イルケイディアの岩に残されていたクリスタルを手にすると、諸悪の根源である悪魔はそれに吸い込まれ世界は救われてあっという間に話が終わる。
このラストの急展開は、もとにしたプロットがそうだったからだろう。違うのは元のプロットの究極魔法をクリスタルに置き換えていることで、ラスダンのようなものは存在しないままとなっている。

かようにゲームではなく開発資料から影響されているとみられる夢魔の迷宮』の内容だが、もちろん寺田氏の独自カラーも出ているので、全て3月プロットのままということはない。
その中で、3月プロットから変更されていて、かつゲームと一致している要素は以下の通り。

  • ガイとマリアのプロフィールがゲームと一致(ガイの出自は実際はゲーム中に出てこないが)
  • 闘技場とヒルダ救出が一緒のエピソードになっている
  • ゴードンの兄の名がスコット
  • 飛竜の卵を孵すために液体が必要となる
  • クリスタルが出てくる
  • レイラが紫色のターバンをかぶってる

最後のレイラの外見については、ゲームというか天野喜孝のイラストを見て書いたのだろう。
しかし、他の描写についてはゲームから反映されたものはほぼないと私は見ている。

  • ガイとマリアのプロフィール

3月プロットはガイとマリアは単に友達と書いてあり、出自が書かれていない。
3月プロットの時点でフリオニールレオンハルトの両親に育てられた孤児という設定なのだが、マリアはまだレオンハルトの妹ではなかった
そしてガイも野生児ではなく、「魔法が得意な冷静な男」とされている。この二人は最初から仲間にいるという配置だけが決まっており、ストーリーはこれから考える予定だったようだ。

夢魔の迷宮では、マリアはレオンハルトの妹であり、フリオニールも妹のように接してきたが、意識し合う関係となっている。
ガイはマウザーという獣に育てられた少年。フリオニールより年下で、天野喜孝のイラストではゲームと同じ巨漢だが、本文ではあまりゴツい印象を受けない。そして彼を人間の世界に連れてきたフリオニールに対して、忠誠に近い感情を抱いている。

3月プロットより後に書かれた進行概要では、ガイはモンスターに育てられた設定になっている。
主要登場人物一覧ではマリアはレオンハルトの妹になっており、ガイも夢魔の迷宮と経緯は違うがやはりフリオニール服従を誓っているという設定。
この「3月より後の開発資料」と寺田シナリオ、どちらが先にあったか判断できないが、一致はしている。
そして、寺田氏がゲームから反映したわけではないのはわかる。
マリアの設定はゲーム内でわかるが、ガイの野生児設定はゲーム内ではちゃんと説明されておらず、ゲーム外の資料でも見た覚えがない(例:『ファイナルファンタジーモンスターマニュアル』という本ではガイとフリオニールの出自が書かれていない)。
フリオニールレオンハルトと同じ家で育てられたことは移植の説明書で書かれた話だし、ガイがオオカミに育てられた野生児であることはだいぶ後の資料(20thアニバーサリーアルティマニア)で見られる設定であり、ゲームには出てこないし当時も表面化していなかった、はず。

だから、開発資料に見られるガイの野生児設定は、寺田氏が考えた可能性がある。
しかし、逆に3月プロットとは別にアルティマニアに掲載されていない資料が存在していて、そっちが先に寺田氏に渡されていた可能性もある。
これはもうどっちが先かわからない…

  • 闘技場の褒美がヒルダになっている。

3月プロットでは闘技場のあとで大戦艦にヒルダがさらわれ、ボーゲン伯爵の人間チェスに挑んで奪還するというゲームと違う順序になっている。
夢魔の迷宮では、大戦艦は先に出てきて、闘技場の賞品がヒルダで、ボーゲンも闘技場に現れる。少しゲームに近い順番になっていることがわかる。
だがここも夢魔の迷宮がゲームを反映したとは考えにくい。夢魔の迷宮では皇帝との決戦まで闘技場で済ませており、これはこれでゲームと違う。3月プロットの後半の、シナリオがあまりできてないあたりを圧縮してこういう形になったように思える。
この展開がゲームにそのまま使われたわけではないのだが、部分的に影響した可能性は、ある。

  • ゴードンの兄の名がスコット

これもゲームから反映された可能性が低いと思えるのは、夢魔の迷宮のスコット自身は3月プロットとほぼ同じ扱いで、帝国の侵攻直後に死亡している。ただ名前がついてるだけなのである。ゲームを反映していれば、スコットの扱いはもう少しありそうだ。
そして後の開発資料ではゴードンの兄にライサンダーという別の名がついているのだが、寺田氏はこの資料を反映していないということになる。もらっていないかもしれない。
そしてスコットは河津作のプロトタイプに出てこない名である。このプロットにはゴードンのほかにも、ゲームに使われるフィリップとリチャードという西洋系の名前が出てくるのだが、スコットはこのプロトタイプにもなく、河津作の名前ではない可能性がある。
ゴードンの名を見た寺田氏が、系統の近い名前を考えたのではないだろうか。

  • 飛竜の卵に液体を与える設定がある。

夢魔の迷宮では<白養の汁>と呼ばれる聖液(って書いてあるんだよ)を卵に与える必要がある。このようなものは3月プロットにも、以降の開発資料にも書かれていないが、ゲームでは命の泉に卵を沈めるシーンがある。
どうもこういう細かい部分こそ、寺田氏のシナリオから反映されていてもおかしくない気がする。

  • クリスタルが出てくる。

そしてこれが先述の通り、どうやらこれが寺田憲史の案なのだ。発売前の1988年の発言と、FFが巨大シリーズになった後の2000年の著書でこれは一致している。

苦肉のクリスタル

ファミコン通信1988年9月2日号(17号)、40から43ページ。
年末期待のRPGウィザードリィ2』と『ファイナルファンタジー2』のスタッフとして、遠藤雅伸寺田憲史の対談が掲載されている。
参加者は両名のほか、アスキーのプロデューサーの三田浩と、スクウェア広報の平田裕介。
42ページ。前作と関係のない作品を『2』にすることはスクウェア内でも抵抗があったらしいと語る寺田氏。「たとえば『I』であるていど人気のあったものとか、なにかひっかかりのあるものは残したほうがいいんじゃないかって」で、クリスタルが出てきた。
「クリスタルなら、まあ一応ファンタジーによく登場するキーワードになるものなんじゃないかということになりましてね。」
「この作品が長いシリーズになったときに、そのキーワードを中心にドラマが起こったり、あるときはそのキーワードが裏切ったり」
と、完全にFFシリーズの未来を予知した構想を、既にこのFF2発売前から寺田氏が持っていたことがわかる。
恐るべき先見性だと言える。

だが。

>それで、「クリスタルは戦士たちになにをもたらすのか」というサブタイトルがついたわけですね。
と尋ねる聞き手に対し、
>まあ、苦肉のキャッチではありますけどね(笑)。
と、そんなでもない反応。何か変だな…

クリスタルの輝きは、4人の戦士に何をもたらすのか……。

これは対談のすぐ次の44ページの広告に掲載されているFF2のキャッチコピーだった。広報資料としてクリスタルを打ち出していたのである。だが苦肉のキャッチとはどういうことか。
そう、多くの人はご存じだろうがFF2のクリスタルは、キャッチコピーに使うほど大した存在でない
忘れてる人に説明すると、アルテマの本をくれるやつと、周りに浮いてる丸いやつ。あれがクリスタルです。
寺田氏はシナリオにクリスタルをそれなりに盛り込みたかったはずだが、実際のゲームであんまり上手く使えてないことを知ってるんじゃないか?

この対談の時期は不明だ。遠藤雅伸は『カイの冒険』が完成した5月20日過ぎにFF1をプレイしたと言っており、それよりは後だが。

9月2日号とはなっているが、正確な発行日はコナミックテニス発売日の8月19日だと表紙裏で確認。
対談中ではアスキーの三田氏とスクウェアの平田氏は半袖シャツを着ているが、寺田氏と遠藤氏は長袖。発刊時期から考えると7月の末か、8月の前半でも間に合うか?

今回この対談の時期を重視する必要があるのは、FF2の開発末期に差し掛かっているからだ。88年8月にはFF2の開発も終盤でデバッグという感じらしいのだが、この頃にビザが切れて帰国したナーシャ・ジベリを、主要スタッフが追いかけて渡米してしまってるのだ。重要スタッフとはいえ、開発現場に常駐してたわけでもない寺田氏がこうして代表として対談に出ているの、もしかして他に出られる人間が誰もいないタイミングだったのでは…
いや8月初頭ならまだ坂口博信たちはいたかも…わかんない…

対談時点で、開発かなり後期だったことだけは確かである。
寺田氏はあまり制作現場に近いスタッフではないはずなのだが、FF2の内容はちゃんとわかっていた。遠藤雅伸に対し戦闘が前作同様のアニメーションながらシステムが大幅に変更されていること、盾を外した二刀流や利き腕の概念、「いままでのRPGにありがちだった一方的な情報の流入を覆したワードメモリーシステムまで説明してみせている。
寺田氏はこうして事前にFF2を詳しく知っていた。おそらく開発末期近いゲームを実際に見ていたか、一緒に出てる広報氏からゲームシステムの丁寧な説明を受けていただけかもしれないが、いずれにしろかなり内容を把握していたのだ。
ファミコン版の二刀流の効果に問題があるのはさておき。

そしてクリスタルの扱いについて、寺田氏はこう述べている。
>前回は、最重要アイテムっていうか、その輝きを取り戻すのが目的であったわけなんですけど、今回はその逆に、最終目標を遂げるための手段として、置き換えられたと、そう考えていただければわかりやすいですよね。

夢魔の迷宮』では、寺田氏の意向の通り、知、力、和、愛の4本のクリスタルは物語を終わらせる重要なアイテムとして登場する。
が、取った瞬間一気に問題が解決するという、ちょっと強力すぎるアイテムになっている。「最終目標を遂げるための手段」というレベルを超えている。

で、実際のFF2のクリスタルの扱いを知っていると、あんな感じなわけだが…最終目標を遂げるための手段…アルテマの本とクリスタルが一緒になっていることを、寺田氏はなんとなく知ってたのかも…アルテマの性能までは知らなかったかも…

断定はできる情報は何もないが、寺田氏は完成品に近いゲームのアルテマとクリスタルの扱いを発売前に知っていた可能性はある。
そしてクリスタルの扱いの弱さは、寺田氏はクリスタルを出したい意向が強かったのに対し、スクウェア側はどうもそうでもなかったということなのだろうか。
私もあのアルテマと一緒に浮いてる水晶玉がFF1と同じクリスタルだったことにだいぶ後で気づいたのだが、あの存在感は寺田案を上手く使えなかった、苦肉の後付けのようなものであるということなら説明がつくとは思う…
あと最近気づいたが、エンディングでも水晶玉にキャラクターの顔が映る。これもクリスタルだ。(PSP版以降のエンディングには出てこないが)
言い訳レベルではあるが、寺田氏の言う引っかかりとしてはクリスタルはちゃんと使われていたのだ。クリスタルはFF2では上手く活用できなかったが、FF3以降の流れを作る重要な伏線としては機能しており、これがおそらく、寺田憲史の功績として伝えられるべきものだ。
と、今なら思える。

固有名詞の変遷など

夢魔の迷宮とゲームの一致で、残るは開発途中でいったん変更されたものの、最終的に3月のプロットに巻き戻ったふたつの固有名詞、ヒルダとカシュオーンだ。このへんの名前もいじくってる間に寺田シナリオも判断に影響して最終的に3月プロットの名に統一したということじゃないかと…
ライサンダーもゴードンの兄にしては名前の系統が違いすぎるし、スコットのほうがいいだろう。
このあたりの判断には寺田シナリオが影響している可能性は十分ある。

夢魔の迷宮については、キャラクターの外見については一部はゲーム準拠と思われる記述もあるが、全体としてはあえてゲームに近づけることはなく意識して原案に近い内容の小説としてまとめてるのだろうと、私はほぼ確信している。
ボーゲンの人物像の差異、ミン・ウの外見など、完成したゲームの内容を反映していない箇所はそういう理由によるのだろう。
だが寺田氏はゲームの内容も発売前から見ていると思われる。
そのうえで自分のシナリオに近いものを小説化した経緯はよくわからんけど、まあそういうこともあるだろうということで。

では、その小説のもとになったと思われる3月プロットにも既に寺田氏が関与している可能性は?
つまり「寺田シナリオ(草案)→3月プロット→少し後の寺田シナリオ→夢魔の迷宮」という順番だったとは考えても矛盾はなくないか?
この仮説は、可能性が低いと個人的に考えている。その前のプロトタイプから受け継いだ河津色が残ってるというのもあるが、最大の根拠として、3月プロットにクリスタルが出てこないことが挙げられる。
寺田氏がプロット段階で関わっていれば、クリスタルは最初からもっと大きな存在感を持っていたはずだ。3月プロットで究極魔法に差し替えたのだとすると、順序が合わない。
未完成な状態の3月ごろのプロットを見た寺田氏が、クリスタルを究極の魔法に代わる最後のキーアイテムに変更したのではないかと…

憶測だらけであるという注意

以上は当サイトの憶測を越えるものではなく、これ以外の大きな根拠は持っていない。
3月プロット自体はスクウェア作だろうが、その前に寺田憲史のシナリオが既に届いており、そこから改めて夢魔の迷宮が書かれたと考えても、特におかしい流れではない。
いちおう、私は3月プロットについては完成度の不完全さと、内容の傾向から、河津らが手掛けた純粋なスクウェア作の可能性が高いと現時点では考えているが、断定できるだけの根拠を示せたとは言えない。

その根拠の不足する状態で、私が推定している順番は、こう。

1.初期プロット:
25thアルティマニア掲載。3月プロット。基本ストーリーの方向性確定、登場人物の名前が成立。しかし未完成。
寺田氏はまだ関与していない、と思う。
河津主導の作と思われるが、既に石井浩一の案も合流しており単独作ではない。

2.寺田シナリオ(仮):
実物は未発表だが、『ルーカスを超える』に原稿の写真だけ掲載されており、寺田シナリオの実在は間違いない。
3月プロットと内容の近い『夢魔の迷宮』の原型はこれだと思うのだが…

3.ストーリー進行概要:
25thアルティマニア掲載。おおむね現在のFF2と同じ姿だが、細部のイベント案が詰めきれていない。王女はシンシアになり、別のヒルダが追加。ボーゲンは間抜けキャラに。
一部、寺田シナリオを反映している可能性あり。

4.主要登場人物の一覧:
25thアルティマニア掲載。カシュオーンはグラーンに変更、別のヒルダが削除。
この資料と『夢魔の迷宮』では、レオンハルトは洗脳されている設定だった。

5.完成版
発売したゲーム。シンシアがヒルダに戻り、グラーンがカシュオーンに戻る。竜騎士の名前がリチャードに。ミン・ウはミンウに。
ライサンダーはスコットになり、本編に登場するようになった。そして王女に求婚まではしていたが婚約者ではなくなっている。
またアルテマとクリスタルが結びつけられたが、その存在感は薄い。
これまでに設定されてきたフリオニールとガイの設定は、実際のゲームには出なかった。

そして…
私が考えてる通りの順番だったとすると、寺田シナリオから実際のゲームに反映されたものが非常に少ないということになる。その結果として、ゲームと内容の違う夢魔の迷宮は発表された。
寺田シナリオはクリスタルなど一部がゲームに影響したと思われるが、全体としてはプロットは書き換えられ、セリフなども残らず、大きな影響を残していないのではないかと…

クリスタルに関しては、寺田氏が主導したもので間違いないとみている。寺田氏がクリスタルに意味を持たせようとしていたことは明らかであり、そしてスクウェア側がそんなでもなかったことも、どうやら。
始動前のプロトタイプの時点の開発資料から、クリスタルは一度も登場していないのだ。
2のクリスタルの扱いはあんなもんであって、何とか究極魔法と結びつけてはみたが、その究極魔法自体がどうでもいいものになっていったことが致命傷だった。

そして、どんどん内容を作り替えていく河津秋敏の制作スタイルと外部シナリオライターの相性の悪さ。
上記の仮説では寺田シナリオを2番目としているが、3月プロットを読んだ寺田氏がシナリオを執筆してスクウェアに届くまでの期間……そんなに長い時間はかかっていないと思うのだが……その間が一週間も開いていれば、ゲームの開発は進み、3月プロットから内容は変わっていったはずだ。
寺田シナリオが届くまでの間にもシナリオはかなり変化しており、既に断片的にしか使えなくなっていたんじゃないかという想像。
本当に失礼なことを考えている自覚があります。

わからないのは、詳しい経緯がなんで当時のスタッフの発言からわかんないのかということだ。もう少しわかっていれば、上記のような憶測だらけのことを考えなくても済んだ…
特に寺田氏の存在については言いにくいこともあるんだろうという気がするし、忘れてるだけ、純粋に知らないということもありそうなのだが…
FF2の本当の制作過程は世に出ることなく、消えていくのみなのか…

岩崎啓眞氏の考察について

お気づきの方もいるかと思うが、本記事は岩崎啓眞氏が以前書いた記事への反論であり、少々の批判でもある。

89年ごろ、座談会で坂口博信で話したと言う岩崎氏。FF2の寺田憲史のシナリオが全然ゲームにならないものだったという、ぶっちゃけた話を坂口さんから聞いたという。
それを振り返っている2018年の岩崎氏の記事。FF2のシナリオが当時のゲームの常識を覆したシナリオであることを説明して、それは寺田さんのシナリオに由来するものだったということを書いているのだが…

ここで私は岩崎氏の記憶については疑っていない。坂口さんから当時聞いたという内容、この記憶はおおむね合っていると見ている。
本当に申し訳ないが、寺田氏のシナリオがあまり活用できなかったという話について、資料から想像している私も同じ結論に到達している。

指摘があるのは過去の記憶ではなく、当時の記憶をもとにした現代の岩崎氏の解釈のほうにある。岩崎氏はFF2の開発経緯をあまり調べておられぬ。
岩崎氏はFF2のシナリオの革命的だった部分、その理由をゲーム以外のメディアから来た寺田氏に由来するものとして記事を書いているが、このいずれも寺田氏に由来するものではないと私は考えている。

ここまで調べてきた限り、寺田氏の影響範囲そのものについて確たる情報がなく、だいぶ憶測を入れるしかなかった。その結果、3月プロットの時点ではまだ関わっていない可能性が高いというのが本記事の見立てだ。
そして岩崎氏の上げている特徴のうち「主人公がしゃべる」「メンバーが勝手に入れ替わる」は3月プロットにも既にある特徴で、冒頭で敗北するシーンの原型も既にあった。
しかし、繰り返すがこれはまだ憶測だ。寺田氏が3月プロットに関わっているのかいないのか、本記事で私の集めた情報では、ここは憶測の域を出ることはなかった。
もしかしたらこの想像は全て外れており、もう既に寺田氏が参加していたのかもしれない。

だがこの中で「主人公がしゃべる」については、もっと明確な指摘ができる。ここは寺田氏とは無関係に、岩崎氏が見逃している過去作品がある。

もちろん、岩崎氏もFF2が初めて主人公がしゃべるRPGだとは言ってないので、前例が出てきたとしても重要な指摘ではない。
先行する有名作でもエンディングだけ喋るとか、バハラタのイベントでいきなり勇者が喋りだすとか、例外的な描写なら既にあったし、岩崎氏も知っているはず。
またブログのコメント欄にも『抜忍伝説』という前例が指摘されている。
だがそれらはまだ例外的な描写だったり、あったとしてもごく少数のタイトルだろう。全体としては88年時点のRPGではまだ珍しかったのは、岩崎氏の言う通りなんだと思う。
だから前例があったにしろ、それをファミコンで、結構大きなタイトルで堂々とやったFF2は当時としては異例の作品だったのだ。
と言いたいところだったが…

主人公がしゃべるゲームと河津秋敏

しかし、この話はRPGにとどまらずADVに視点を広げる必要がある。
ADVだと主人公が喋るものはもう少し見つかるのだが、そのひとつとして挙げられるのが、まさに坂口・河津・田中が前年に手掛けた中山美穂のトキメキハイスクールなのである。
坂口博信を中心に、河津秋敏もシナリオで参加したとする本作、FF1とFF2の間に挟まって開発された、ファイナルファンタジーの直接の関係作だ。

もちろんトキメキハイスクールも最初の作品ではない。主人公がしゃべるADV、ファミコンでも86年の『ミシシッピー殺人事件』という比較的知名度のあるやつがあり、PCなら85年の堀井雄二の『軽井沢誘拐案内』というのがある。

この記事でも、しゃべる主人公について『TOKYOナンパストリート』と共に言及している。記事の書き方だと、85年時点ではまだ珍しかった様子ではあるが…
記事で少し書いてあるがさらに前の84年に『THE DEATH TRAP』が既に主人公が喋る様式をやっている。これこそがスクウェア第1作であり、坂口博信のデビュー作なのだ。
こんなところで坂口博信堀井雄二に先行していた。

※リンク先では「地の文と自発的にしゃべる主人公というスタイルをとっている。」と書いているが、実際はデストラップは主人公のセリフとは別に地の文も主人公の独白で、完全に主人公がしゃべって進行する形式を取っている。EGGの動画でも確認できる。

坂口博信AppleIIアドベンチャーゲームが好きだったらしいので、しゃべる主人公の源流もそのどこかにあるのかもしれないが、今回そこまでは調べてない。

このデストラップ自体はあまりヒットしなかったということで、業界に与えた影響となると未知数なのだが、主人公がしゃべる様式自体はその後のスクウェア作品でも継続していたことが今回調べてわかった。
もちろん坂口博信にとっても重要な作品なのだが、実は河津秋敏がこれの影響を公言していた。

>河津氏:シナリオ進行やフラグの立て方はそこで学びましたね。当時のスクウェアでは坂口さん(坂口博信氏)が「ザ・デストラップ」などのアドベンチャーゲームを作っていて,シナリオの管理手法はそこで勉強しました。

かなり意外なところから情報が飛んできた。
もともとデストラップなどスクウェアのゲームを見てはいたが会社はよく知らないで入ってきたという河津さんだが、おそらく入社後に、過去のタイトルを勉強して直接参考にしていた。
そしてドラクエ、FFとも、ADVと同様のフラグ管理によるシナリオのゲームと理解していた。
こういう意識から、FF2のワードメモリーシステムができたと考えられる。

しかし本記事で重要なのはそうしたゲームの仕組みのほうではなく、デストラップを見ていたことそのものだ。
主人公が喋る方式でストーリーが作れることは寺田氏が参加する前からデストラップから続く坂口チーム、スクウェア全体に共有の認識だったと考えられる。業界で珍しかったかはともかく、坂口・河津らにとってこれが新しい試みという自覚はまずなかったはずだ。
そして河津秋敏のシナリオ作りは、坂口博信の影響を直接受けたものだったことがわかる。
(いっぽう、トキメキハイスクールに参加した情報がない石井浩一氏だが、石井作のプロトタイプ資料には主人公のセリフは見られず、FF1の一部シーンのようにナレーションが入る形式になっている。こちらはドラクエゼルダに合わせていた。
石井氏がフリオニールの軽いセリフを書き始めるのは河津案との合流後のようだ)

FF2に話を戻して、初期プロットに至るまでに誰がどれだけ関わったかは不明だ。
だが主人公がしゃべる様式、仮に岩崎氏の想定していたように寺田憲史に由来するものだったとしても、この件でスクウェア側が困るようなことはなかった。
そして岩崎氏の上げた残る2点「強制敗北」「メンバーが入れ替わる」についても3月プロットの時点である程度できている特徴で、寺田氏に由来する可能性は低いと本記事では考えているが、これらは断定できるだけの根拠はない。あくまで憶測になります。

ただ、仮にこれらが外部から持ち込まれていたとしても、困るというほどの仕組みだったというのはそれほど同意できない。
それにシナリオ上の敗北をゲームのバトルで表現するのは、セリフや演技で表現するより容量の節約にもなるし、基本はゲーム屋側の発想だと思える。

では坂口さんが寺田シナリオに困ったこととは…
寺田シナリオが『夢魔の迷宮』に近い内容だとすると、もっと具体的にゲームというかFF2で使いにくい、困る内容が含まれているとは思った。だが夢魔の迷宮もおそらくゲーム用シナリオから加筆はされているし、憶測の上に余談なので飛ばします。
また3月プロット自体も、その前の石井・河津のプロトタイプについても、当時のファミコンで表現が難しそうな案は結構書かれている。
みんな自由だった。もちろん寺田憲史も…

寺田憲史ファミコン

これも岩崎氏の発言に対する指摘になるか…
いや坂口博信に対してかもしれないが。

寺田氏の発言を追う限り、1988年ごろの寺田氏がファミコンゲームにそれほど疎かったとは考えられない。FF1の依頼を受けた直後はともかく、その後は坂口博信からRPGについての説明を受け、忍者の出るファンタジーRPGに文句を言うくらいの知識を得てきていた。
ドラクエ3もプレイしていて、商人の町のイベントが気にいったという寺田氏。
ゲームがおおまかにどういう仕組みで動いてるか、何ができてどのようなシナリオが受け入れられるか、そしてどこらへんまでルールを破壊できるかくらい、ちゃんとわかっていただろうと思う。
もちろんFF2の開発初期はまだドラクエ3をやれていなかった可能性もあるが…ゲームというものに対するアンテナは既に持っていただろう。

寺田氏のファミコン観の参考になりそうなのが、氏がシナリオを手掛けたもう一つのファミコンソフト燃える!お兄さんだ。
発売は89年の8月だが、ファミコン通信の対談時点で既に開発が始まっていることが言及されている。
『ルーカスを超える』の146ページでもこのゲームの思い出を書いており、主人公のケンイチの「あうっ」という音声を入れてほしいと要望したが、それを入れると容量の半分使うから無理だと断られたのだという。
寺田氏はファミコンが喋れること自体は知ってたのだ。容量までは気にしてなかったが。

これを踏まえてファミコン版『燃える!お兄さん』の内容を振り返ってみると、冒頭で勝利するとゲームが始まらないクソイベントに始まり、ドラ・ゴンを倒しに行くというゲームを意識しすぎたシナリオが展開。
アクションゲームなのに最後はイベント戦闘のRPGで、しかも戦闘中にキャラクターが無駄に(無駄という意味)喋りまくるという、89年時点でのFFドラクエの先を行く特殊バトルをやっている。それも、ちゃんとファミコンの性能で無理なく表現できるレベルで。
当然バトル中のセリフも寺田氏が書いてると想像すると、これがRPGをやってること自体も寺田氏が意見を出している可能性が高い…

このゲームは思い付きのアイデアばかりが先行しており、ゲーム内容がついていってない。基幹のアクション部分が全然おもしろくねーのは寺田氏のせいじゃないと言いたいが、結構現場にも近いやり取りをしていたようなので、寺田氏に振り回されてバランスの悪いゲームになってる可能性はかなりある…

失礼なことを書いてる自覚がある。

FF2に話を戻す。冒頭で敗北すること自体は3月プロットに既に書いてあるが、寺田氏も実際に戦闘シーンにしたら面白いんじゃない?くらいの提案は出してきてもおかしくなかったと考える。
実際あれはアイデア自体は際立っているが、機能的にはあまり難しいことをやっていないから実現できている。
ドラクエ3にも終盤にオートで進行する特殊バトルがあったし、その亜流として思いついたものかもしれない。

と寺田氏の可能性は否定できないが、こういうイレギュラーな仕組みが得意なのは河津、石井、あと坂口博信だろうという認識もあるし。また前作からプログラマーもアイデアを出せる制作体制だったようだし、これを思いつく候補はいくらでもいると言える。

ともかく、寺田氏はメディアによる表現の違いをよく理解している人であり、侮ってはならないということをここに記しておきたい。
燃える!お兄さん』では、それが上手く行ってたとは言えないのが困るのだが…

なぜ批判をやってるのか(なぜだろう…)

これは岩崎氏に対する批判と言っても些細な指摘です。指摘本体は「前に書かれた記事ですが、それは寺田氏じゃないと思いますよ」とクソリプひとつで済む内容です。
しかしその根拠の説明にはこの記事の全てが必要であるため、記事にするしかなかった。
また岩崎氏に対しても、「1500円くらいの電書を買って読んでくれ」ならまだしも、「1988年のファミ通を確認してくれ」とか「8時間ある動画を見てから書いてくれ」とは言えないでしょう…

もちろん私自身もかなり憶測だらけであり、絶対の自信までは持っていない。3月プロットに寺田関与がないというのも憶測。
一定の自信はある予想ではありますが…
白状すると、私もこのプロットこそが寺田氏の作ではないかと当初誤推理していたが、さまざまな情報を総合したり日付の読み間違いに気づいたりで、だいぶ後になってスクウェアの作だと判断できた。

しかし、この指摘が本当にまずいのは誰に対するフォローにもなっていないことだ。
いま私が岩崎氏にケンカ売りたい理由がまずない。
しかもDisってるようにも見えると心配しながらも寺田憲史の功績があったという岩崎氏に対し、それは寺田憲史の功績ではないとむしろ状況の悪化した反論をしているわけで、岩崎氏を批判しつつ寺田氏の評価も貶め、ついでにそれ言った坂口博信も大概やなということを言っているのだ。
全員を敵に回して俺に何の得があるのだ。

私も確信まではしていないが、現状で私が信じるストーリーがこうだということに対しては嘘をつけない。
岩崎氏の想像は、おそらく間違ってる。批判に至る動機はそんなにないが、これしかなかった。すみません。

寺田憲史スクウェア

寺田氏に対するフォローを入れると、FF3ではもうちょっと深く関与していると私は考える。クリスタルの扱いが明らかに違うからだ。「ファファファ」と「しねい!」を多用しているのは坂口博信だと思うけど。
また坂口チームとしても、寺田氏が推していたクリスタルを2でうまく扱えなかった自覚はおそらくあった。あったと思う。
クリスタルをもっと重要なものにしたい気持ちは、3には明確に表れている。
制作体制のまた変わった4のクリスタルはそうでもない気がする。

また、寺田氏の『夢魔の迷宮』には実際のゲーム内容がほとんど反映されてないことを書いてきたが、FF3のコミカライズ『悠久の風伝説』の原作についても書くことがある。
こちらもやはり原典と全然違う内容なのだが、ちゃんとゲーム内容を知ったうえでストーリーを書いていると見て間違いない。
『悠久の風伝説』はイフリートとシヴァにキャラクター性のある最初のFFだ。ゲーム上は重要だがストーリー上はそれほど重要でない召喚魔法を、寺田氏はストーリーに組み込んで使ってみせたのである。実際のゲームを意識して話を考えているはずである。

寺田憲史がFF4で降板した理由は、あまりわからない。『ルーカスを超える』には書いてない。
それを書いているゲーム批評2001年11月号についても触れておかないわけにいかない。
FF Xの特集号だが、珍しく寺田氏がインタビューを受けている(26ページから29ページ)。

「そのうちにシナリオのことをよく知らない人が作品全体に対しての権限を持つようになりましてね。そうなるともう滅茶苦茶でして、ああもうどうぞ後はご勝手にって感じで離れましたね」とFF4当時のスクウェアのことを悪く言ってる。
ように見えるのだが…
これなあ…

このインタビューは前年発刊の『ルーカスを超える』を踏まえた内容のはずなのだが、その『ルーカスを超える』は割とゲーム業界で寺田氏が出会ってきた人の批判も書いているのだが、全員が対象ではない。
寺田氏は本書でも一貫して坂口博信のことを高く評価しているし、寺田氏を業界に誘ったのも坂口博信だ。作品全体に対しての権限を持つようになったシナリオのことをよく知らない人というのは、坂口博信以外に誰がいたというのだ?
それと、『悠久の風伝説』。これはFF4の発売後も連載を続けていた。FF本編からは降りたものの、スクウェアとの関係は特に悪くは感じられない。

そして、言うまでもないが「ゲーム批評」という雑誌のスタンス。最初からスクウェア批判ありきでライターを集めてるようなところで、この時期はその流れも変わってきてたのでFF10擁護側ライターと批判側ライターを戦わせるような企画を載せてるのだが、もうその対立軸を作ろうとする雑誌のスタンス自体がアレだろというか、FF3からダッシュが使えるようになったとか大嘘を書いているのに通していく程度の編集部というか、
寺田氏の言葉をきちんと聞き取れているか、それ自体が既に疑問だ…

寺田氏はこのインタビューでプレイしてないFF10に対して軽率なことは言ってるが、本当にそんなことを言ったのかというか、聞き手に言わされてないか?というのがこの雑誌の印象であり、ここのインタビューを受けたのが軽率です。
寺田氏はFF4のときに嫌なことがあったのかもしれない。それ自体はそうなのかもしれないが、それが主要因かというと、そうだと考えるにはこのインタビューはあまりに信用ならない。そういうスタンスです。

アルテマはなぜ弱いのか

ここまでの話と無関係ではないし、アルテマの話も触れておこう…

もともと岩崎氏のブログでバズったのはこちらの記事だった。
坂口博信アルテマの弱さを問題視していたのだが、担当者は弱い理由を主張して、しかも「プログラマ」がソースを暗号化して触れなくしてしまったというのである。

岩崎氏は、この担当者の名前は聞かなかったようだ。
だからこの記事にも名前は書かれておらず、記事だけバズった結果これをナーシャ・ジベリだと思う人と、河津秋敏と思う人に二分されてしまった。

ナーシャだと思う人が続出した理由は、岩崎氏がプログラマだと書いていたからだ。
初期FFのプログラマーと言えばナーシャ・ジベリ。深く考えずにそう思ってしまう読者はかなりいるのだ。
だがもちろんそうではない。ナーシャ・ジベリRPGに疎かったこと、FF1の時点でバトルプログラムをやってないことは後年の河津・田中らの複数のインタビューでわかっている。
まあFF2のナーシャがバトル関係やってないという明言は見当たらなかったので、もしかしたらやってるのかもしれないが…アルテマの件のような主張をするほどの含蓄があったとは考えにくい。
だいたい、ナーシャは英語しか使えず坂口博信たちはコミュニケーションにも難儀していたのだ。FF2のストーリーとかも理解してたか怪しく、こんなややこしい主張をしたとは思えない。

だから候補として挙がってくるのはもちろん河津秋敏だった。バトルとシナリオの両担当で、独自のファンタジー観を持ち、ファミコンプログラムも扱えた。

もちろん、ここまでのことは岩崎氏もわかって書いていたはずだ。
実はこの記事は岩崎氏の2022年の同人誌『LEGEND ウルティマ4&ウィザードリィ4スペシャル』にも再掲されており、その際に「これは河津さんのことであろうと推測している」と書き足している。
サンプルで読めるようにしてあったのでそのまま引用しますが。岩崎氏は記事であえて名前を出さなかっただけで、誤解していたのは読者のほうだ。

ところで、この岩崎氏のブログはナーシャ本人の耳にも届いてしまっている。

The Untold History of Japanese Game Developers Volume 3

『The Untold History of Japanese Game Developers Volume 3』という、日本製ゲームのクリエイターに対する英語のインタビュー本(日本のkindleで購入可)。
これにナーシャのインタビューが載っていて、岩崎氏のブログのリンクも掲載されてます…
ただ本人はこの件は知らなかったと否定している。またバトルのプログラマーが他にいたことも言っている。
だから、アルテマをこうしたのはナーシャではない。

河津秋敏が語るアルテマの真実

もう一つの重大な情報として、アルテマについては岩崎氏がブログに書くより前に、河津氏本人が発言していた。
週刊ファミ通2008年2月29日増刊号の付録冊子『『ファイナルファンタジー』生誕20周年記念冊子 FINAL FANTASY Festa! Files』
多数の関係者多数のインタビューが掲載されている中で、56ページに河津秋敏

「同じく『II』の語り草である、あまり強くならないアルテマには何か秘密が?」とインタビュアーの質問に対し、

>河津 『II』は魔法の熟練度が上がると消費MPが増えるシステムですよね。ですが、アルテマは鍛えていなくても、消費MP1で150ぐらいダメージが与えられる。つまりアルテマは魔法をまったく育てていない人に対する救済措置なんですよ。設定面から言えば、アルテマは魔法を練習したことのない人でもいきなり強い魔法が使える危険性を持っているという意味で、禁断の魔法なんです。

岩崎氏の聞いた話と微妙に違う気もするが、似た説明だ。
アルテマは誰が使ってもそれなりの効果であり、強くならない。そのように意図して設定されている。

そんなわけで、この件は河津の可能性が高い…そうなのか?
実は私もこの岩崎氏の話は河津氏だろうと考えていたのだが、考えているうちに疑問が湧き上がってきた。

直せなかったわけではない?

まず確認としてFF2のプログラマーが一人ではないことは書いておく。スタッフロールのトップはPROGRAMNASIR GEBELLIだが、他にもクレジットされているプログラマーがいる。NAOKI OKABE(おかべ なおき。漢字表記不明)とKATSUHISA HIGUCHI(樋口勝久)の2名だ。
バトル部分のプログラマーはこの2名の可能性が高い。ナーシャ説が否定されても、河津以外の候補はまだいる。他にPROGRAM ASSISTも2名。
この人たちもプログラムの暗号化に関わっていた可能性がある。

だが疑問があるのはここではない。
もっと根本的な疑問があり、岩崎氏の聞いたプログラムの暗号化は別件ではないかということだ。
記事のコメントにもついているが、個人的にも岩崎氏の足した説明には疑問があった。私もファミコンプログラムをやった経験はないので素人考えであるが、プログラム部分が暗号化されていても、たとえばアルテマの威力100を200にするような変更は、データを直接いじればできそうな気がする。
または、魔法の種類そのものを変更して、普通の攻撃魔法のようにするとか。全部の魔法と特殊能力が同一の規格で動いているFF2の挙動からすると、そうした変更はできそうに思える。
また、バトル部分だけ暗号化できるような作り方をしているだろうかという制作体制についての疑問もある。岩崎氏の想定しているハドソンあたりの環境ではそうだったのかもしれないが、FF2のプログラム全体は田中弘道が管理していたはずで、フィールドとバトルでデータも連動している。
その中で、複数いたバトルプログラム関係者のひとりが田中さんの承諾を得ずに、他人にいじれないような状態を作り出すことが果たしてできたか。
バトルシステムは河津担当だったが、他のプログラマーも田中さんもバトルに関わっているのだ。

実はその田中さんが、この岩崎氏の記事に対してコメントを残している。

https://www.facebook.com/story.php?story_fbid=965780326782433&id=100000514240758

岩崎氏の記事を引用した別のブログ(引用の仕方に問題あり)に中裕司スクエニ入社前)がfacebookでコメントしており、そこにスクウェア関係者が集まってきてこれは河津さんだろうとコメントしているという混沌とした状況だが、そこに田中さんがコメントを寄せていた。

「データはテーブル化されてるからプログラマーは関係ない」。田中さんはそう言っている。
岩崎氏は当時のゲーム開発環境に詳しい人物だが、こと1988年スクウェアのFF2の話となれば、当事者でプログラムの指示を出していた田中さんのほうを信じるべきだろう。「テーブル化されているから関係ない」というのは、魔法の性能くらいはいじれる、ということだと思う。

では、岩崎氏の聞いた話は間違っていたのだろうか?
このアルテマの件で疑問があるのは、やはり現代の岩崎氏の解釈の部分、当時の環境の説明がスクウェアに対しては合っていないのではないかということである。
バトルの暗号化についての説明は、他社での知識をベースにした岩崎氏の足した解釈であり、おそらく実情に合っていない。

だが岩崎氏の記憶力については、特に疑う理由はない。岩崎氏は坂口博信から本当にそういう話を聞いたのだと考える。
すると坂口博信のほうが間違ったことを岩崎氏に話したという可能性もあるのだが、どうもそれも違う気がする。田中さんはプログラマーは関係ないと言っているが、坂口博信にとっては関係があったのではないか。
そう思える根拠が別にある。この説明には、アルテマの仕様を見定める必要がある。

アルテマが弱い理由(ファミコン版)

アルテマがなぜ弱いのか、思想的理由はいくらか明かされてきたわけだが、プログラム上の仕様を通しで説明しているところは見当たらなかった。
以下はFF2の攻撃魔法の仕様を知らないと理解できない記述が含まれます。

ファミコンアルテマについてはFF2よ永遠なれの「FF2の戦闘システム > 魔法・特殊攻撃威力」のページでは100としているが、計算式については正確なところをつきとめていなかった。

だが最近調べたところ、重要な情報をもたらしているサイトがひとつあった。
cheapなゲーム攻略情報ファイナルファンタジー2小ネタによると、アルテマは1~3ヒットとのこと。
そして、こびと・カエル時は確定で2ヒットになるんだと…

FF2よ永遠なれによると、ファミコン版はアルテマの攻撃力も精神で上昇するらしい。
弱いと言っても実際言うほど弱くはない。ラスダン突入時のちゃんと育てたファイア8でもダメージは200とか300とかで、150くらい出るアルテマは言うほど弱くはないのだ。
河津秋敏の説明通りなのだ。実はそれなりに強い。ように見える。

ただし属性はつかないので弱点を狙えない。FF2は根本的に弱点以外の攻撃魔法が弱いため、ラスダン突入時のファイアの威力などたかが知れている。
「まあまあ育てた弱点なし攻撃魔法くらいの威力が無属性で出る」、つまり弱いというのがファミコン版のアルテマだ。「武器攻撃に強く属性耐性も強い敵」に対し、バーサクなども使えない状況という、きわめて限定的な条件でしか需要がない。
ラスボスはギリギリそれにあてはまらなくもないのだが…(ラスボスには220ダメージほど安定して出るウィンドフルートのほうが強い)

アルテマの説明をする前に普通の攻撃魔法の説明をすると、魔法の基本威力はどれも低く、知性・精神で大きく成長する。
これが熟練度によって攻撃回数が増加する。レベル1の攻撃魔法なら1~2ヒット。1ヒットは確定で命中し、1ヒットは命中判定が行われるという方式になっている。
レベル2なら2~4ヒット。熟練度を上げるとダメージは倍率でどんどん増えていく。
ただしゲームで魔法のヒット数・成功回数は表示されない。便宜的な説明。

アルテマの場合は基本値が通常の魔法と比べて異常に高いが、精神による強化量は普通の魔法と同じ(精神関係ないとしているサイトもあるが、関係あるっぽい)。
基本値が高いアルテマが精神でちょっとばかり強化されても、割合としては普通の魔法に比べて伸びないわけだ。だが1ヒットあたりは普通の魔法を育てたものより遥かに強い。
アルテマの威力が伸びないのはこの基本の威力ではなく、熟練度を上げてもヒット数が増えないためである。
そしてcheap氏によるとアルテマのヒット数は1~3回という特殊な設定だという話…
アルテマ熟練度と関係なく通常の魔法のレベル1とレベルの2の中間の状態、ということになる。だから強くならない。

ここにFF2の魔法防御の仕様も関わってくる。魔法の命中率自体は術者の能力で上昇するが、敵の魔法回避率のほうが問題になる。
FF2の仕様では、攻撃側の能力と関係なく、魔法防御の高い者なら2ヒットくらいほとんど確定で回避するようになっている。レベル2の攻撃魔法は2~4ヒットだが、実際は強敵にはだいたい2ヒットになり、最大の4ヒットすることはめったにない。
攻撃回数がルールから外れているアルテマもここは同じであり、魔法防御が低い敵に対しては「1から3ヒットの不安定なダメージの魔法」だが、強い敵には「だいたい1ヒットの、そこそこ安定して弱い魔法」になる。独自の3ヒット仕様の意味は薄く、普通にレベル1魔法と同じ結果になる。

そして問題はカエルこびとだと2ヒットになる現象だ。
通常の攻撃魔法はカエルこびとでは魔法の命中判定は全てミスになり、レベル1の攻撃魔法なら強制1ヒット、レベル2は強制2ヒット、レベル3は強制3ヒットとなる。らしい。
アルテマの場合はカエルこびとの場合は魔法防御の高い相手でも関係なく強制2ヒットになるんだと…おかしいよな?
普通に考えたら強制1ヒットじゃないのか。
いや…普通の相手にも2ヒットするのが正しい仕様では?

強くならないのは意図通りだろうが、意図した通りに動いてるかは、それはそれで疑わしい
たとえば威力が200くらいで、2~4ヒットの魔法ならもう少しは意味があるし、企画意図からも大きく外れず、これでもバランスを崩すほど強くもない。
説明を聞いても納得できなかった坂口博信、思想とは別に何か不審なものを察知してソースを見せろと思ったのでは…

※なお上記情報の一部は私のほうでは軽く調べた程度ですが、カエルになったターンに使わせると安定して300ダメージ出るのは確認しています。
300出ても弱いことに違いはない。

かくして、岩崎氏の聞いた話はおそらく事実であると、アルテマの挙動の怪しさから裏付けられる。
プログラムの暗号化は田中弘道の見解の通り無関係であり、アルテマの調整もまだ可能だったと考えられる。しかし、そうであれこの部分のソースを確認する意味は明らかにあった。それをやろうとしたが、プログラムは既に暗号化されていたのでもうできなかった、岩崎さんが坂口さんから聞いた話はこういうことではないのだろうか。

岩崎氏の聞いたプログラムの暗号化は、おそらくアルテマとは関係なく行われたこと。
もちろん、それはナーシャ・ジベリがやったのかもしれない。ナーシャではないと最初に確認したが、事情を知らないナーシャが無関係に実行していたとしてもおかしくないだろう。
そういうことではないかなと…

河津以外の可能性

河津説の前提として、河津秋敏がプログラムを扱える人物だったことがある。

松野泰己が言っているのだが、昔のスクウェアの主要プランナーはプログラムを扱える人が多かった。坂口さん田中さん河津さんも全員プログラムの知識があり、自分でデータを用意できた。それはどうもスクウェアの特異な部分でもあったらしく、この体制はFF10あたりまで続いたことがわかっている。FF10のプロデューサーの北瀬佳範プログラマーだったことは一度もないのだが、自分でブリッツボールをスクリプトで作ってたんだと。

だがFF2の4人のプランナーで、一人だけこの条件から外れているのが石井浩一氏である。

>だからFFの開発では,坂口さん達から「石井は,データをやらなくていい」と言われていたんです。

石井氏は他のプランナーと違い、実作業ではドット制作に長けており、チョコボの動きまで10分で完成できるくらいの技術を持っていたのだが、イベントやバトル等はあまり扱わなかったと思われる。
ある程度はファミコンの仕様もわかってたようなので、全くやってないとも言い切れないが…

岩崎氏のブログに話を戻す。坂口博信とやりあった人と、プログラムの暗号化をした人物は同一人物だと思われていたので、石井氏は無意識に候補から外れていた。
だが田中氏の言うようにプログラマーは無関係だとすると、アルテマに思いを込めた人物がこの暗号化をできたとも限らない。
するとFF2に関わった全ての人間が容疑者として浮上してくる。その中でもバトルとシナリオの両方に関わっているプランナーとなると、河津秋敏だけではない、具体的に石井浩一

上記の知識を持って、岩崎氏の聞いた話を読み直してみる。

>「伝説のなんちゃらなんて、はるかに昔の技術がない時代のものでしかない。今の目から見たらどってことない、見劣りのするものが当たり前なんだ。だから『アルテマ』の性能が悪いのは当たり前だ。

>そして、苦労した挙句に、役に立たたないものが手に入るということは人生でよくある…というか、苦労に見合ってないのが普通なんだ。だから直さない!」

岩崎氏のブログの記事より、改行を追加して引用しました。
前半は設定上の理屈。これも「危険性がある禁断の魔法」とする2008年の河津説明と少し違うのだが、思想そのものは河津感がある。

だが後半の人生論はこれは理屈ではなく、論点が違っている。
確認したいが(誰に?)、これを主張した人物は一人だったのだろうか。まだチームのトップではなかった河津秋敏だが、もう一人のプランナーが味方についていたなら…?
そして多大な犠牲を払ってもそれに見合うものが得られるとは限らない、世の中そんなもんという人生観からの説明。これはFF2でも全編通して見られるテーマだが、これはFFシリーズの類型とは違う。
FF2のストーリーの特異性をもたらしている要素だが、これは考えてみればFFやサガよりも聖剣伝説シリーズで顕著に見られる思想ではないか…?

長々と書いたが、やはりアルテマの件を主導した人間は私にはわからない。石井氏が関わっている可能性を考えはしたが、これも確たる根拠はなく、例によって憶測だ。
ナーシャ・ジベリではないだろうし、アルテマの頼りにならない性能自体は、過去の発言から明らかなように河津秋敏の調整だろう。
だが弱いことが発覚したまま通っていった経緯となると、もう誰が関わってるかわからない。
石井浩一田中弘道という強力なプランナーが並び立つ中で、あくまでリーダーは坂口博信であり、河津秋敏ひとりでこれを押し切ったとは考えにくい、ということまでは言っていいと思う。
河津節だという田中さんの見解すら、明確な根拠はないと私は思っている。

最後に、岩崎啓眞氏のブログをかなり勝手に引用させていただき、好き勝手書いたことをご容赦願います。
岩崎氏のブログは移転されていますが、コメント欄がうまく移植されていなかったため、旧ブログのほうをリンクさせていただきした。以下のほうが移転先です。
岩崎氏の言っている要素が必ずしもFF2が最初ではないこと、それも含めてもFF2を重視している理由は、こちらのほうに追記も行われています。

ところで、この座談会が行われた『マル勝ファミコン』?の号数は特定できていません…

憶測は書きたくない

>昨日のF~F完結編の話のリプ等で「セガバンダイの話と関係があるに違いない」と予測されておられる人がいますが、関係ありません。もちろん、予測は個人の自由です。ただ、これらが第三者の認識と伝達によって、事実であるかのように変貌していくのだなと思い、かつて大学で広報社会学を学んだ私にとっては興味深いです(ちなみに卒論のテーマは「噂話とその拡散」でした)。

FFと全く関係ない話だが、こないだ寺田貴信氏がこうおっしゃってた。私も正直、この直前に言ってたスパロボFについてのぶっちゃけ話、セガバンダイも背景にあるんじゃないのかと思ってしまったのだが、そうじゃないのだという。

私が書いているのも予測というか憶測の話だ。気を付けたい。
FF2の開発資料、関係者の発言、その他を追ってきた本記事だが、繰り返すが大部分は憶測で、憶測で書くしかなかったものだということをご理解ください。
寺田貴信氏の言ってることは全くその通りである。もし、それっぽい話のつながりが見えたら、辻褄の合う事実関係のつながりが出てきたら、我々は背景を推定してしまうが、それこそが間違いかもしれない。
本記事ではFF2の開発経緯について、肝心な確認は何一つ取れていない。
もちろん資料から明白な事実があること書いてきたが、それがどこまでそうなのかは見極めて読んでもらうしかない。
しかし、あまり有名でないエピソードの紹介や定説の否定・批判はできたと思うわけで、何かはもたらすものだと思いたい…

フリオニールとは何者なのか

なんで岩崎氏の話までする必要があったかというと、FF2が一人称じゃないことが最後の謎と関わってくるからで、スルーできなかった。

フリオニールは石井キャラなのか河津キャラなのか今の私には定かでないが、いずれにしろ完全なプレイヤーの分身ではない。
しかし、全くかけ離れた人物でもない。そんなにプレイヤーの意思に反した行動を取る男ではないし、セリフもそれほど多いわけではない。
この距離感はサガシリーズでも、聖剣伝説などその後の主人公が喋るRPGでもよく見られるスタイルとなる。これは寺田憲史のシナリオに乗っかったものでもなく、河津秋敏らゲームメーカーが独力で到達したものだと私は考えている。

フリオニールは人物像も薄めだ。孤児であり、レオンハルトと共に育ち、マリアの兄のような存在であるという設定もゲーム内では使われておらず、フリオニールはただのフリオニールだった。

FF2のストーリーで昔からずっと引っかかってたことが一つある。ラスボスの最後のセリフだ。
ウボァーではなくて。

「お前は一体…何者…」
最後の言葉は、なぜかフリオニールの正体への疑問になっている。

再び開発資料を見てみる。25thアルティマニア80ページ「主要登場人物の一覧」
フリオニール

>本編の主人公・・・出生は謎、幼い頃にレオンハルトの両親に拾われ、レオンハルト、マリアとは兄弟のように育てられたが、

謎だと、はっきり書いてある。
確認してきた通り、マリアとガイの設定は後から追加されたもので、これは寺田氏の可能性も否定できないと考えている。
だがフリオニールが孤児だった設定は3月プロットの時点で存在している。
そしてフリオニールは最初期の河津作のプロトタイプから名を継いだ人物だった。これは寺田憲史の考えたものではない。

フリオニールが何者か、我々は知らない。当時の社内資料ですら明らかにされていない。
それは物語に影響しないから?
同じく孤児のガイは「モンスターに育てられ」と同じ資料にも明記されている。この設定もゲームには出てこないのだが、フリオニールは設定が埋もれたのではなく、最初からない。
ないのではない、わざわざ謎だと明記してあるのだ。社内向けの文書で。
何か考えていることがある?

フリオニールはシリーズの主人公でも珍しく、特別な背景を持たない普通の人間と考えられている。
クリスタルに選ばれた若者でもない。アルテマもクリスタルも徒労のようなものであり、フリオニールにもたらすものはなかった。そうなのか?

実はフリオニールたちもクリスタルに選ばれた光の戦士という後付けの解釈もなくはない…
2012年の『小説 ファイナルファンタジーI・II・III Memory of Heroes』という本がそんな感じの描写をしている。
こういう後付けができたのもクリスタルが一応あったからだが、でも後付けだろう。クリスタルに選ばれたあの場にいるのがリチャードだという問題も、やや強引にレオンハルトに引き継いでるが、そこにわかりやすい強引さが表れている。

プロトタイプのフリオニール

河津秋敏が書いたと思われるプロトタイプ版資料では、フリオニールは主人公ではなく過去の伝説の英雄とされていた。彼は命を賭け悪竜グウェインを倒したと伝えられるが、出自まではわからない。
残されたのが仲間の魔道士アイル。彼女もフリオニールの死後姿を消したとされ、数百年後の世界でどのように関わる案があったのかは不明。生きているのかどうかもわからない。

ストーリーを一新した3月プロットでは、アイルはパラメキア元王妃であり、皇帝の母親という役割に変わっていた。だがジプシーの占い師に扮してフリオニールたちを導く存在だったという…なぜ宿敵の母親が反乱軍の味方をするんだ?
そこは確実に何か案があったはずなのだが、詳しく書いてない。

夢魔の迷宮』では、アイルは役割を変えて登場する。彼女もまたこの物語の被害者であり、悪魔の意思に操られ世界に悪意を振りまく存在となってしまっていた。だが最後には正気を取り戻し、クリスタルの場所を伝える。
それはフリオニールに協力する原案とは違う人物のようではある。

3月プロットを最後に、制作資料にはアイルの名は出てこないのだが…
プロトタイプ版の設定の人物像は幾らか引き継がれているものもあり、アイルも名残があったとも考えられる。
なぜフリオニールはプロトタイプから、他でもない英雄の名を受け継いだのだろう。なぜ皇帝の母に、アイルの名が選ばれたのだろう。

そういやずいぶん後のサガシリーズにも、自分の特別な生まれを信じていない主人公というのがいたような…
もしかしたらフリオニールには何か背景があり、皇帝自身とも何か関係があり、その正体を自覚しないまま戦いを終えていたのだろうか。
それとも、戦いの中で何かを自覚していたが、黙っていた?

実はここは夢魔の迷宮でもちょっと引っかかる点がある。本書はサラマンドという土地がゲームとずいぶん扱いが違っているのだが、パラメキア帝国のルーツはサラマンドにあるとされ、ボーゲン伯爵もサラマンドの魔道士で、フリオニールもサラマンドの出身だということになっている。
どうもサラマンドで何かを結び付けようとしている。寺田氏も何か聞いていたのか、渡された資料を見てるうちに何か思うことがあったのか?

そして河津秋敏の制作スタイル。設定を作り込んだうえでゲーム中では全ては開示しない方式は現在も貫かれているが、FF2にもそれなりに適用されていると思われる。
フリオニールレオンハルトの両親に拾われた孤児であること、ガイが野生児であること、このあたりは開発資料にはあるがゲーム内では明らかにならず、後年に外部の設定で初めて明記されていった。
あるいは夢魔の迷宮の設定を、移植時にゲーム側で採用してるものもあるかも。

河津作が厄介なのはスタッフ内にも開示していない設定があることだ。開発資料にもモルボルがイソギンチャクとか、たぶんちゃんと共有されてない設定あったし。
この皇帝の最後の言葉の違和感を説明できるのも、この河津スタイルではないのか…
生まれもわからないフリオニールが何者であったか。
最後までやってきたプレイヤーは、フリオニールが英雄になったことは知っている。そのうえで、もう戻れないと言うあのエンディング。
言いたいのはそのようなことなのかなと思っていたが…やっぱりフリオニールは、最初から何者かであったのだろうか?
これも憶測だ。やはり何も意図していないのかもしれない。

エンディングでレオンハルトフリオニールも、戦いを経て何かに変わったことを自覚し、再会の希望を抱いたまま別れる。
果たして彼らが再会する日は来るのだろうか。ファイナルファンタジー2の続編はいまだ作られる気配はない。

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