神殿岸2

2と言っても実質1.5みたいなもの

『漆黒たる前奏曲』は知名度が高いとしか思えない

この数年悪魔城ドラキュラ 漆黒たる前奏曲ダークナイトプレリュード)』の値段がやたら上がっている。
2021年現在、少し値段は落ち着いたようだが完品なら10000円前後。ソフトだけでも4000円前後。ちなみに英語版(Castlevania legends)はもっと高いらしい。
ゲームの値上がりする理由はいろいろであるのだが、本作『漆黒たる前奏曲』、はっきり言って出来のいいゲームではない。それどころか出来が悪いことで有名だ。
だから本作の値段が上がる理由のひとつは市場に出回っている数が少ないせいだろうが、それだけでもない。
流通量が不足するほど本作の需要がある理由、単純に本作の知名度が高いからではなかろうか。
本作の内容はドラキュラ伝説IIや黙示録外伝といった完成度の高い作品や、あるいはストーリー上重要なPS2キャッスルヴァニアや闇の呪印あたりと比べても知られている気がする。
なにしろ本作は設定上の問題で公式に歴史から抹消されたことがあり、逆に悪目立ちしてしまっていること、そのストーリーが一瞬で語れるくらいの内容であるため伝承しやすいという、ネガティブな要因が重なっている。まったく誇れない知名度がここにある。
黒歴史にされた理由、それは1行で説明できるのだが、これを語ると本作の核心を全部語ることになる。記事の後半に具体的に書くので一応注意していただきたい。

漆黒たる前奏曲』が抹消された理由は設定が理由であり、ゲームの出来自体は歴史から消されるほど悪くはない
だが良い出来でもない
89年の『ドラキュラ伝説』以下の、本当にこれが97年の作品かと驚くレベルの簡素なグラフィック。驚異的な足の遅さを誇ったドラキュラ伝説と比べても劣る操作性。

特にグラフィックはかなりひどい。このドットのソニアの出来、ヤモリみたいなやつの適当さ、そして回転しない歯車。何もいいところがない。
しかしこれだって致命的な問題とはならない、すぐ慣れる。
操作は快適とは言わないがプレイに支障をきたすほどでなし、ドラキュラ伝説のような心が折れる難易度もないのでクリアまで遊ぶこと自体はそれほど苦行とはならない。
だが、それだけだ。全体的には褒められるところは非常に少ない。
悪魔城慣れしているプレイヤーでも数時間は飽きずに遊べる程度の完成度と難易度はあるし、数時間やってクリアしたら飽きて終わりである。そういう程度のゲームだ。

そう、これは確かに出来は悪いが、クソゲー呼ばわりするほど何かあるわけでもない。そこは本作の無駄に高い知名度の中で、どうも正しく伝わっていない気がする。
でも褒めるところもない。無理に褒める気もない。ただ出来の悪いだけのゲーム。

固有のゲームシステム

漆黒たる前奏曲はステージクリア型の悪魔城であり、基本的にはゲームボーイの『ドラキュラ伝説』に似たゲームである。
ただし、もう少し出来が悪い。
ゲームボーイに対応した主人公ソニア・ベルモンドのドットは小さく、非常に移動が遅く、ジャンプ力も小さく、狭い画面の中でこまごまと動く。
これ自体は『ドラキュラ伝説』と同じで、慣れるとそれほど気にならないが、重大な違いがあり、ソニアは空中で軌道を制御できるボタンを押した長さで高度が変わる
これも最新作だった月下を意識した仕様かなーと思うのだが、
つまり横+Aボタンを押し続けないとジャンプの距離が伸びない
そして月下と違い、このゲームの狭い画面で軌道制御が必要な場面は限られており、敵の攻撃を避けられるほどの機動力もない。
というか、うっかりボタンを押す量が足りなくて穴に落ちたりロープを掴みそこなったりと、この空中制御こそ本作の操作性の悪化の主原因となっている。クリストファーであれば、ロープを掴みそこなうことはまずなかった。
『漆黒』はジャンプ制御できることで操作性が悪化した珍しいゲームなのだ。

次にサブウェポンに代わる要素として、ソニアはハートを消費して「ソウルウェポン」というのを使える。ステージをクリアするごとに新しいソウルウェポンを習得することができ、覚えたものはセレクトボタンでいつでも切り替えられる。
効果はどれも強力で、画面全体攻撃や体力を全回復するなんてものもあるが、ハート消費量も多い。
本作のハートは画面を切り替えても復活しない。1ステージが長いので死ななければハートがいっぱいになるが、一度でも死ぬとあっという間に枯渇し、ソウルウェポンに頼れないことも多い。
少々調整が荒っぽいが、切り札・サブウェポンとして機能している要素だ。

そして本作の象徴といえるのがバーニングモード。ABボタン同時押しで即座に発動、一定時間無敵になりスピードとジャンプ力が大幅に上がる。
一度使うと死亡するかステージクリアまで再使用できないが、本作はゲームオーバーになっても同じエリアから再開できるため、死亡してやり直せば全エリアで1回ずつ使える。

バーニングモードとソウルウェポンに加え、その場コンティニューによる実質残機無制限、そしてステージ構成そのものが簡単なことで、本作の難易度は低めにおさえられている。
これは意図して低くしていると思われる。そもそも一般的な悪魔城は難しすぎるのではないか?
本作の難易度はバーニングモードなしでも全体的には初代ROM版のイージーモードよりは難しい程度で、難易度はシリーズの中ではかなり低いほうだが、しかし言うほど簡単でもない。バーニングモードやソウルウェポンは非常に強力だが、無敵だけでゴリ押ししきれない場面ももちろんある。
それにこれは明らかに救済策なので、簡単すぎると思ったら使わなきゃいいのだ。
ラスボスもドラキュラ伝説IIほどじゃないがまあまあ強く、2形態あるのでバーニングモードだけでは時間内に勝ちきれないように調整されている。
もうひとつの切り札である全回復のソウルウェポンも、ラスボス前だと存在するハート全部取ってちょうど一回使えるギリギリの調整になっている。
このゲームの難易度、少なくとも何も考えずに下げられているわけではないようだ。

このように基本の設計はそう悪くないのでは?という部分があるものの、それなりに出来が悪いのがステージ構造や敵の性能、配置となる。
敵の動きが単純なのは単に出来が悪いだけなのだが、ステージには特徴がある。本作はステージクリア型だが、ステージ内に脇道がよくある。
脇道の中にはコレクションアイテムが配置されているものがあり、全て集めるとエンディングが変化する。月下を意識してるのかわからないが、部分的に探索ゲームっぽさを取り入れているのだ。
だが、ただのハズレの脇道もある
苦労してダメージを受けていったり、バーニングモードで突破した先にダメージを回復するための肉があり、引き返す過程で結局ダメージを食らったりする。特にステージ1では、ただ体力を浪費させるだけの罠部屋がノーヒントで出てくる。
このようにただ道に迷わせるだけの構成に加え、画面を少し動かすだけで無限湧きする敵の組み合わせで、本作の迷宮構造は全体的に面白くなっていない。
でも考えはあったように見える。

本作、グラフィックはひどいものだが、イベント絵はまともだし、
ゲームバランスもゲームシステムも何も考えられてないとは思えない。
スタッフだって実績のある人が参加しているようだ。
だが、結果的には面白くない。
このスタッフにはちゃんとしたものを開発する実力はたぶんあって、もうちょっと時間をかけていれば改善する余地があった気はする。
なかったのは時間じゃないのか。

97年の状況

なぜこのようなゲームが発売されたのか。本作を取り巻く状況は意外と入り組んでいる。

ひとつめ。当時のコナミには悪魔城の開発ラインが少なくとも3つ存在した。
月下の夜想曲』のKCE東京。『悪魔城ドラキュラ黙示録』のKCE神戸。
そして『漆黒たる前奏曲』とサターン版『月下』のKCE名古屋だ。

このうち、KCE東京のスタッフであり、のちに悪魔城シリーズの常連プロデューサーとなるIGA氏が複数のインタビューで語っているのだが、当時の氏はKCE神戸が悪魔城のメインだという意識があったらしい。これは氏の在籍時代(Xクロニクルの攻略本とか)でも言及しており、退社後も同じことを言っている。退社直後の講演でKスタジオについて言及
当時の月下チームはメインではないという意識があったから、自由にゲームシステムを変更できたのだ。
ただしこれはあくまでIGA氏の思い出の中の認識である。神戸側にメインだという自覚がはっきりあったかは、よくわからない。後から振り返ってるIGA氏自身もよくわかってないかもしれない。
その後、悪魔城のメインラインはIGA氏率いる東京チームに移った、っぽいのだが、神戸と東京はともかく、コナミ全体にメインとかサブとかそういう意識があったのかどうか、外から見るぶんには疑問である。
ただ、名古屋がメインだと思ってる人はおそらくいなかった。名古屋自身にもそんな自覚はなかったはずだ。

ふたつめの問題は本作の発売時期、1997年11月27日。
96年発売のポケモンの空前のヒットによりゲームボーイは勢いを取り戻しており、KCE名古屋はこの時期に複数のゲームボーイソフトを出している。
ジャンルはポケモンとまるで関係ないが、客層はそれなりに意識していたかと思われる。
さらに、いつまで続くかわからないポケモンバブル(結果的にはずっと続いた)に間に合わせようという意識もひょっとしたらあった。
そういう状況の中でのKCE名古屋、ひどい評判のゲームボーイ作品を立て続けに手掛けている、らしいのだが、実際に出来が悪いのかは私はプレイしてないので知らない。
それら他作品についてはここで語る必要はないが、悪魔城に関しては、確かに出来が悪い、評判ほど悪くはない気はするが。

また11月発売というのは、月下の夜想曲の発売日の97年3月20日からわずか8ヵ月後だ。
はっきりと月下の影響が見える本作だが、これは月下の発売前から開発していたものに月下要素を後から乗せたのだろうか、月下の発売直後からものすごいスピードで開発されたと見るべきだろうか。
タイトルも「月下の夜想曲」と同じ感じにそろえて、血の輪廻からの三部作感を出してる。
ただ、本作の開発においてKCE東京の月下チームと連携を取っていた様子はまるでない。

ポケモンブームでのゲームボーイの急激な復権、あるいは月下の夜想曲から入ってきた新規層の開拓。
本作のアニメっぽい絵柄や、難易度の低さはこの影響が指摘できるところだ。
そしておそらく発売をかなり急いでいたということ。
そのうえで、メインとなる開発チーム?の監修のようなものがおそらくなかったこと。
この体制がKCE名古屋のせいなのか、コナミ自体のせいなのか、よくわからないが。
その状況で、本作は「初の女性主人公」「シリーズ最古」「人気キャラとなったアルカードが再登場」と、話題性、インパクトだけは重視している。その狙いは客へのアピールとしてある程度正しかったと思われ、だから現在もストーリーを覚えられている。

ストーリーのネタバレ

本作はシリーズ最古のベルモンドの話であることを発売前からアピールしていた。時代設定はあいまいだが、少なくともラルフより昔の話。
ここまではネタバレではない。

そして、もうご存知だと思うのでエンディングのネタバレをひとことで書くと、「ソニアはアルカードの子を産んだ可能性を示した」である。
可能性である、断定ではない。

エンディングのナレーションで語られている内容を詳しく書くと、

  • 本作がベルモンド家の伝説の始まりであり、魔王と人の戦いの歴史の始まりである。
  • ソニアは「ベルモンド家の運命と悲しき闇の血脈を受け継ぐ子供」の母となった。
  • ソニアの子供も魔王と戦い、人々に英雄と称えられた。

「悲しき闇の血脈」が意味するのは、普通に考えればドラキュラの血だ。
実のところ、作中でソニアとアルカードの関係はあやふやである。
だが、このエンディングを見た半分くらいの人は、アルカードの子だと受け取るはずである。

アルカードにこのようなことを言わせている以上、そう受け取られることを想定していないはずはない。
何も考えずに「かなしき やみの けつみゃく」なんて書くとは、さすがに思えない。
制作側も、半分くらいの人がそう受け取ることを意図してこのような書き方をしているはずだ。
しかし、断言ではないのは、そうじゃない可能性自体は残した書き方はしているのだと思う。
ベルモンド自体が闇の血脈だというのであれば、アルカードは関係ない。
のちにストーリー上の矛盾が発生する場合などに備え、逃げ道自体は準備していたのだ、おそらくは。

またソニアがベルモンド伝説の最初の人物であり、子供も知名度の高いベルモンドであることになっている。
この子供がラルフだとは書いてない。
本作発表時点で、歴史上もっとも古くて高名なベルモンドはラルフだった。ソニアはそれより前の人物なのだが、本作の情報ではソニアの子がラルフとは限らないようには見える。「ソニアの子」は14世紀以前の誰かのつもりだったかも…

それが誰の伝説なのか、語られることはなかった。

その後の年表の経緯

以下の経緯は海外wikiなどで集めた情報に基づくが、いくらか信憑性の定かでない内容も含む。大筋は合っていると思われる。

悪魔城年表の初出は97年のコナミマガジンだという情報が見つかったが、これが事実かはよくわからなかった。
ただ特定できた中でドラキュラ黙示録の頃「電撃NINTENDO64」99年2月号に誌上で確かに悪魔城年表が発表されたらしい。これがその後作られた年表の原型らしく、悪魔城伝説が1476年と設定され、漆黒たる前奏曲は1400年前後となっていたそうである。
つまり当初のソニアはラルフの母ではなかったのかな?

またこれは国内のサイトに書いてあったのだが、「ファミ通64+」で、ソニアはラルフの母で、相手はアルカードだと明記された、らしい。
※この情報元サイトは長年放置されていたものであり、プロバイダの都合に伴い2021年1月28日をもって閉鎖していたことを記す

つまり99年ごろ、月下から黙示録への勢いで悪魔城年表が書かれ、そしてソニアがラルフの母であるという設定が形成されたようなのだが、はっきりわからなかった。

またこれとは別に、かつて存在したKCE神戸の公式サイトでは1450年と明記されていたそうだ。
これはスクリーンショットwikiに保存されていた。→https://castlevania.fandom.com/wiki/File:Cvtimeline2000.jpg

血筋の問題についてはKCE神戸のサイトには書いてなかったのかな。
ただ1450年であるなら、ソニアがラルフの一代前なのは確実だ。

正確な初出はわからないが年表は作られ、ラルフはソニアの子という情報は一定量広まっていたようであった。
しかし、これは果たしてKCE名古屋が作った設定なんだろうか。上で書いた通り、ソニアの子がラルフという明言はゲーム中にない。
アルカードとの関係も暗示しつつも、そう解釈できるという逃げ方ができた。逃げ道のほうを後から潰された形になる。
…もしかして、このような断言が後からされていなければ、漆黒たる前奏曲は消されない可能性もあった?
いや、それはどうだろう。年表がなくてもやっぱり同じような扱いを受けていたという気はするが、
それでも現状の扱いはKCE名古屋だけで完結する問題でもないようである。
ラルフをアルカードの子と断定し、年表を書いたのは誰なのか。

結局本作はIGAがプロデューサーとなって以降に歴史から削除されることになったようだ。『悪魔城年代記』の頃に既にパラレル扱いにしている雑誌記事があるそうだ。
さらに本作についてはこっそりと年表から消すだけでなく、はっきりと消したことをIGA氏は何度か言明しているようだ。
知っているものだと「ゲームサイドVOL.16 2009年2月号」53ページより、漆黒たる前奏曲はパラレル扱いなのか?と聞かれ、
ほかの『黙示録』とか『サークル オブ ザ ムーン』とかは、制作者の意図として、「外伝」として扱っていますが、この作品だけは、どうやってもはまらないので、そのような解釈で良いと思います。
『黙示録』と『サークルオブザムーン』も年表に載っていないのだが、これらは外伝扱いということらしい、それもIGA氏じゃなく元の開発者の意向なのか?
「外伝」とは載せなくてもいい歴史のことだろうか?「年表に載ってないけどパラレルじゃないっぽい」みたいな?
パラレル同士でも格差がある?
そもそも悪魔城自体がパラレルを内包している(リヒターやシモンのドラキュラ退治は複数バージョン存在する)とか、設定の食い違いもところどころで起きている。はっきり言って性根が適当なシリーズなのである。正史と外伝の差にも定義があるわけでない、いろいろ曖昧。
だがその適当な世界において漆黒たる前奏曲』は別格、というのがIGA氏の発言からわかることである。別の海外インタビューでも同じことを言っているようで、これらはコナミの広報などもおそらくチェックしているだろう。何よりIGA氏に多数のインタビューを受けさせて目立たせていたのはコナミ自身なのだ。IGA氏ひとりの見解ということもないはずである。
実際ベルモンドの一切登場しない『サークルオブザムーン』については自覚的に外伝的作品にしているようであり、年表に載せない判断がされたことに信憑性がある。
もっとも黙示録はそうでもないのだが…これはまた別の機会に書くかもしれない。

何が「はまらない」のか

実のところ、「ベルモンドにもドラキュラの血が入ってるかも?」という可能性自体はありえるものだったと言える。それは他作品に対してもストーリー上の大きな矛盾とはならないし、むしろベルモンドの特別性の裏付けになる。
いずれ、そういうストーリーが公式に出てきてもおかしくはなかった。
いや、実際に出てきたというかなんというか。

その話はともかく、問題があるのはアルカードの人物像のほうにある
明らかにアルカードはベルモンドの先祖ではない。ドラキュラ様ならともかく、アルカードとベルモンドの関係はそうじゃないことは、本作の前提である月下の夜想曲でも、そしてその原作である悪魔城伝説のラルフとのやり取りでも描写されている。
ラルフの父親がアルカードというのは、悪魔城伝説からその可能性が出てくるのは、ちょっとわからない。
アルカードの子じゃないとして、ラルフ以前のベルモンドと接点を持っていたということさえ信じがたい。
ソニアの前から姿を消したアルカード、キャラ自体は月下の影響を受けて湿っぽくなってるのに、悪魔城伝説では最愛のソニアの子孫であるラルフに気づかなかったのか?
それとも知ってて襲い掛かってきて、しらんぷりしてドラキュラ退治に協力させていたのか?
これは、ちょっと受け入れられない。

しかしこの設定の可否以前に、こんな重大な設定を語るには本作はあまりに出来が悪すぎた。
結局はゲームの出来が問題ということかもしれない
そもそもアルカードの人物像は悪魔城伝説から月下で既にだいぶ歪められていた気もするが、月下は出来が良かったので完全に許された。
KCE東京はメインラインじゃないから、あの悪魔城伝説最弱キャラで、重大な設定の割に長いこと再登場もしなかったアルカードを300年ぶりに叩き起こして大改造することもできたわけである。
もし月下が駄作だったとしたら普通に無かったことにされ、アルカードもろとも歴史に消えていただろう。このへんKCE東京もメチャクチャなことをしている。
KCE名古屋もそうだったんじゃないだろうか。
おそらく漆黒たる前奏曲は名古屋と関係ないところが年表に組み入れ、名古屋と関係ないところが年表から消した。
当時のコナミKCE神戸にも悪魔城シリーズを管理する偉い人などいなかった、あるいはこの前後もずっといなかったんじゃないか?

月下と違って、漆黒たる前奏曲は名作ではなかった。月下の設定を使いながら、月下チームとやり取りをした様子もない。
もちろんストーリーの出来もゲームの出来に含まれる。ドラキュラの血がどうのこうの以前に、アルカードがソニアとどんなふうな接点があったのか、ゲーム内でろくに語られない。ソニアが闇の子供を産んだという結果だけがエンディングにぶち込まれる。
アルカードどころか、ソニア・ベルモンドがどういう人なのかさえ、よくわかってるとは言えない。

繰り返すが、本作はクソゲーと糾弾するほど出来の悪いゲームではない。
だがそれはストーリー部分を除いた評価である。登場人物3人、会話2回だけで構成されるストーリーも全く良いところはない。
このように出来が悪いだけのゲームに歴史を揺るがす設定を作られるというのは、かなりイヤである。
もしベルモンドとドラキュラの起源が交差するのであれば、もっと入念にストーリーを書かねばならなかったし、それに応えられるゲームでなければならなかった。
「可能性は示しつつ、解釈に逃げ道だけ残しておく」みたいな中途半端なシナリオではダメに決まっている。
本作は歴史に致命的な影響を与えるだけでなく、別の作品で原点を語り直す可能性さえ封じている。ただのネタ潰しではないか。

本作が存在した事実は消せない。だが、なかったことにはできた。
「なかったことにしたこと」をIGAの名で明言し、隠蔽の責任をIGAに押し付けておくというのは、ベストに近い対応であったと思う。
でも、この抹消そのものこそが、本作の知名度を高めている原因ではないだろうか。

キャッスルヴァニアとは矛盾しない

のちにベルモンドのルーツを語るキャッスルヴァニア(PS2)が登場したことで、本作は否定されたと主張する向きもあるのだが、実のところ『漆黒たる前奏曲』と『キャッスルヴァニア』には大きな矛盾はない。両者は語っている箇所が異なる。
11世紀が舞台のキャッスルヴァニアで設定されたのはヴァンパイアキラーのルーツであり、レオン・ベルモンドの数百年後にようやくドラキュラ退治が始まることまで決まっているのである。
この妙に長いブランク、ソニアが入る余地をわざと開けている感さえある
一方『漆黒たる前奏曲』はヴァンパイアキラーやベルモンド自体のルーツは全く語っていない。ソニアは最初から不思議な力と鞭を持っている。本作は発売当時の設定では最古だったというだけで、実はベルモンドのルーツをちゃんと語っているとは言いがたい。ここに11世紀のキャッスルヴァニアがあろうとなかろうと関係はないというのが当方の意見だ。

(余談になるがキャッスルヴァニアもベルモンドそのもののルーツというか、レオンの超人的な強さの理由は語っていなかったりするが…
言いにくいのだが「設定やキャラクターのインパクトばっかり重視してストーリー自体がおろそか」という批判は、『漆黒』ほどひどくはないがキャッスルヴァニアにもだいぶ刺さる)

ベルモンド伝説のルーツ

どっちかというと『漆黒たる前奏曲』に抵触するのは後期の『闇の呪印』と『ジャッジメント』で、「魔王ドラキュラはラルフの時代に人間を攻撃しはじめた」「初めて倒したのがラルフ」というストーリーが語られている。
これは、かなり強めに明示されている。
まあ、この二作の内容もあまり知られている気がしないが…

現在『悪魔城伝説』の設定と異なり、ドラキュラ自身は15世紀よりずっと以前から吸血鬼だったことになっている。これは『漆黒たる前奏曲』以前に『血の輪廻』『月下の夜想曲』の2作で作られた設定だ。
だが、その後の作品でも魔王としての行動自体は『悪魔城伝説』の頃と変わらず15世紀からとなっている。このことをゲーム中で明らかにしたのは闇の呪印なのだが、イメージ自体はキャッスルヴァニアの開発前からあったようだ。
ラルフはベルモンドの開祖ではないが、ラルフより前にドラキュラと戦ったベルモンドもいないことになっている。
そして『悪魔城伝説』は年表で1476年とされているのだが、これは史実のドラキュラことヴラド・ツェペシュの没年に由来するようだ。史実に根拠のある設定を動かすのは、難しい気はする。「ラルフが最初」という意識が強いのはこれが理由のように思う。

でも、もしかしたら歴史に埋もれて、ラルフの前の代にもドラキュラと戦ったベルモンドもいたのかもしれない…?
一応解釈する余地は残っていなくもない気はする。
現状の時系列を生かしつつ、ラルフより前のベルモンドが今後現れないとは言い切れない。

現在

IGAがコナミを去り約7年。去る前に悪魔城シリーズもロードオブシャドウというリブートがされて、それも氏が去った直後に完結した。
現在の悪魔城はリブート前の世界に戻ってきてるらしい。
2018年には悪魔城ドラキュラ公式サイトもリニューアルされ、漆黒たる前奏曲の消されていた年表そのものも公開されなくなった。

漆黒たる前奏曲』は、公式サイトに今も掲載されている。
本作は年表からは消されていたが、タイトルごと消されたことはない。掲載漏れしていることの多いAC版『悪魔城ドラキュラ』などと違い、公式の作品一覧にはもれなく載っていた。
だが公式サイトにはアルカードが出演していたことも、ソニアの苗字がベルモンドであることさえも書かれていない。これはIGA体制も年表も消えた現在の公式サイトでもそのままだ。
おそらく今後もずっとそのままであろう。復刻されることもないと思われる。

追記:復刻されたわ。

コナミ任天堂の考えてることが僕にはわからない。

リザレクション

ちょっと時期を戻すが、2000年に発売中止になった『Castlevania: Resurrection』という作品にソニアが登場する予定だったと言われている。
伝わっている内容によると、ハードはドリームキャストで、開発は北米のコナミ
黙示録に続く3D作品で、試遊できる程度の開発度はあったらしいが、どうやらPS2の波が来ていたことから開発中止になったという話。
ストーリーも一部伝わっており、舞台は1666年で、19世紀のビクター・ベルモンドと、15世紀のソニア・ベルモンドの2人が時空を超えて召喚される?
いやそうじゃなく、ソニアは墓から生き返ったらしい?
みたいな内容だったとかなんとか。かなり特殊な設定だったようである。ソニアも原作そのままの設定だったかは、わからない。
内容の真偽も含めて詳しいことは海外サイトを掘ってほしい。
なおビクター・ベルモンドは同名の人物がロードオブシャドウ2に登場しており(リブート版ユリウスに相当するらしい)、失われた本作を意識したものだという。

セピア・ベルモンドとか

気がついたらコナミになっていたボンバーマンの派生作である『ボンバーガール』、そこにベルモンドも参戦していた。
設定画に書かれているメモによるとセピア・ベルモンドのデザインにはシモン・ベルモンドとココロ・ベルモンドのオマージュが含まれている。
だが設定画には書いてないが三つ編み部分はソニアのよーな気もする。爆弾の導火線をイメージしてるのかもしれないけど。

肩出しスタイルもソニアとよく似ているが、これはソニアというより元々シモンがそうだからだろう。シャノアとも似てる。
いやシャノア自身がソニアに寄せているデザインだったのだろうか?
クイズマジックアカデミーにも『漆黒たる前奏曲』やソニアを扱う問題があったらしいし、歴史から抹消したが、ソニアの何かを残したいという意識自体は、ちょっとあるような気もする。

そんなモチーフと関係なく、公式マンガ内ではユリウス走法(ジャンプ→ジャンプキック)を多用する様子が確認できる。
なお『ボンバーガール』ゲーム内にジャンプキックなどない。