神殿岸2

2と言っても実質1.5みたいなもの

富野由悠季はVガンダムを全否定していない

富野監督によるVガンダム否定は有名な話であり、最近も
http://www.v-gundam.net/product/
>この作品は全否定したいと思っているものです。
という発言が出てきた。
この富野監督の発言が意味するところは簡単で、富野監督はVガンダムを全否定したいと思っているけど、そこまではできないのである。

「それがVガンダムだ」などに見られる富野のVガンダム否定だが、ここではそれらの幾つかを振り返って、富野はVガンダムを否定しきれていないことを明らかにしたい。

まずは「∀の癒し」から。

「∀(ターンエー)の癒し」(2000年)
富野由悠季によるエッセイ。∀ガンダム放送終わりくらいに書かれたもののようだ。
Vガンダム否定が始まった、たぶん最初の本かと思われる。
主な批判は「Section1 ∀の前 病気のはじまり」節に書かれており、戦艦のようなものを出せと言われてバイク戦艦を出すことになった恨み言に始まり、「画面に散乱するメカニックの無様さには、閉口しつづけた」「ノベルスでフラストレーションを吐き出すようなことをした。これがぼくの悪い癖で、その結果TVの仕事ができなくなったのだが」と否定的な言葉が並ぶ。
とはいえ「ぼくは一本一本の話をおもしろくする努力はした」「『Vガンの制作はまがりなりにもまっとうできたはずなのだが』」ということも書いてある。決して力を抜いていたわけではなかった。
だが打ち上げパーティの場で、最終回のラスト・カットのカメラワークが狭い画になったことで撮影スタッフに謝られ、「それは、撮影部のミスではなく、ぼくのコンテの組み方がまずかったからだ」と打ちのめされた話が象徴的に書かれている。
そしてこのVガンダム終了以降、富野監督はめまいと耳鳴りに悩まされるようになったといい、当時は鬱だと考えなかった、前兆は一、二年前からあったらしいと振り返っている。つまりVガンダム制作の時点で前兆はあった、ということになる。
(この本はタイトルの割にこんな感じの話が長く続く)
富野監督はVガンダムの頃から精神を病み始めており、そこにあまり良くない思い出もあったようだ。
ただ、作品自体の否定にはまだ至っていない。この2000年の時点でそこまで強い否定はしていなかったのだ。

「それがVガンダムだ」(2004年)
まず、この本について説明が必要だ。「機動戦士Vガンダム徹底ガイドブック」と題しており、これはVガンダムのDVDメモリアルボックス(持ってない)の発売に合わせた副読本的なものであった。
そしてこの本の後半には、著者ササキバラ・ゴウによる富野インタビューが載っているのだが、これはDVDボックス用のインタビューと兼ねて行われたという。
すなわち、有名な「買ってはいけません」はこのインタビューから出てきたようだ。

それで。
「買ってはいけません」発言を富野監督から引き出してしまったのはササキバラ・ゴウさんの可能性がある。

インタビューの中身に入る前に、この本の前半部分が問題となる。この本の前半はササキバラ・ゴウによるVガンダム全話解説となっていて、Vガンダムが手離しに褒められる番組ではないことは読者もよく知ってることであろうが、それにしても第1話から
>それでも、この回の出来がよければ、まだ良かったかもしれない。しかしこの第一話は、冒頭四話の中では最も不出来な仕上がりに感じられる。欠点ばかりをあげつらっているようで心苦しいのだが、この第一話はシリーズ全体の中でも、決して優秀な部類には入らない。
メチャクチャ低評価である。
そしてササキバラさんはインタビューに際し、事前にこの前半部分の原稿を富野に渡してしまった。
富野はインタビューに際し、この原稿は読んだがアニメを見たとは言っていない。
すなわち富野のインタビューの下敷きにあるのは単なるアニメの記憶ではなく、ササキバラさんの率直過ぎるVガン感想によって思い起こされた記憶だ。
これを読んだ富野は、ササキバラ原稿に「分裂症寸前を自覚して生きようとしたら、カラッポの理が走る。カラッポの知が走る。それがVガンだ。」 という謎のメモを追加した。
そしてインタビューでは「『Vガンダム』が、なぜこんなにメチャメチャだったのかというと」というが、「こんなに」ササキバラ原稿でメチャメチャに書かれていることを受けての発言と見てもいいだろう。
フォローしておくと、ササキバラさんの全話解説は後半になるほど評価の高い回も増えてくるし、富野監督にしろこの解説自体をそこまで高く評価していないので、この解説に振り回されたのとも少し違うだろうとは言っておく。
ただ呼び水になった可能性は十分ある。

さて、この本のインタビューはとても長いので、全文を抜き出すことはできない。
だから幾つか断片的にピックアップしていきたい。他所のサイトでも否定的な部分はすでに抜き出し済みって感じだが、否定以外の部分もかなりあるのだ。

サンライズバンダイに譲渡された話
Vガンダムの企画が始まった時点で、富野は伝えられていなかったがサンライズの買収話は始まっており、それを番組終了まで知らなかったという話を述べている。
それで交渉の条件としてのガンダム制作だったという話、制作体制が希薄であった、薄いスタッフ編成だったという富野の印象が述べられている。
このあたりは富野の印象であって、どこまで事実なのかは定かでないが…
>きっと僕は「何かおかしいな」と思ったから、カトキ、逢坂に声をかけたんでしょう。
こう述べており、メカデザインのカトキハジメと、キャラクターデザインの逢坂浩司に声をかけたのは富野監督自身のようだ。
「集まってくれたスタッフたちには誠に申し訳ないんですが」とVガンスタッフをいろいろ悪く言う一方で、この両名についてはインタビュー中でも高く評価している。
※後述するが、カトキ氏・逢坂氏は2人とも起用の経緯が通常と違っていたことを別の場所で述べていた。裏で富野が直接指名していたということを裏付けるものとなるだろう。

・「陰のプロデューサー」の話
「∀の癒し」でも述べていたバイク戦艦のくだりについても再度触れている。
製作が始まった頃にバンダイ本社に呼ばれて役員から「戦艦を出せ」と言われ、それがバイク戦艦につながるのだが、その人物のことをいろいろ悪く言っている。
>彼は『コン・バトラー』『ボルテス』は、自分が作ったというプライドがある方ですからね。
ちょっとこの条件に合う人物は元バンダイ村上克司氏しかいないと思われるが、本書でも「∀の癒し」でも村上氏の名前は出していない。

・ギロチンの話
初期の企画書にはギロチンの話があったという。
そのほか、地名から取ったザンスカールという名前についての思い入れ。
>天に一番近い国で、しかもザンスカールという音を獲得した。純アジア系でもない、西洋でもない。そういう人種の住む国というのは、これはシンボルとして使えるだろうなというふうに考えました。
それから、ギロチンの家系であるファラがいたという。
他にも
>ギロチンというのは歴史的に初めて、人殺し――処刑をする時に、手の延長線上にある物として、いわば遠隔操作的な目的で作られたものです。
ギロチンへの思い入れは、このインタビューの時点でも強い。
またマリアの名について、「世界で一番使われている女性の名前」であるとし、
>そのくらい、音の持っている力があるように思えたし、全部そこに統治していく構造の物語に作れていってらいいなと、思っていました。
>とてもシンプルでしょう?そして、それを阻害するようなギロチンというのものを置いておけば、物語は創れます。

このように書いている。

富野はVガンダムの多くの部分、特に製作事情について否定的なようだが、ギロチンのことなど、いくつか具体的な案も覚えているし、その思いに否定は見られない。
こういう発言がある以上、センセーショナルな否定部分だけ広めるのは良くない。

本書のインタビューで明らかになったことは他にもいろいろあるが、引用はこのへんにしておく。

他にいくつか見つかった富野のVガン言及

富野由悠季戦争と平和(2002年)
富野由悠季大塚英志ササキバラ・ゴウ上野俊哉の4名が対談している様子をまとめた本。著者代表が富野由悠季になっているが、実際に企画を立ち上げて編纂しているのは大塚英志で、大塚氏の思惑がかなり反映されてしまっているのだが、どうも大塚氏の意向と富野の思想が噛み合ってない感じで、読んでてだんだん違和感が大きくなってくる。

ササキバラ・ゴウがバイク戦艦に「非常にインパクトを受けました」というくだりがあり、富野も
ササキバラ それは、ねじれた爽快感といいますか、非常に気持ちよかったです。
>富野 はい、だから決してほめられたものじゃないんですが、そんなわけで、決して淡白にやっていたわけじゃありません(笑)。
なんか結構反応がいい。
ササキバラさんはVガンダム好きらしく、他にも数か所Vガンについて言及しており、「それがVガンダムだ」の前身として意味のある本となっている。
(どうも他の参加者はVガンダムはそれほどでもない感じ)

アニメ「機動戦士ガンダムUC」公式Twitter

バイク戦艦登場の経緯にいろいろ言っていた富野だが、アドラステア自体は好きになったという。
思えばGレコにもバイク戦艦の飛行形態に似ている戦艦が出てきたし、もともとデザイン自体は納得してたのかもしれない。

Newtype100%コレクション 機動戦士Vガンダム VOL.2(1994年)
こちらの放送終了直後のムックでも富野はインタビューに答えている。
別の本(機動戦士Vガンダム大辞典)のインタビューは「その場しのぎ」のものだと「それがVガンダムだ」で振り返っている富野だが、こちらもそうなのだろうか?
幾つかピックアップ
>「Vガンダム」はロボットアニメとしては失敗してしまいました。
堂々と言うなあ。
>しかしそのおかげで、この物語はこれまで僕が手がけてきたガンダムシリーズをなぞったものではない作品になりましたし、小説や普通の映画のストーリーテラーとしては、貴重な経験を積ませてもらえたと感じています
このインタビューは全体的に肯定的である。「その場しのぎ」なのかもしれないが、商業的失敗と作品としての出来は切り離して語っており、ある程度の手ごたえは感じているように見える。
あと意外だったのが
>僕はカガチという人物は、かなり理想的な老人なのではないか、と思っています。
マリア主義について
>本音を言えば、あれも本当は現存するいずれかの宗教にしたかったのです
UCで思いっきりイスラム教が出てるけど、あれ富野・宇宙世紀的にどうなんだろ…
インタビューの最後はラストシーンを「十分に満足のいくものであった」と結んでいる。
他に富野によるバイク戦艦やタイヤ付きモビルスーツ、エンジェルハイロゥのイメージスケッチが掲載。

月刊Newtype98年12月号
連載「GUNDAM FIX」終了記念でカトキハジメと対談している。この連載が「とても好きだった」という富野だが、
ガンプラが嫌いだとか、否定的な発言をしたことは一度もありません。
という珍しい言及に、カトキハジメ
>そういった模型スピリットに関する発言は、いま初めてうかがった気がします。
と反応している。その流れで、
>いまでも腹が立っているのは「Vガンダム」のときにカトキ君がデザインしてくれた戦艦。あのモデルをつくってくれなかったことですね。
という、メカ自体ではなくメーカーに対する怒りを語っている。カトキデザインの戦艦とはアドラステアではなく、スクイードやアマルテアのことである。
それらの商品化ができなかった理由がメーカー側のセンスだけとは思えないのだが、カトキ氏は何も言わなかった。

偶然だが、同じ号で逢坂浩司V2ガンダムを描いている。
>「次のガンダムのキャラデザ逢坂君でいくから」と、突然の電話。状況がしばらく理解できませんでした。キャラデザの発注の仕方が普段とはちょっと違っていたからです(説明は割愛)。しかも、あの富野さんが監督と聞き、ますます混乱。
書き方からすると電話をかけてきたのは富野本人ではないようだが、何かイレギュラーがあったようで、富野が直接声をかけたとする情報の裏付けになるかと思われる。

富野由悠季全仕事(1999年)
富野のインタビューも多い本で、Vガンダムについてもやや否定的に少しだけ語っている本だが、ここはカトキハジメ出渕裕の対談に注目したい。
カトキハジメは、
>『Vガン』で僕に声がかかった理由は良くわからない。
コンペはあったというが、プロデューサー経由だったのかどうかカトキ自身もわからず、富野から直接指名された可能性も否定はしていない。
富野がカトキを知ったのはZZ時代なのか、センチネルなのか0083なのかカトキ自身もよくわかっていないという。
(「ALICEの懺悔」の巻末によると富野はセンチネルを知ってはいたようだ)追記:これは間違いで、特にそういうことは書いてありませんでした…

また、
>僕が描いた赤い尖った戦艦(スクイード)も、富野さんが気に入ってると聞くんですが、正直僕はあまり気に入っていない。富野さんの気に入るものと僕の気に入る物と僕の気に入る物が違うことはよくあります。僕のなかではV2ガンダムって結構気に入っているんだけど、富野さんにとっては胸のでっかいVの字はアウトだったようです。Vガンダムの額のVの字にも抵抗あったみたいですよ。
富野がV2ガンダム気に入ってないという情報源はこれか?
小説版のセカンドVで胸のVがなくなっているのもこの影響と想像されるところである。