神殿岸2

2と言っても実質1.5みたいなもの

『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』 令和のリアルドラクエ

フルCG映画「ドラゴンクエスト ユア・ストーリー」については公開3日目にしてゲーム好きの人たちの怒りの声が続々と聞こえてきているのご存知かと思う。
僕はそこまでは怒っていないが、怒る人たちの声もほぼ理解できる。
僕が怒ってないのは、ひょっとしたらゲーム自体への愛がそんなに強くないからか…。
思い返せばドラクエ5は何周もして結構やったほうだけどSFC版しかやったことなかった。

・どういう映画か

「ユアストーリー」はドラクエ5をベースにした映画でありドラクエ5そのものではない。ゲマとか出てくるけど主人公が勇者っぽかったりサンタローズがやたら寒そうだったりと様々な変更がされている。ドラクエ5と似て非なるオリジナル作品である。
…とでも思った?

この映画には世界観を揺るがす大変重要な設定が仕掛けられている。
端的に言うとその仕掛けが大失敗しているためにみんなが怒っている。3日目にして一切容赦のないネタバレが飛び交っているのも、こんなしょうもないものを隠しておいてどうなるのだという率直な感想の現れだろう。

当ブログは全編酷評するつもりはなく、9割がたいい映画だと思っているが、残りの1割の本作の仕掛けが致命傷だという意見はほぼ酷評してる人たちと変わらない。そのネタバレを本記事も自重せずだいたい書くことになるが文句はあるまいね。
あと古いドラえもんの映画とかレーシングラグーンのネタバレも一部書く。

・どういう世界観か

終盤で秘密は突然明らかになる。
主人公は実はドラクエ5をベースにした体験型ゲームをやっているおっさんだった。

もう一度書く。ドラクエ5をベースにした体験型ゲームをやっているおっさん。
これはドラクエ5をアレンジした似て非なるストーリーの映画ではない。ドラクエ5をもとにした、ゲームそのものの映画だった。
そのゲーム施設にいたのは数十年前にスーファミドラクエ5をやっていた経験のある、ビアンカ派で若作りの男。回想でゲーセンの店員とその状況を話している。主人公は、なんかこのゲームの未来パワーで記憶をキャンセルされており、ドラクエ世界に入り込んでいる自覚もなく幼年編から体験していたのである。ソロで。
もっとも主人公も店員も山田孝之佐藤健が実写で出てくるとかじゃなく、CGで描かれたおっさんなので現実なのか何なのかもうよくわかんないんだけど…
その世界観を終盤急に出てきたミルドラースから説明され、リュカは記憶を取り戻す。正確にはゲームキャラであったはずのミルドラースに擬態した謎のコンピュータウイルスだ。何そのウイルス。ミルドラ本人の説明によると、いい年してゲームやってる大人に対する悪意ある作者が作った?らしい?

物語の背景が見えてこない。悪役の目的が薄い。思想が薄い。世界観が薄い。
こんなありきたり、見飽きた、使い古された、黴の生えた世界観を、21世紀に衝撃の展開として持ってきている、その事実が衝撃だ。この設定じゃ二十年前でギリギリだろう。
現実だと信じてた世界が実は仮想世界だった…このとっくに使い古されたプロットに求められるのは、どのようにそれを明かすか、それを自覚した主人公が何をするかではないのか。だがユアストーリーは急に出てきてゲームを邪魔してきたミルドラースを、これまた突然現れたワクチンソフトのくれたロトの剣でやっつけるだけである。
いや実はミルドラースが出るとは事前に公表されていたが、ミルドラースミルドラースではなかった。そりゃ原作のミルドラースって別に人気ねえし、このミルドラースミルドラースではない)のいい加減な存在こそ原作を尊重しているという見方はできる。ゲマをやたら持ち上げてミルドラースに存在感がないとかユーザーが言ってるからこうなるんだ。
お前たちがミルドラースミルドラースではない)を作らせたんだ!

ゲームの世界を守った主人公は、ゲームのことが好きなので仮想のビアンカたちとの体験を否定しない。
それで終わり。
本作にあるのはゲーム『ドラゴンクエストV』とそのプレイ経験を肯定するメッセージだ。しかし、それが何だ?
ゲームキャラのビアンカをゲームキャラとして肯定して、ドラクエ好きなおっさんの思い出も肯定されました、で世界観のちゃぶ台を返された客の心情は納得できるものだろうか。ゲームキャラのビアンカは現実世界を知るわけでもなく、主人公もビアンカ(巨乳)を嫁として愛しているけどゲームキャラだと知ってるし、現実に戻ったらいなくなる嫁に何を思うのか描写されたわけでもなく。
これはゲームとしてのドラゴンクエストを肯定する物語だった。だがそれはゲームはゲーム、物語は物語でしかないという前提に立った上での話になる。
この映画もただの映画でしかない。
虚構の存在であるビアンカとフローラにちゃんと向き合っていない。十分に盛り上げたフローラとの結婚イベントもしょせんただのイベント、主人公がもう一回このゲームをやるときは今度こそフローラにしようって思うだけだろう。主人公の佐藤健(仮)はそれでいいのかもしれないが見てる客は佐藤健ではなく、ミルドラースという薄っぺらなキャラクターによる、ゲーマーを小馬鹿にしたメッセージのほうが明らかに強く印象に残る。

ドラクエ5のリメイクだった

納得の行く描写もあるのだ。本作は単なるゲームの映画化ではなく、未来の架空のゲームの映画化なのだから
本作は幼年編がやたら短時間で終わる(だからパパスの出番は少ない)のだが、それは主人公が幼年編をスキップする設定で始めていたからであることが明かされる。ゲーム画面みたいな演出や不自然なセリフがたまに入るのもゲームだから。伏線はちゃんと張られている。レーシングラグーンの名前入力画面みたいな伏線の張り方だ。
ドラクエ5とストーリーが違うのは、これがドラクエ5じゃないから。原作ありきのゲームだから、レヌール城の話がほぼカットされてるのに話題にはやたら上がるし、逆に妖精の国は行ってなかったり、フローラとの幼年期の接点が強まっていたり、ゴールドオーブがドラゴンオーブになっていたり、主人公も天空人の子になっていたり、娘の存在が省略されていたり、仲間モンスターが3種類しかいなかったり、激しく改変カットされている部分もある。これはあくまでドラクエ5を基にしたドラクエ5じゃないものだから、都合により原作通りにするのも原作と変えるのも自由自在。
5以外のBGMがよく使われてるのも派生作品ではありがちなこと。ロトの剣が出てくるのはプレイヤーには当然ロトシリーズ知識もあるから。
9割いい映画だと言ったが、それは映像自体はいいよという話でありストーリーの削り方にはアラもある。しかし、これさえもスクウェア・エニックスならこういうゲームを作るというリアリティがある描写なのだ。
本作の全ては、根底にある体感型ゲームという薄っぺらな世界設定に則って正しく作られたものだ。この映画で語られる物語は「未来のスクエニによって開発された数時間で終わるドラクエ5もどき」でなければならないから、そのようになっている。
現にドラクエ5から27年後に作られたこの映画がこの内容ではないか。この映画が実在する事実そのものが、この映画で語られるゲームのリアリティを高めている、完璧な循環構造だ。いやこれはもうリアリティではないね、この映画はリアルそのもの
映画作ったのスクエニじゃないけど、でもこの映画化を通したのはドラクエ作ってる人たちでしょう。
脚本を書いた山崎貴監督の責任ももちろんあるけど、他の人たちもドラゴンクエストをこの程度の話だと思っている。ゲームばっかりやってると、こういうありきたりなストーリーがすごいアイデアに見えたりすることもあるんでしょう…
スクエニの手でこんなリメイクを見たらぶっ壊したくなるというスーパーハカーさんも出てくるかもしれない。これでミルドラースの発生原因も説明できたぞ。

話題になっている主人公の名前がリュカなのも理由があり、主人公のおっさんが昔からドラクエ5で使ってる名前だったからだ。
PS2版以降のデフォルト名である「アベル」よりも、SFC時代から使われてるリュカであったほうがいい。小説版の名前を無断使用しているくらいのほうがリアルだと言えよう。リアルだった…。

・ありきたり

ありきたりとは言ったものの、僕も基礎教養が足りない人なので、そんなに仮想現実をテーマにした作品に通じていない。マトリックス(1999年)も見てない…

見た経験あるのでパッと思いついたのが「ドラえもん のび太の夢幻三剣士」(1994年)だった。これは「ゲーム」とは呼ばれていないのだが、ほぼ未来のコンピューターRPGと同じものをテーマにした作品で、ユアストーリーと比較すべき点が多い。
のび太は夢だと自覚しているのが違い。
物語の原因である「気ままに夢見る機」自体はどこかで見たようなひみつ道具であり、世界観の逆転をおおげさな仕掛けに使ったりはしていない。ファンタジーっぽい映像を見せるのが目的なら、別にゲームだと自覚してても問題はないのだ。
本作のちゃぶ台返しは、虚構だと思っていた世界にも現実があったことにある。本作の終盤、のび太もドラもやってられなくなってゲームを途中で投げ出したら、ゲームの世界の住人から怒られて結局ゲーム世界を救いに行くことになる。虚構の世界でも救わなきゃならないというテーマはユアストーリーと同じであり、ゲームキャラだと自覚している妖精も敵のオドロームたちも人格あるものだということは誠実に描写されている。
あるいはビアンカやゲマも、ちゃんと話せば同じくらいの人格はあったのかもしれんけど。
しかしこれは25年も前の映画だ。2019年のドラゴンクエストユアストーリーを同じ土俵で比較すること自体どうかしてる気がする。

他に仮想現実作品だと「レディ・プレイヤー1」とか。これはもっと明確に未来のオンラインゲームをテーマに、現実と虚構の両方の世界を駆け回ってゲームの舞台そのものを守る映画だ。中身に人間が入っているキャラクターばかり出てくる設定はだいぶ異なるが、ゲーム世界を守るというテーマはユアストーリーとも通じる。世界を崩壊させかねない本作の敵の悪意は、誰の何なのかわからんミルドラースより遥かに強かった。ガンダムで挑むくらい強敵。
虚構を救いにいくというテーマは普遍的なものなのかもしれないけど、もうちょっとミルドラースとの比較に向いたレベルの仮想現実はどこかにいないのか。

・で、結局見るべきなのかどうなのか

ここまでネタバレを見た人の気持ちを動かす必要があるかは知らないが話題性はある。激怒する人の気持ちを理解したいなら見たほうがいい。そんなことしてもしょうがない気もする。
クソしょうもないオチと強引なシナリオの削り方を見なかったことにすれば、削られていない部分のシナリオが悪い映画ではない。あくまでオチに極大のダメポイントを持ってきたから評価すらおこがましい作品になってしまっただけである。
それになんだかんだでヒットはするかもしれんし、オチに何とも思わない人のほうが多いかもしれない。仮にコケたとしてもドラクエのブランドに傷もつかんしゲームの映画化の道が閉ざされるってこともないだろう。

僕もどっちかと言えばゲームはゲームだと思ってる人だったし、7から先のドラクエをよく知らないから思い入れも大したことがなかったようで、怒らずに済んだ自分の気持ちを確かめることはできた気がした。
ドラゴンクエスト ユアストーリー 完。