神殿岸2

2と言っても実質1.5みたいなもの

「国産RPGクロニクル」読んだ

このブログでは、数ヵ月前から延々とFFの歴史を追いかけるということをやってきた。それは「FF1の歴史上の意義とかちゃんと評価してる本あるのか?」という疑問から生じた話だった。

流れで目に入ってきたのがこの本だった。

>国産RPGクロニクル ゲームはどう物語を描いてきたのか?

>日本でRPGはなぜ人気をえたか。物語はゲームでどう表現されるようになったのか。
>国民的RPGドラクエとFFの功績をあらためて徹底検証!

ドラクエとFFの歴史を中心に追いかける本。責任上、読まないわけにいかない気がしたし、以前から考えていた「FF1の歴史的扱いが載ってる本ぜんぜんない問題」についても反証のひとつになる、かもしれないと思ったのである。
とはいえ、事前にそこまで期待はしてなかったことも正直に言うが。

著者の渡辺範明さんは2002年にエニックス入社で、入社翌年即スクエニになってたという経歴。10年ほどゲームのプロデューサーをやってたそうであるが、ドラクエFFの開発に参加したことはないとしており、退社した現在はスクエニと直接の関係もない。
しかし部分的に内部から見た思い出話を書けるくらいの立場であり、スクエニ合併のときの話なども書いてる。

編集協力には岩崎啓眞。脚注執筆は多根清史

一部抜粋記事が各ニュースサイトに上がっている。

特にこのFF13の記事は妙に伸びてた。開発経緯やゲーム設計の意図など、間違いってわけじゃないが、割と著者の推測、私論で書いている部分は多いことがわかると思う。もちろん私論と言っても、そう外れたことを書いてるわけでもない、と思うが。
アギトXIIIはクリスタルツールズじゃないってのは、外でツッコまれてるのを見て気づいたが。
もちろん細部は省略してるというのもあるだろうし、この記事で厳密に間違いと言えるのはそこくらいだと見受けるけど…
私はFF13をさわりしかやれてないし開発経緯も詳しいほうじゃないので、あまり語れないのだが。
(あと著者がスクエニにいた時期の話題は、逆に言えないものがあるのかもしれない)

特徴

※なお、本記事は紙の書籍の初版に基づいて書いている。

まえがきに書いてあるが、本書はドラクエ・FFをプレイしたことのない人への入門書を目指したとある。
また、子供の頃にドラクエ・FFを遊んでいた人にも読んでほしいとも。
だから初心者向けに基礎から書いていくようなスタイルを取っている。また本書は著者がラジオで話した内容をもとに書籍化したものであり、全体的に語り口が軽く、細かすぎる説明はしない傾向がある。

序盤は歴史の内容が多い。簡単なTRPG史から始まり、PLATO上で動いていた初期のコンピュータRPGの説明、ウィザードリィウルティマの登場。
それらの影響下にある初期の国産RPGの軽い解説。ドラクエ1に至るまでの部分、軽めだが、重要な部分はだいたい過不足なく、目立った間違いもなく書いてある。
ゲーム開発部隊を持たないエニックスがプログラムコンテストを実施したこと。そして入賞した堀井雄二中村光一がポートピアを経てドラゴンクエストを開発。このあたりの流れをきちんと網羅している本は今や珍しい(後付けの創作っぽい情報や信ぴょう性の低い証言はちゃんと回避してると思われる)。
ドラクエ発売経緯などの初期RPG史を知らない人への入門書としてはちょうど良い内容だ。記述が軽めとはいえ、PLATOからドラクエまでつながるルートを書いてる本は、たぶん初めて見たかも。
ウルティマがFFにつながるファンタジー+SF要素のゲームであることは書いておいてほしかった。
まあ、私はここ最近90年の堀井さんの本やら、2016年のファミコン神拳やらいろいろ読んでたので、エニックスの事業以外にはあまり目新しい話はなかったのだが…

対するスクウェアについては、FF1開発前のスクウェア発足初期の流れは軽く書いている。だがFF1の開発スタート後の経緯はほぼなし。

スタッフ個人の話はあまり掘り下げていない。堀井雄二中村光一がどのような役目を果たしたか、ドラクエ1の開発前の経緯までは書いてあっても、それ以降の堀井さんの動向はあまり書いてないし、坂口博信がシリーズで果たした役目も詳しく書いてない。
石井浩一ナーシャ・ジベリなど、本書に名前も出てこない重要人物も数多い。
もっとも、これについては特に文句はない。個人を追うのは入門書としても歴史書としてもちょっと偏った内容になりそうだし、そういう方針で書いてるのだと思う。

※著者が同じ考えかはわからないが、旧スクウェア社員ひとりひとりの知名度ドラクエなどと比べても高すぎる、ウィキにまで記事がある(しかもよく間違いが書いてある)という状況には私はかなり違和感を抱いている。
必要以上に個人の動向を掘り下げたり、変な持ち上げをしないよう気をつけていきたい…
しかしスクウェアゲーの話をする上ではやっぱり自重しないほうがいい場合もあって、記事によってはたくさん書いてるという現状です。

歴史の記述はドラクエ1までは詳しいが、全体的には歴史書というより「ドラクエFF全タイトルレビュー+同時期の付加情報をちょっと」という構成になっている。
そしてゲームレビュー本としては、タイトルによって内容について同意できるところもあるし、できないところもある。記述の密度にもタイトルによる格差、むらがある。その中で前述のFF13の記事は分量の多いほうとなっている。
残念ながら、目を通す動機だった初期FFの歴史書としてはいまいちだった。FF123はタイトル別にページも分かれておらず、ストーリーもゲームシステムもそれほど深く踏み込んでいない。
また掲載タイトルはナンバリングのみで、MMORPGであるFF11、14、ドラクエ10のレビュー本書では回避してる。FF10-2らの派生も回避。

書名の国産RPGクロニクルだが、FFドラクエだけで国産RPG史が見えるかということであれば、これは正直ほとんど見えない。一応合間のページにファミコンSFCの有名タイトルを上げているところはあるが、個々の解説は脚注に一部タイトルが載ってるのみ。それらとFFドラクエの関係もほとんど書いてない。PCゲームもドラクエより古い最初期のものに言及するのみ。
ラジオでは既に真・女神転生編などをやっており、機会を見て別の本を出すつもりなのかもしれないが。

入門書としては問題があると思う内容

だが私が本書を入門書としておすすめできない明確な理由はこれら内容とはもっと別のところにあり、ネタバレの扱いがいくらなんでも軽すぎる。具体的にはFF10ドラクエ11のネタバレはかなり深いところまで書いてしまっている

知らない人向けに私もFF10の説明をするが、本作は異世界「スピラ」に紛れ込んだ何も知らない主人公ティーダが、プレイヤーと同じ知識量で世界の謎に迫っていく物語になっている。
この明確な構造のあるストーリーに対し、本書では次々明かされる世界の謎を序盤からほとんどエンディングのあたりまで、正確かつ詳細に書いてしまってる。
なぜそこまで説明する必要がありますか。著者はFF10は最後までクリアしたかで評価が分かれるということを述べているが、それを書かずになんとかできたはずだ。「文章で説明されてもチンプンカンプンという方も多いでしょう」と言っているくらいで、伝わらないつもりで書いているのかもしれないがそんなことはない。
もちろん、FF10-2が存在すること自体がそこそこネタバレを含む現状はあるが、それでも公式のストーリーでもまだ遠慮してる。そこを本書が無理に開示しなくてよかった。

(で、まだプレイしてないドラクエ11に関しては「ラスボスがなんとかかんとか」とヤバいことが書いてあると気づいた時点で、私は本書をちゃんと読んでません…)

他のタイトルも、FF15ならやたら有名になってしまっている結末の肝心な部分だけしっかり書いてる。それを知った上でプレイしたほうが良いという著者の判断があることも書いているが、そんな判断は私にはわからんよ…
私もこれまでの記事でFF1のラスボスの話を書いたりとかしてるので、あまり人のことは言えないのだが。

こうしたストーリーの記述の扱いは作品ごとにも差があり、FF5などもゲーム後半の大きなイベントは書いてるが、そこまで詳細にストーリーを追ってるわけじゃないし、FF12は降板した松野泰己の濃度を重視するばかりで具体的なストーリーの記述が浅い。

入門書でも書いてほしい内容をスルーしてる

ゲームシステムについての記述は上記FF13のバトルシステムなど詳しく書いてる箇所もあるが、これもタイトルごとに違い、ほぼ全く書いてないタイトルもある。
特に重要なところだと思うのだが、ATBアクティブタイムバトル)についての記述が一切ない。
本書の序文で、FFドラクエのようなコマンド選択式のRPG「決してトレンドのゲームジャンルではない」という話をしている。だがSFC時代以降のFFは「コマンド選択式」ではあるが、ドラクエRPGの基礎にある「ターン制」を捨てており、ほとんどが半リアルタイムになっていたことは書いてほしかった。
これは、対するドラゴンクエストがターン制を守っていたこととも好対照になっている。
だがドラクエも4でAIと作戦による半自動戦闘を取り入れている。ドラクエ5で「めいれいさせろ」を追加しつつも、基本はオートバトルに重きを置くシリーズとして継続しており、逆に「コマンド選択式」のほうを半分くらい捨ててきたのだ。

ドラクエのAIについては全く記述が無いわけではなく、本書の終盤、FF15に搭載されたAIとの比較で初めて出てくる。もっと早く言及してほしかった。FF15のAIは戦闘中の行動だけでなくもっと広い範囲に適用されていて、ドラクエの行動ルーチンと比較するには規模が違う話になっている。
むしろFF12や13のバトルシステムこそドラクエと近い意識を持つものであり、両シリーズの影響比較という点で見過ごせない点と考える。
(なお自動行動する味方の概念自体は、ファミコンでは少なくとも『桃太郎伝説』にはある)

入門と関係なく同意できない印象論

FF7が世界観を大きく切り替えたのはわかるが、その説明として6以前はSF要素を入れつつもあくまで「中世ヨーロッパ」で、SFの比率を変えている程度だったと説明しているのはだいぶ疑問だ。
「中世」っていつまでよという厳密な言葉の話はともかく、FF6はどうひっくり返しても大半が近代的な世界で、そこに古くなった魔法要素とか、見た目だけ中世風の建築が入ってるくらいの比率ではなかったか。

6から7の変化はそのSF要素の比率ではなく、もう少し時代性を変化したことではなかったか。
かといって技術的に未来とも現代とも言えない変な感じで、ファイナルファンタジーの独自の世界を作り上げた。確かにサイバーパンクだし、6とも異質な世界なのだが、これをSFとはっきり言えない感じがファイナルファンタジーで通せた所以じゃないかと思うのだが…

また、スタッフ個人の話をあまり詳しく書いてないというのは既に述べたが、例外的に扱っている人物の説明には不満もある。もちろん野村哲也のことだ。
FF7の野村キャラクターに天野喜孝さんと比較すればいわゆる「アニメ絵」に近いテイストのキャラクターデザイン」というのは、そりゃ天野さんに比べれば比較レベルで90年代のアニメ絵に近づいてると言えなくもない気はしなくないが、「FFはこれによって一気にアニメ的な世界観に接続したといえるでしょう」は安易な見立てと思う。
それに天野喜孝こそアニメーターであり、寺田憲史もアニメの脚本家で、飛空艇とか古代文明とかナウシカだのラピュタだのの影響が強く見えるのがファイナルファンタジーだった。変わったのは時代のほうであって、むしろ昔のほうがアニメっぽくなかったか?
あとFF7の世界観に与えた影響で言うならアートディレクターの直良有祐もデカくないか、とか。

もちろん野村哲也の存在が強いことは認めるけど、それならそれでこの人が7で急に現れたのではなく、5と6で重要な立場で参加してきた、明らかに実力でのし上がった人物だということはわかるように書いてほしかった。これこそ、初心者がよく間違うポイントだからだ。
そういうことを補足として書くための脚注だろうに、「『FF7』以降のシリーズに現代ファッションを持ち込んだゲームクリエイターと、初心者でも書けそうな感想を書いてるのこそがベテランゲームライターの多根清史だ…
KHのディレクターとFF7Rも手掛けてると言い訳みたいに説明をつけてるが、もうちょっと書けることはあるだろう。

脚注があれ

脚注は全て著者ではなく多根清史が書いているようだ。
FF11とデストラップしか書いてない田中弘道などの説明のバランス感覚も気になるのだが、強く引っかかるのは64ページの河津秋敏「自由度の高い作風で知られ、『レーシングラグーン』体験版では自らボスキャラとして登場」と入門者に明らかに必要ないネタに走ってて、誰向けの本か少しは考えて書いておられるのか
サガシリーズの存在はかろうじて書いてるが、まず河津さんはFF1の初期から参加してる最古参スタッフだということが、本書には脚注含めて全く書いてないんだぞ。

もちろんネタに走るなら製品版では横浜駅の酔っ払いになってることも書いて完成するのだが、多根さん横浜駅に行けるところまでレーラグ本編やってて書いていらっしゃるのかという余計な疑問も生じる。

一応言っておくが脚注の内容について8割くらいはどうこう言うつもりはない。だいたい妥当な内容だった。
だが2割ほどは何かの引っかかりがあった。
それに本書はこういう本では珍しく本文で『桃太郎伝説』や『ゲゲゲの鬼太郎 妖怪大魔境』などにも言及してるが、脚注ではスルーしてるし、選ぶ基準は何だったんだ?

脚注の内容で、特にまずいと感じた以下の4点は指摘しておく。

178ページ 脚注54柴田亜美もガンガン(ドラクエ4コマ)出身。」と何気なく書いているが、柴田先生のデビューは正確には『8ビートギャグ』誌。厳密にはプロ漫画家としての活動がパプワくん以降のようで、だから本人もパプワくんでデビューと言ってる例もあるが。

127ページ 脚注41 本文はドラクエ7がPSに決まった経緯だが、脚注に中裕司が「(セガサターン用に)『ドラゴンクエスト』を3Dで作って、エニックスさんにプレゼンしたこともあった」と証言していた」と本文と微妙に話題の外れた怪情報を出典なしで紹介している。なんでソース書かないんですか。

半信半疑で調べたら、確かに言ってたのはわかった。

>中:サードパーティさん離れを食い止めるために、セガ社内のスタッフだけで『ドラゴンクエスト』を3Dで作って、エニックスさんにプレゼンしたこともあったんですよ。

割と長いインタビューの中で一言、ちらっと言ってるだけの部分だった。いかにもまとめサイトの見出しに使われそうな話題だし、これだけでは証言と言えるほどの裏付けも取れない。

数年レベルの交渉でエニックスをサターンに誘致していたことは、こちらの奥成洋輔氏が書いている記事のほうがはっきりしている。
この前提を知ってれば中さんの証言にも質感が出てくるが…
まず「対抗するセガエニックスを誘致していた」って本文と関連を持たせて書くのが先です。

34ページ 脚注9
夢幻の心臓』の説明「『ウルティマ』の見下ろし2Dマップと『ウィザードリィ』の3Dダンジョンを組み合わせた」としているが、ウルティマはもとから2Dマップ+3Dダンジョン(本文にも書いてある)であり、ダンジョンが2Dになるのは夢幻の心臓の出た84年時点よりもっと後。当時最新作のウルティマ3はまだ3Dダンジョンであり、夢幻の心臓についてウィザードリィのダンジョンと組み合わせたなどという説明は不自然で、不適切。(壁に厚さがないところはウィザードリィ方式のようだ)

60ページ 脚注23
ドラクエ1の容量がわずか64KBしかないことから、「そのため主人公はカニ歩き、使えるカタカナは20文字まで」と書いているが、非常によくある間違いだ
どちらも64KBの容量は主要因ではない。

専門的になってしまうから簡易な説明で済ませるが、ファミコンが一度に使えるグラフィックデータが背景とスプライトで8×8ドットが合計512個ぶんのタイルパターンしかないことが原因だ。
これも十分専門的な説明なのは勘弁してほしい。

これを言い換えるとドラゴンクエストがカタカナの使用を制限していたのは、ファミコンで一度の画面表示に使えるグラフィックパターンが8KBぶんしか持てなかったため」であり、「(8KBの)容量が理由」という説明であれば誤解は招くがこれは間違いではない。
だが総容量の64KBが原因とするのは間違いになる。ピーキーな説明だ。
これは一度に使えるグラフィックの話なので、タイトル画面などでは普段使わないアルファベットを使えている。ドラクエ1のグラフィックデータ自体は32KBぶんあり(下に補足追記)、使う8KBを場面によって切り替えて使っているのだ。

カニ歩きもだいたい同じ理由によるが、ドラクエ2以降はカセットの仕様が変わってCHR-RAMというのが使われているので、切り替えるタイミングが増やせて、移動中に向きの違うキャラ絵を持つ余裕はできたのだ。というわけでこちらも総容量は主要因ではないはず。
※マジで説明省略してますからね。

「この64KBの容量が理由」という誤った説明、多根氏に限らず広く蔓延しており、他にもファミコンに詳しい方、公式な媒体で書いているものもある。難しいのはわかるんですよ。
私も最近付け焼刃で調べるまでCHR-RAMなんて概念は知らなかったし、カニ歩きがなくなった理由までは確認したことがなかった。もちろん本書の読者も、こんな細かいファミコンの仕様まで知る必要はない。
間違えて書いていい理由にもならないが。

(追記:ドラクエ1のグラフィック用ROMは32KBですが、実際にグラフィックに使われているのは半分以下で、グラフィック用の領域に強引に他のデータやプログラムを詰め込んでいるとのことです。参考リンク

このような無理なことはせず、もう1セットぶんグラフィック用バンクが使えれば、人間用スプライトについては分けられたはず。そこまで考えればカニ歩きについては、カタカナと違い総容量の問題と言っても間違いではないです。認識不足で失礼しました)

多根氏は少なくともBGとスプライトの制限は知っているはずだ。非常に有名な仕様なので。
これは仕様の知識とは別に、容量が理由というよくある説明を深く考えずに受け入れてしまってるのだろう。
ウルティマが5まで3Dダンジョンなのを忘れてる」「ドラクエのカタカナは容量のせい」は、本当によくある間違いで(私も過去に間違えてる)、ベテランのゲームライターなら「よくある間違い」も把握していてほしいのだが…間違えても仕方ないとしましょう。
多根氏にこの指摘が届くか知りませんが、この2点については次から気を付けてくださいくらいの問題と考える。
(そして、サターンのドラクエ河津秋敏についての記述はもっと大きい問題だと思ってる)

しかし…気になるのは古典RPG知識も、ファミコンの仕様も、どちらも編集協力の岩崎啓眞氏の得意分野ということですね。
これは岩崎氏が読んでいれば絶対に指摘していたはずだ。この点について私は岩崎氏を信頼している。
よって脚注は最初からチェック対象じゃなかったと私は判断した。

著者も脚注のチェックしてるでしょうが…
もともと著者が特に間違えてない箇所に、信頼すべき年長のライターが普通に間違い・偏見を追加していっても気づかないかもしれないし、その状況は当然良いわけはないのだが。
いやしかし、書いたのが誰か関係なく、スクエニの中にいた人が、河津やノムテツに対してこの程度の記述で通しちゃうのかという気持ちはあります。

鳥嶋和彦のインタビュー

鳥嶋和彦氏のインタビューが掲載。堀井さんや坂口博信など、さまざまに話している面白い内容なのだが、本当にこれも私の都合で申し訳ないのだが鳥嶋氏のインタビューも最近いろんなところで読んできたため、面白いけど個人的に目新しい情報も多くはないというバランスになっていた。
エニックスの千田さんに対して溜まってるものがあることはわかった。

クロノトリガーの開発事情だが、あれもあくまでスクウェアのゲームであり、鳥嶋氏の都合だけで動いていたわけでもないだろう。続編が出なかった理由について、本インタビューでは鳥嶋氏がこれまでになかった新説を述べているが、話半分くらいに思っておく。

あと、ちょっと事実に反する発言もある。鳥嶋氏は坂口博信と会ったのは92年のVジャンプの編集長になっていた頃であると発言しているのだが、FF3をやった鳥嶋さんが坂口を呼び出して文句を言ったのは90年ごろのはずだ。
鳥嶋氏が言い間違えたのか、インタビューの編集で間違えてるのかは不明だが、これは90年創刊の『ブイジャンプ』をやっていた頃の話と思われる。
坂口博信が鳥嶋氏の影響を受けたのはFF4以降だということは別のインタビューからもわかっている。

そのうえで、著者が4のラスボスの存在感について言いたいことがあるのはわかるが。
5との比較という点では、作品を通して関わってくるライバルキャラクターなら4にもいただろう。
著者は5のストーリー性の違いは鳥嶋氏の影響だろうという方向でインタビューを進めているが、この変化はまた別の要因があるはずだ。

※もっとも、これについて個人的な見解を追加すると、5のほうが4よりも坂口濃度が高いのが作風の変化の原因ではないかとも考えている。なので、鳥嶋氏の影響がより強く出ているという予想自体はあってる可能性もある。
だが、この私の見解こそ憶測をだいぶ含むものである。

資料的根拠もなくはないが、『FANTASIAN』というゲームをやって、FF5は坂口ゲーだったんだと私は思った。

岩崎啓眞氏の関わり

本書のもとになったTBSラジオ「アフター6ジャンクション」の国産RPGクロニクルZEROという回(5月18日放送)、2023年8月時点でまだネットで聞けるようなのだが、岩崎啓眞氏に監修を依頼した経緯は、例のゲームの歴史の件を受けての著者の判断のようで。
岩崎氏はPLATO関連の記述で少し意見は出したらしい。とはいえ、本文の内容に強く口出しする立場ではなかっただろう。明確な間違いに気づけば指摘してるだろうが、著者の見解が岩崎氏と違うことがあってもどうこうい言うことはなかっただろうと思うのである。これも想像ですが…
そして実際明確な間違いはそんなには見当たらないので、岩崎氏から言うことはあまりなかったと思われます。
※指摘されていたブレードランナーについての間違いは直すと言われてます。

だから、この記事で岩崎氏の名前を出すか自体も迷った。私が本書に納得行かない記述があっても、そこで岩崎氏の責任を問う気は個人的にはない。
ただ、岩崎氏の名は確かに編集協力として載ってて、間違いだらけとは言わないが、でも見過ごせない間違いが本文の外側に少し出てくるという状況に、何らかの文脈が生じているのは確かである…
そんで、多根氏の名を出すことに躊躇はない。

全体的な感想

間違いの目立つ本ではありません。少々は間違いもありますが、普通でしょう。
面白く読める記事もあります。
ゲーム観、FFに対する印象、イメージ論は私とはだいぶ異なってます…

しかし入門者におすすめできない理由は内容への異論ではなく、激しいネタバレがあることによる。
これを許容できる初心者なら問題ないが…ううん。
もしくは今更ネタバレなしでFF10をやる初心者なんていねーだろという現実的な判断であろうか…
でもドラクエ11はそんなことないよな…

ファンタジー観の相違、バトルシステムの説明の乏しさ、初期FFの内容の少なさと、引っかかる点はかなり多かったが、そうした見解の相違はしょうがない。文句は幾らか書いたし、書ききってはいないが、本記事も私の意見ということで聞き流してもらえばよい。

またドラクエ1が言うほどのヒットじゃないけどやっぱりヒット作だったこと、ドラクエ1から3で意識して複雑性を増していったこと、『ゲゲゲの鬼太郎 妖怪大魔境』が異様に売れていること、FF1の比較対象はドラクエ2であることなど、
私がここんところ注目して調べまわってきた内容とも部分的には一致しており、(妖怪大魔境の売れ方が同年のキャラゲーと比べても多いほうであることは注目してほしかったが)、やっぱりこのタイプの本はあんまりなかったんだなという再確認とはなった。

しかし、やっぱりもうちょっと上手くはできたんじゃないかという引っかかりも残す本だったことは正直に述べておくのである。